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01 大したことはないと思いたかった、父の倒れた日のこと。

こんにちは。馬場未織といいます。
先日、実家で父を看取りました。特に親孝行なこどもではないんですが、たまたまそういうことになりました。そのことについて書こうと思います。

現在は四十九日前ということもあり、いろいろな方に深刻な表情でお悔やみの言葉をいただいたり、大事なご家族を亡くされてお寂しいでしょうと声をかけていただいています。
ただ、ごく親しい友人たちに父を看取った100日間について話している時、もう本当に思い出すだけでも笑えてしまって、聞いている方も困った顔をするのも忘れて笑っちゃうんですよね。

介護や看取りの現場って、死への行進曲のように重苦しいムードが立ち込めているとは限らないもんですね。むしろ、振り返ると本当によく笑っていたなと思うんです。特に、認知症の母が父を看取るプロセスはすごかった。人間が長く生き、老いて老いて死ぬことを、ありのまま愛しく思えるようなキュートな珍道中でした。

最近忘れっぽくなってきたこともあるので(わたしがです)、記憶がとどまっているうちにそうしたあれこれを記しておこうと思いました。できるだけ正直に、盛らず、落とさず、そのままに。

書き始めると夢中になって仕事の時間を食ってしまいそうなので、移動中の電車の中と、お風呂から出たあと無意味にインスタのリールを眺めていた時間を使って書くことにします。どうでもいいっすね。

では、はじめます。

・・・・・・・・・・

2021年10月3日、日曜日。この日は気候がよく、夫と多摩川へサイクリングに出かけていました。東京と南房総に家がある二拠点生活をしているわたしたちは、週末はたいてい南房総にいるんですけどね、たまたまこの日は東京にいたんです。

多摩川沿いのサイクリングコースからほど近いサイクルカフェを見つけて「いやーここは落ち着くな」とケーキとコーヒーで一息入れている時、妹からLINEが入りました。
思えばこれが、コトの始まりでした。 

「今日は休日出勤。帰りながらおばば(母)に電話したら、おじじ(父)とコンビニ行こうと外に出たら、腰が痛ーい!と言って倒れて、そのままほぼ動けなくなったらしい。悪いけどちょっと詳しく聞いてみてもらえる?」

この連絡を見て、あーまたやっかいごとが起こったな、と正直重たい気持ちになりました。

父と母は当時どちらも要介護1の認知症、かつ自宅大好きでしたので、ヘルパーさんらの助けを借りつつ自宅で暮らせるように数年かけて体制を整えてきました。まぁ何かあったらすぐバランスが崩れるだろうなと想定はしていましたが、これまでちょいちょいトラブルを経ながらも何とか2人とも無事にやってきたわけです。

「最近おじじ、外食やコンビニにすぐ出かけちゃうってヘルパーさんも言ってたよね」
「足がおぼつかないのにね。止めたって聞きゃあしないから」
妹とそんなやりとりをしていると、今回もたいしたことはないだろうな、と思えてきます。
いや、きっと大したことではないはずだという正常化バイアスをかけてしまうんです。だって、大したことだったら困っちゃう。妹もわたしも忙しい日々を過ごしているからね、加えて何かを抱えるとなると何かを犠牲にするしかなくなっちゃう。そんなことは想定に入れないでギチギチに生活を組んでいるからです。

心配よりも自分の都合が先立つような自分勝手な感情を携えつつ、それでも急いで母に電話をすると、思ったよりものんびりした声で応じてきました。

「おじじ、動けなくなっちゃって、床に寝てるのよー」
「ベッドに上がれないの?痛いって?」
「大丈夫だって言ってるけど」
「トイレにも行けなそう?」
「さあ~。行けるんじゃないかしら。大丈夫だと思うわよ」

わたしは直感的に、母の言葉はアテにならなそうだな、と思いました。
母は認知症になってから、大事なことをつとめて軽く言ったり、隠したりするようになっています。なにか、自分が責められることを恐れているように見える時もあります。
それが認知症特有のふるまいなのか、母の生い立ちに関係することなのか、どっちなんだろうな、といつもチラッと考えます。

いずれにせよ電話だけでは本当のことは分からないので、実家に行って確認するかぁ、と心を決めて、残りのケーキをほおばり、カフェを出ました。

「南房総にいる日じゃなくてよかったなあ。この時間はアクアラインが渋滞するから、着くのが遅くなっちゃってたよな」と、夫が声をかけてくれました。ホントそうだねーと応じながら、一方で心の中ではいやーなことを毒づいていました。

行けるところにいるから、行けちゃうんだよ。
それで、行けちゃった人は大変になっちゃうんだよ。

まあ南房総でも行けちゃうけど、例えばもし海外にいたら「ごめん行けなくて!心配してるよ!」と伝えるほかなかったはず。その場合は誰かほかの人が駆け付けていただろうし、なんだかんだとコトは運んでいたはず。
わたしが親の近くにいるということは、その「なんだかんだ」をするってことなんだよな。
得か損かっていったら、損だよな。

本当は「大丈夫だと思う」という母の言葉を信じて大事な息抜きタイムを続行したかったし。でも行けちゃうから行くんだよ。べー。

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それから2時間後に実家に到着して目にしたのは、まさに「床に寝ている」父の姿でした。

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