見出し画像

生きるという習慣

この世におぎゃあと生まれたその日から、私の習慣は始まっています。

まずは泣く習慣です。泣きました。とにかく泣きました。オムツを取りかえて欲しい、ご飯が欲しい、あかりがまぶしい、じいじとばあばが近すぎる、などなどたくさん要望はあったのですが、何しろ言葉を話すことができなかったので泣くしかなかったのです。

それから言葉という習慣が生まれました。ママ、パパなどの簡単な単語を言うとみんな反応が変わるのです。なぜだか喜んでくれましたが当時の私にはその意味がわからず、ただただ言葉を話すと自分の要望が聞いてもらいやすくなるという理由で、発言していました。

それと同じくらいの時期に歩く習慣を始めました。はじめは立ち上がることすらできませんでしたが、毎日続けていくうちにできるように歩けるようになって、自分の目線が高くなった時はまるで別世界を見ているようで、いたく感動したことを覚えております。同時に拍手喝采に包まれ、その日みんな笑顔で楽しくお祝いしたことは私の本当に素敵な思い出のうちの1つです。

しかし習慣とは難しいもので、話すことも歩くことも、それが当たり前になってしまうと、周りの人たちは感動しなくなってしまうのです。では再び感動してもらうためにはどうすればいいのか。それはさらに高度に行動することなのです。話せる言葉が増えたり、走れるようになった時、それを学習しました。

しかし、それすらもやがては慣れがやってきます。習慣だけに慣れですね。

そしてもっと速く走ろうと思っても、そうそう簡単にはできないですよね。成長には段階があるのです。

結果どうなったかと言いますと、別の習慣を始めることになりました。

一人でトイレに行ったり、歯を磨いたりと身の回りの習慣はもちろん、ピアノやスイミングといったお稽古ごとを始めるようになりました。そして重要なのはやはり学校です。

幼稚園の頃はそうでもありませんでしたが、小学校が始まってから生活は忙しくなりました。学校から帰ると習い事があるのでお友達と遊ぶことができません。小学校も高学年になると、塾が始まったので、なおさら時間がなくなり、友達と遊ぶという習慣をつくることはできませんでした。時間は有限なのです。ある習慣をつくるということは、ある習慣をつくる時間が無くなることでもあるのです。それだけに時間は大切にしようと思いました。幸い私の場合は、勉強も習い事も上手くいっていたので、習慣というものが好きでした。継続は力なりですね。

少し時計を先に進めますと、高校、大学と進むにつれ、私は自分の習慣をさらに強化していきました。朝起きる時間、勉強、部活、バイトなどなど、一日のスケジュールをすべて決め、Twitterにあげていました。ピアノの練習をする時間、筋トレやストレッチを行う回数、テレビを見る時間、家族や友達と何分話すかなど、細かいことまですべて予定をたてて行動していました。ちなみに食べる物もすべて事前に決めた物を食べていました。とにかく栄養のある物を食べて、生活習慣をきちんとしようと思っていたのです。

そんな生活のかいあって就職には困らず、結婚も順調でした。無事子宝にも恵まれ、私は2児の父となりました。

仕事に家族、という新しい習慣が始まりました。とても新鮮でしたし、充実していました。

ところが、問題が起こったのは子供が小学生になった頃でしょうか。子供が私の言うことを聞かなくなってしまったのです。もちろん子供が親に反抗するのは珍しいことでなく、私とてそれくらいのことは理解していたのですが、私は子供に対して良い習慣を押しつけすぎてしまったのです。自分の送ってきた習慣が最良のものであり、優れた人間を生み出すには必須だと信じて疑いませんでした。それが子供にとって良い習慣ではないことに気がつかなかったのです。習慣を増やせば増やすほど自由はなくなっていく。その習慣も自分の意志でなく、人から強制されたものでは苦しみを生んでしまうのです。

私は申し訳ないなと思い、子供にさせていた習い事や家での細かい習慣をやめさせ、子供に新しい習慣を始めさせてあげました。子供がその時、とてもホッとした顔をしていたのをよく覚えています。これでよかったなと思いました。

そして今度は私に新しい習慣が始まりました。身体が動かなくなったのです。今まで当たり前のように行っていたことができなくなりました。新しい習慣の始まりとは、古い習慣の終わりを意味します。そして唐突で申し訳ないのですが、私は死にました。

なので私は今これをあの世で書いております。日頃の習慣(それを言うなら行いだと思いますが)が良かったので、天国に来ることができました。天国というところはとても居心地の良い場所ではあるのですが、最近だんだんと退屈さを感じてきてしまいました。のんびりしすぎているのです。しばらくしたら生前の習慣を再び始めてみようと思っています。もしよかったら誰かと共有したいと思うのですが、そこは無理矢理押しつけないよう気をつけたいと思います。

もしあなたも天国へ来た際は一声かけてくださると嬉しいです。

私と一緒に新しい習慣を始めましょう。大丈夫、ここでは時間は無限です。





この記事が参加している募集

確実に続けていますので、もしよろしければ!