『パパのバカ』 A side
A面 「パパのまま」
登場人物
団地住まいの一家 蟻塚 恵 (12) 小六
徹 (10) 小四 育雄 (38)
伸子 (35)
洋菓子店「アローイ」 相原あゆみ (44)
義春 (17)高三
隆昭 (14)中二
凌心寺&「連の会」事務局 阿久津 豊 (46)
芳江 (40)
敏 (13)中一
祥子 (11)小五
隣の団地の 雨宮章夫 (10)小四
チャイドルの 麻生綾乃 (11)小五
京都の実家「アリヅカ薬局」 蟻塚喜一郎 (69)
なつえ (63)
ちょんまげ健さん 安藤健吉 (50)
楽団「太鼓党」の紅一点 鮎川 糸 (33)
その娘 鮎川めい (12)小六
別れた父 足立達也 (36)
○ 蟻塚家・寝室(早朝)
カーテンの隙間から射し入る朝の光。
パパとママが寝間着をはだけ、抱き合うように寝ている。
寝返りをうつパパ。ちょっとまぬけな寝顔。
ママのフェイスマスクはずれたまま。
○ 同・洗面室
トイレから出てくる、パジャマ姿の蟻塚恵。
いつもの習慣のように洗面台に向かい、歯を磨き、顔を洗う。
○ 同・子ども部屋
改造二段ベッドによって区切られた姉と弟のスペース。
下に寝る徹は鼻風船を膨らませる。
呆れ顔でそれを覗き込んだ恵は、自分の空間へ行き部屋着へ。
○ 同・リビングルーム
台所からコーンフレークとミルク、トマトサラダを取り出してき
て、たった一人で朝食をとる恵。
テーブルに置かれた本『境界線上のアリア』(著:阿久津豊)を目に
し、団地の窓から外を眺める。
○ 窓の外
団地の4階から見える風景。
梅雨空の下、一直線に横切る東名高速道路。
にぶい朝陽を浴びて走行する車。
○ 社宅の前(回想)
郊外にある平屋の社宅。
桜の木の下、引越しトラックへ荷を積み終えるパパ(蟻塚育雄)。
蟻塚育雄 「(玄関に向かって)お~い、そろそろ出発するぞ」
サッカーボールを抱えて徹が走ってきたあと、ママ(蟻塚伸子)と
恵が水槽を運んでくる。
蟻塚育雄 「それは処分するんじゃなかったのか」
蟻塚伸子 「(困惑したように)恵がどうしても持っていきたいって言う
のよ」
蟻塚育雄 「中身は人にあげちゃったし、置き場所がないぞ」
蟻塚恵 「私の部屋で人形を入れておく」
思わぬ勢いに気圧され、ママと視線を交わすパパ。
蟻塚徹 「あ、ぼくもグッズを飾っておく入れ物がほしい。スポーツ用
のロッカーでもいいけど」
蟻塚育雄 「おいおい、パパは会社を辞め、引っ越す先はここより狭くな
るんだ。ぜいたくはもう許さないからな」
蟻塚伸子 「暗く考えることまったくないのよ。これからはみんなの生き
がいを第一にした新生活が始まるんだから」
口をすぼめるようなパパ。
徹はぽかんとした顔。
蟻塚恵 「ねえ、早くこの水槽運ぼうよ」
○ リビングルーム
のそのそと寝ぼけ顔でテーブルへやってくる徹。
恵の横に座り、コーンフレークにミルクをかけ黙々と食べる。
蟻塚恵 「おはよ」
蟻塚徹 「うん」
と、テレビのリモコンを手にする。
蟻塚恵 「あんた、まだ起きてないでしょ。本能だけなんだから」
と、席を立って自分の部屋へ戻る。
○ 恵のスペース
机に向かってドリルを広げるが、気が乗らない恵。
その端にマンガ「めがねのフーちゃん」の似顔絵を描きはじめる。
と、仕切り壁の背後でごそごそ音がし、いやな匂いが漂ってくる。
蟻塚恵 「徹、また食べてるでしょ」
壁板の向こうで動きが止まった様子。
蟻塚恵 「部屋が臭くなるから、ここでは絶対に食べないって約束した
じゃない」
○ 徹のスペース
蟻塚徹 「(鼻をすすりながら)ごめん」
と壜詰めのラッキョウをもうひと口くわえ、ベッドの下へ隠す。
足もとの靴下を拾い、匂いをかいで履く。
○ 恵のスペース
蟻塚恵 「これからは倍のペナルティにするからね」
と、窓へ駆け寄り全開に。
生暖かい風が入ってきて、向かいの団地と青い空が見える。
徹の声 「ねえ、今日出かけるとこで何を話したらいいのかな。パパは
一生懸命勉強してたみたいだけど」
蟻塚恵 「(ふうと息をつき)私たちはただついていくだけ」
徹の声 「家族面談みたいだって……」
蟻塚恵 「そんなに不安だったら絶対にラッキョウなんて持ってかない
で」
○ 徹のスペース
思い出したように壜詰めに手を伸ばすが、思いとどまる徹。
蟻塚徹 「お姉ちゃんは成績いいけど、ぼくはなあ」
恵の声 「テストがあるわけじゃないし、知らない人に気に入られるの
はいつも徹のほうでしょ」
蟻塚徹 「(机のガラクタを見まわし)でもみんな、ぼくのことをよく
知らないから」
恵の声 「そうよ、だから大丈夫」
納得した面持ちの徹。
そのときママの小さな悲鳴がし、廊下をバタバタ走る音。
○ 洗面室
太腿をあらわに、ネグリジェ姿のママが裾をたくしあげている。
ドア口で様子を窺う恵と徹。
蟻塚伸子 「(振り返って)見てこれ。またパパの煙草にやられちゃっ
た」
と、ネグリジェの焦げ目に顔をしかめる。
蟻塚伸子 「被害を受けてばっかり。いつになったらパパは禁煙してくれ
るのかしら」
そこへトレパンをはいた上半身裸のパパ。
蟻塚育雄 「(黒縁メガネの奥で瞳をうつろに動かし)すまないと思って
る。失業中で苛々してるのかな。久しぶりの一本だが近いう
ち必ずやめてみせる」
蟻塚伸子 「寝煙草するなんて、数を減らすとかやめる以前の問題。そう
いうルーズな生き方がいやなの」
パパと視線を交わし、何も言わず自室へ戻る恵と徹。
蟻塚育雄 「(子どもたちの背に)おはよう。いつも早いな」
○ ファミリーレストラン(昼)
窓際のテーブル席。
食が進まずラザニアをスプーンで掻きまわす恵。
徹はウルトラキッズランチと格闘中。
パパは食後のコーヒーを口にしながら、子どもたちの様子をじっと
見つめる。
蟻塚育雄 「(おもむろに)じつはね、パパは昔、科学特捜隊の一員だっ
たんだ」
漠然と顔を向ける恵と、口をもぐもぐさせて聞き返すそぶりの徹。
蟻塚育雄 「だからほら、それだよ」
と、パパはテーブルの真ん中に立つウルトラマン人形へあごをしゃ
くる。
蟻塚徹 「うっそお。そんなの初めて聞く」
疑り深そうに見つめる徹。
蟻塚育雄 「そうだったっけ。まあ、こういうのは人にわかっちゃいけな
いから親しい家族にも軽々しく喋れない。ママには内緒にして
おくんだぞ」
ちらっと恵を見やるパパ。
蟻塚徹 「パパ、ぼくはもう四年生なんだ。そういう幼稚園の子どもに
するような話をしたって喜ばないよ」
黙りこくったままの恵。
蟻塚育雄 「夢のない言い方だなあ。いいか、こういうことにのめりこま
ないと大きくなっても想像力が豊かにならないんだぞ。パパ
は科学特捜隊ばかりか地球防衛軍にも所属してたんだ。もう
縁を切ってしまったけど、ほかにも秘密がある。あのころの
写真を見せてやりたいよ」
蟻塚恵 「(はっとした顔で)あ、思い出した」
○ 幼稚園・年中組(回想)
親と園児が一緒になったハロウィンの仮装パーティ。
多くの女児が扮するコスプレ。
そのなかで最も輝く月野うさぎ役の蟻塚恵。
色づかいやディテールに凝ったセーラー服、お姫様のようなティア
ラ、首にぴったりのチョーカー、白くて長いグローブとブーツ、す
べて両親によるお手製。
得意げな蟻塚恵。
だが、彼女だけ親と一緒でない。
窓の外を眺め、その到着を待ちこがれる蟻塚恵。
そのとき園庭の駐車場に車の停まる音。
教室に姿を見せたのは、黒マントのデスラー総統とセクシーな如月
ハニー。
部屋のなかの空気が一変する。
パパとママのところへ駆け寄る恵。
それを遠巻きに見つめる人びと。
いかにもやりすぎな一家、といった眼差し。
○ ファミリーレストラン
蟻塚徹 「じゃあ、パパの言ってること、本当なの?」
蟻塚恵 「うそじゃないよ。徹がまだよちよち歩きだったころ、パパが
怪獣と戦っているのを見たもん。そのうえパパは仮面ライダ
ーでもあって、あのころは変身ベルトが家にあったんだ」
蟻塚徹 「エ~ッ!」
気恥ずかしそうに笑うパパ。
蟻塚恵 「あのころはすごかったな。周囲の人が気づきはじめて大騒ぎ
になるといけないから、必死になって秘密を守り通したん
だ。徹は知らないだろうけど、私もじつは美少女戦士セーラ
ームーンだったの」
蟻塚徹 「うわっ~! すっごいじゃん。ぼくんちはそんなすごい家族
だったんだ。そしたらぼくはどんな力を持ってるのかな、何
になれるのかな」
蟻塚恵 「残念でした。徹にはもうそういう力はないの。私とかパパも
とっくの昔にそういうことやめたの。そんなヒーローより、
アニメーターとかマンガ家とか、それを作りだす人間に徹は
なりたかったんでしょ?」
蟻塚徹 「お姉ちゃん、それ自分のことじゃないの」
蟻塚育雄 「そういえばパパはこんなこと聞いたぞ。いつまでもポジショ
ンがもらえないなら少年サッカーなんてやめちゃえって章夫
くんに言われ、ぼくは選手よりも監督やコーチに興味がある
んだって答えたそうじゃないか。それを聞いてパパはうれし
かった。なんでもそうだけど、みんなスポットライトのあた
るとこばっかり騒いで、根本の部分へ目がいかないからね」
蟻塚徹 「あれは、章夫のようなガリ勉に対する負け惜しみさ」
蟻塚育雄 「じゃあ、徹はどうしてサッカーをやってるんだい?」
蟻塚徹 「好きだからに決まってるじゃん」
蟻塚育雄 「そ、そうだよな」
蟻塚徹 「パパはぼくの成績よく知ってるでしょ。ぼくはお姉ちゃんみ
たいに勉強できないから、体育と図工に賭けてるんだ」
蟻塚育雄 「小学四年生でそんなふうに人生決めちゃいけない。これから
どんな可能性が開けていくか、まだチャンスや時間はいっぱ
いあるんだ。それに得意なものを伸ばすためだって他の科目
を勉強しておいたほうがいい。いろんなこと知ってれば試合
の流れを考えたり、一瞬の判断力を養ったりするときも、絵
を描いたり物を作ったりするときもすごく役に立つ」
蟻塚徹 「本当にそうかなあ。それって章夫みたいに言い訳や逃げ足
ばかりうまくならないかなあ」
と、プリンの皿をスプーンで突く。
ドキッとしてコーヒーをこぼしかけるパパ。
蟻塚恵 「見て、あれ」
と、窓の外を指さす。
道路を横切り、ファミレスへ向かってくるママの姿。
洋菓子店「アローイ」の袋を持ち、もう一方に網袋に入ったサッカ
ーボールを提げる。とてもほがらかな表情。
○ 公園(回想)
障害児の長男・義春とともに散策する相原あゆみ。
子どもたちの多い砂場や遊戯施設を避け、噴水を眺める二人。
ベンチに座って老人と話をするあゆみ。義春は鳩と遊んでいる。
ふと見ると、公衆便所の近くにいる義春。
心配したあゆみが呼びにいこうとしたとき、芝生の上を公園出口の
ほうへ猛然と走っていく義春の姿。あわててその後を追いかける。
○ 舗道(同)
走ってくる相原あゆみ。
幸い、横断歩道を駆け抜けることなく、四つ角を折れた歩道橋の陰
で義春を発見。
捕り押さえるようにサッカーボールを抱いている。
相原義春 「許してあげません! 許してあげません!」
屈み込んだトレーナーの背には複数のボール跡。
○ 相原家・居間(同)
床の間で鳥かごに入れられたサッカーボール。
足を組んでそれを見張りつづける義春。
相原義春 「むだな抵抗はよしなさい。悪いことはもうできません。あな
たは終身刑です」
困惑顔で見守る相原あゆみと次男の隆昭。
相原あゆみ「養護学校まであれを持っていって、目を離さないらしいの」
相原隆昭 「とりあえず新しいのを買ってくる。持ち主を捜し出して、ボ
ールを返すときによく注意しておくよ」
○ 洋菓子店「アローイ」(同)
アルバイト店員とともに客の応対をする相原あゆみ。
相原あゆみ「いらっしゃいませ」
だが、玄関先に現れたのは学生服姿の隆昭。網に入ったニューボー
ルを掲げる。
○ 相原家・居間(同)
床の間にあるのは空の鳥かご。
傍らですがすがしい顔の義春。
相原義春 「許してあげました! 喜んでいました!」
ほっとした表情のあゆみと隆昭。
相原隆昭 「でも、あのボールどうしようか」
相原あゆみ「ボランティア仲間の息子さんがサッカーやってるから、あげ
てもいい?」
相原隆昭 「もちろん。そのためのものだからね」
○ 乗用車・車内
都心に向かう蟻塚家の四人。
蟻塚伸子 「つまりこのボールは、相原家の許しと再生の象徴なの。あゆ
みさんの家にはもう必要ないけれども、これによって新たな
気づきをさずかったことになるのね」
と、助手席から徹の膝にあるボールを見る。
蟻塚育雄 「(ハンドルを握りながら)それならやっぱり、みんなで直接
お店に行ったほうがよかったんじゃないのか」
蟻塚伸子 「日をあらため、報告かたがたお礼に伺ったほうがいいわ。今
日の訪問も、あゆみさんが内々にセッティングしてくれたん
だから」
蟻塚育雄 「おい徹、ちゃんと聞いたか。それはすごく気持ちがこもって
るんだから、大切に扱うんだぞ」
と、首を伸ばしてルームミラーに映るパパの目。
生返事で、鼻歌交じりにボールをもてあそぶ徹。
蟻塚伸子 「(とがめるように)車のなかで弾ませるのはやめなさい」
蟻塚徹 「(ぼそぼそと)ただのサッカーボールなのに」
蟻塚伸子 「(再び振り向いて)それにそのアニメソングを口ずさむのは
いいかげんにしてちょうだい。これから行くところがどうい
うとこか何回も説明したでしょ。アニメやゲームもいいけ
ど、どうせ好きになるならもっと作品を選ばなきゃだめって
言ってるじゃない。サッカーだってただボールを蹴っていれ
ばいいというものじゃなく、いろいろ意味を考えてやらない
と上達しないんでしょ。ただのサッカーボールなんて言い方
してると卑怯者になっちゃうわよ。勉強しろ、勉強しろって
ママはうるさく言わないけど、よく考えて行動する癖を身に
つけてほしいの。あゆみさんちの兄弟はたとえハンディキャ
ップがあってもくじけず、家族で力を合わせてるのよ」
蟻塚徹 「(顔を上げ)ぼくが生まれたころ、ママはキューティハニー
だったんでしょ」
車内の温度が少し下がる。
ママは血の気がひいたように徹を見つめ、恵のほうへ目をやり、ハ
ンドルを握るパパの横顔をにらむ。
黙ったまま前方を見つめるパパ。
話題を変えようと、とっさに質問をぶつける恵。
蟻塚恵 「隆昭くんって、野球をやってるんだっけ?」
蟻塚伸子 「あら、彼は水泳部のエースで次の生徒会長候補らしいわ。勉
強とスポーツを両立させてるだけでなく、すすんで社会活動
もしているの」
蟻塚恵 「へえ、そうなんだ。なんか私、彼の苦労がわかる気がする」
蟻塚伸子 「どういうこと?」
蟻塚恵 「表面的なことばかりじゃ、人間的といえないでしょ」
○ 洋菓子店「アローイ」(回想)
おつかいにきた蟻塚恵。
アルバイト店員がケーキを包み、あゆみさんが『連の会』会報を袋
に入れる。
相原あゆみ「恵ちゃんはとっても気が利くって評判。早く一緒に活動でき
るといいわね。はい、じゃあこれ」
蟻塚恵 「いつもすいません」
ちょこんと頭を下げて袋を受け取り、ドアを出る。
あゆみの声「ママとパパによろしく」
○ そばの空き地(同)
草むらの陰で金属バットを持った少年がだれかを打ちつけている。
と思ったら、その相手はTシャツを被せた古タイヤ。
学生服姿の少年が恵に気づき、にっこり微笑む。相原隆昭だ。
なぜか急ぎ足でその場を離れる蟻塚恵。
○ 乗用車・車内
隣に座る徹がもぞもぞと体をよじらせる。
蟻塚徹 「う~ん、お腹が痛い」
怪訝な眼差しで見やるママと恵。
蟻塚徹 「もうだめだ。ウンチしたくなっちゃった」
スピードを緩め、ちらりと振り返るパパ。
蟻塚伸子 「どうしたの。今朝、家でしてきたんじゃなかったの?」
前方を見まわしながら公衆便所を探すパパ。
蟻塚育雄 「大丈夫か。もう少し辛抱できるだろ」
蟻塚伸子 「それならさっきのファミレスですませばよかったのに。もし
かしてあの店で食べたものにあたったのかしら。徹は何を食
べたんだっけ?」
蟻塚恵 「ウルトラキッズランチ。(小さな声で徹に向かい)そういえ
ばおまけの人形、忘れちゃったんじゃない?」
顔をしかめたまま自慢げにポケットから取り出す徹。
蟻塚徹 「昨日の夜からちくちくしてた」
蟻塚恵 「そうか、今日の外出のことでプレッシャーがかかってるのか
もしれない。徹って意外とナイーブなんだよね。でなきゃ、
ラッキョウの食べすぎよ」
蟻塚徹 「う~ん、う~ん」
と、お腹を押さえてうなる徹。
蟻塚伸子 「困ったわね。どこか店でトイレを借りましょうよ、パパ」
○ ファミリーレストラン・駐車場
お昼を食べたファミレスと同じチェーン店。
片隅に停まる蟻塚家の乗用車。
急いで降りたママが徹の手を引き店の中へ。
お腹とお尻に手をやり、くねくねと進んでいく徹。
○ 同・乗用車内
ダッシュボードをごそごそやり、煙草を見つけたパパが外に出る。
蟻塚恵 「(後部ウィンドウを下ろし)ここ、さっきと同じチェーンだ
ね」
蟻塚育雄 「おお?(と首をまわし)本当だ。妙な縁があるもんだ」
蟻塚恵 「ママの希望どおり、徹はお昼と同じトイレで用をすませたこ
とになる」
蟻塚育雄 「はは、そういうわけか」
蟻塚恵 「ねえパパ」
と、ためらいがちに目を伏せる。
蟻塚育雄 「うん?」
と、煙草に火をつけ次の言葉を待つ。
蟻塚恵 「ねえ、パパは『連の会』の仕事を本気でやるつもりなの? マ
マにひきずられ会社まで辞め、しぶしぶやろうとしているん
じゃないの? くる途中ウルトラマンの話をしてたけど、あれ
を聞いて私、幼稚園の年少組のときのハロウィンパーティを
思い出しちゃった。あの日を境に、パパとママは好きなこと
をやめちゃったんだよね。あのときのパパとママの顔をよく
覚えてる。しばらくしてアンデルセンの童話を読んで聞かせ
てくれた、今日はあのときとそっくりな気がする」
蟻塚育雄 「恵は、そんなふうに思ってるのかい」
と、吸いはじめた煙草を携帯灰皿へ。
恵が顔を出す後部ドアを開け、その横に乗り込んでくるパパ。
うつむきながら体をずらす恵。
蟻塚育雄 「パパの姿を見てもしそう思うとしたら反省しなきゃならない
けど、今回のことパパはしぶしぶとなんかやっていないし、
ママにやらされているとも思っちゃいない。自分と家族にと
って少しでもいいと思うからこうした生き方を選んでいるん
だ。もちろん百点満点でなく、もっと賢いやり方があるかも
しれないが、一つずつ自分の力で乗り越えていければそれで
いいんじゃないのか。パパとママは大人になっても少しずつ
成長しているんだ。幼稚園のあのときだってパパとママが迷
い悩みながら決めたことだから、後ろ髪を引かれるような顔
つきをしていたかもしれないが、でもそれは、将来に向かい
着実に自分の一歩を踏みだしたという証拠だよ。今日の訪問
もきっと同じことだと思う。だからあのときにそっくりと言
った恵の観察の半分は正しいことになるけれど、むしろそれ
はいい兆しであって、そういうときこそパパとママを応援し
てほしいな」
と、恵の横顔をじっと見つめる。
下を向いたまま黙ってうなずく恵。
蟻塚育雄 「でも、恵がここではっきり言ってくれてよかった。誤解を抱
えたまま凌心寺へ面接に行ったら、お互いつまらない思いを
しただろうからね。たぶんパパは、これからも恵から見たら
疑問に思うことが出てくるかもしれないから、そのときはま
たこうやって話し合おう」
もじもじした恵はお尻のあたりに異物を感じる。
腰を浮かすと徹のおまけが出てくる。
蟻塚育雄 「あ、いた、いた」
と、笑いながら手を伸ばす。
蟻塚育雄 「徹はもう飽きちゃったのかな? けっこうしっかりできてる
のに」
蟻塚恵 「さっきまで大切そうにポケットにしまってた」
蟻塚育雄 「そうか。ママに見つからないようにちゃんと渡してやってく
れ。サッカーボールと同じようにこれだって何かの記念にな
るかもしれない」
と、恵の手のひらを取りそれを握りしめさせる。
蟻塚育雄 「(満足そうに深呼吸し)後部席にこうやって座るの、パパは
初めてじゃないかな。ここからの眺めって自分の車のくせに
すごく新鮮で、たまには自分の位置を変えてみるのもいいも
んだな」
恵が車の外を眺めやったとき、レストランの玄関にママの姿。
徹がその後ろから駆けてくる。すっかり調子を取り戻したようだ。
車の正面に立ち止まった徹が、直立不動の姿勢で何か叫んでいる。
パパと恵に見せびらかすようにゆっくり片手を上げる。
蟻塚育雄 「あっ、ベーターカプセル! 徹はこれから変身するんだ」
よく見ると徹の手にはペンシル状のもの。
軽い跳躍のあと戦いの姿勢をとり、車に向かいスペシウム光線を発
するふり。
蟻塚育雄 「うわっ、やられた」
と後部シートにもたれかかり、倒されたふり。
そこへ助手席のドアを開け乗り込んできたママ。
蟻塚伸子 「あら、パパは後ろで寝ちゃってるのかしら」
と、皮肉っぽい調子だが笑いをこらえている。
目を開け、肩をすくめるパパ。
蟻塚伸子 「(車の正面にいる徹へ)早く乗りなさい」
と、シートベルトを締めながらパパを振り返る。
蟻塚伸子 「ねえ、徹に運転しなさいっていうの?」
ぷっと吹き出す恵。
頭を掻きながら後部席を出るパパと、入れ替わりに乗り込んでくる
徹。
蟻塚徹 「この店でウンチして大正解だった。ねえママ」
蟻塚伸子 「(曖昧に)そうね」
と体をごそごそ動かし、コンソールボックスに紙包みを乗せる。
恵と、運転席に乗り込んだパパがいぶかしげにそれを見つめる。
蟻塚伸子 「(包みをほどき)ほら」
出てきたのは、紛れもないキューティハニーの美少女フィギュア。
蟻塚徹 「すごいでしょ」
息を呑み、顔を見合わせるパパと恵。
照れくさそうに微笑むママ。
蟻塚伸子 「(口ごもりつつ)店を入り口に、おみやげを売っているコー
ナーがあって、キャラクターグッズなんかもいっぱい置いて
あるのよ。ちょうど店長がいて、ここはそれが豊富で有名ら
しく、またその人がすごく詳しくて丁寧なの。もともと何も
買うつもりなくあちこち眺めていただけなのに、徹が戻って
こないからいろいろ手に取り話を聞いていたの。で、やっと
戻ってきたと思ったらそのベーターカプセルを発見して大騒
ぎ。困っちゃったわ。息子がお店でお手洗いを借りたという
のに、ただ用を足しにきただけじゃすまないでしょ。店長や
他のお客さんの目もあるし、仕方がなかったの」
蟻塚恵 「で、ママのそれは?」
蟻塚伸子 「だからついでに買っちゃったのよ」
蟻塚育雄 「ずいぶん高そうだけど」
蟻塚恵 「そんなことないわよ。だいいち私のために買ったわけじゃな
く、恵にプレゼントしようと思ったの。はいどうぞ」
と、それを恵のほうへ押しやる。
蟻塚徹 「わあっ、お姉ちゃんすごい」
呆気にとられ、ママを見つめる恵。
同様に、車を発進させずママの横顔をじっと見つめるパパ。
やがてママが肩を振るわせはじめる。
蟻塚伸子 「(笑いながら)私、弁解がましい?」
○ 都心の住宅街・乗用車内
地図を手にしたママ。遠くに東京タワー。
込み入った道を抜けると本堂と墓地が見えてくる。
○ 凌心寺・駐車場
木々に囲まれた墓地横のスペース。
梅雨間の陽射しを受け、静まり返る。
○ 同・乗用車内
入り口の坂道でフロントガラスの前方にチカッと光るもの。
蟻塚育雄 「あっ」
パパのコンタクトレンズが落ち、それに気づいたママが下を向く。
サイドブレーキを引こうとしたパパが、思わずママの手を握りしめ
る。
一瞬見つめあう二人。
ブレーキをかけようと、アクセルを踏み込んでしまうパパ。
急スピードで坂を駆け上がる乗用車。
軽トラックを一台飛び越え、空きスペースの手前で着地。
天井にしたたか頭を打ちつける恵と、跳ねたサッカーボールで鼻血
を出す徹。
目をぱちくりさせたパパと、洋菓子のケースを抱えたママは手をつ
ないだまま。
し~んとするが、すぐに矢継ぎ早の声。
蟻塚伸子 「(手をふりほどき)何があったの? みんな無事? どうい
うわけ?」
蟻塚育雄 「(片目を押さえ)レンズが落ちた。光が目に入った。レンズ
はどこだ」
と、足もとのコンタクトを探しはじめる。
蟻塚恵 「(頭を振って)違うよ! 違うよ! 見てないの!」
蟻塚徹 「(うめきながら)痛えな! コノヤロー!」
と、サッカーボールをこづく。
○ 凌心寺・外観
落ち着いた佇まい。
○ 阿久津家・玄関
本堂と廊下でつながれた住居部分。
蟻塚伸子 「ごめんください。遅くなりました」
と、家族四人が神妙に並ぶ。
靴やら雑誌やらゴルフ道具で散らかっている。
家政婦 「(檀家と勘違いし)いつもお世話になります。お暑いなかご
苦労さまです」
と、丁重に頭を下げるばかり。
苦笑いしながら現れる住職の奥さん・阿久津芳江。
阿久津芳江「あらあら、早かったですわね」
○ 同・応接間
ソファに一列に座って待つ蟻塚家の四人。
向かいにある立派な掛け軸、巧みに筆をふるった書、高価そうな置
き物などをあてどなく眺める。
蟻塚伸子 「檀家さんに急きょ、不幸があっただなんて」
蟻塚育雄 「住職というのはたいへんな仕事だな」
蟻塚恵 「(首をまわしながら)でも、おばさん、ひきつったような顔
してた」
蟻塚徹 「(鼻を気にしながら)時間も間違えてたしね」
蟻塚伸子 「これ、奥さんに渡してくるわ。茶菓子を出されてからではよ
くないもの」
と、アローイの箱を持って席を立つ。
パパはあらためてコンタクトをなくした片目を気にする。
蟻塚育雄 「おい恵、ちょっとパパのほうを見てごらん」
蟻塚恵 「うん」
蟻塚育雄 「そっから見てどう思う? パパの目つきおかしくないか?」
蟻塚恵 「(即答しかね)それより鼻毛が出てる」
蟻塚育雄 「えっ、そうなの」
と鼻の穴に指をやってつまみ、一気に引き抜く。
蟻塚育雄 「うっ」
と、根元に肉らしきものをつけた十数本の鼻毛。
それをガラス製の灰皿へ捨てるパパ。
蟻塚恵 「いっぺんに抜くことないのに」
と、鼻を押さえてうずくまるパパを見る。
蟻塚育雄 「でも、これでどうだ?」
と、再び上体を張るパパ。
蟻塚恵 「あ、鼻血が出てる」
そこで雑誌「寺庭婦人」をめくっていた徹が顔を上げる。
蟻塚徹 「パパ、ぼくに寄り添ってくれるのはうれしいけど、そこまで
まねしなくていいよ」
必死に鼻血を拭くパパ。
最初からはっきり指摘するべきだったと後悔する恵。
蟻塚恵 「もう大丈夫だと思うよ、パパ。ただその目つきだけど、片目
をつきだすような変てこな見方はやめたほうがいいと思う。
どっちに焦点があるのかわからず、相手に不信感を募らせる
だけだもの。ひょっとするとまぬけな人だって思われるかも
しれないし」
ショックを受けた様子のパパは目の周辺を揉む。
蟻塚育雄 「じゃあ、これでどうだ?」
その表情は基本的に変わらない。
蟻塚恵 「まだやるつもりなの。コンタクトを落としたって先に言えば
いいでしょ」
蟻塚育雄 「そうか、そんなにみっともないのか?」
パパはどうやら本気らしい。
蟻塚恵 「だってそうすれば苦労することないし、同情されて相手の心
へ飛び込んでいきやすくなる。私が心配そうに口にすれば、
よけい効果的かも」
蟻塚育雄 「力になるなあ、恵は」
なんとなく心細くなる恵。
反対側で徹がいびきをかいている。
シャンデリアがふと揺らめく。
○ 同・キッチン
お寺特有の広い台所。
芳江さんがティーカップを乗せたお盆、ママが皿に分けたケーキを
受け持つ。
○ 同・応接間
芳江さんと蟻塚家の四人はすっかりくつろいだ雰囲気。
テーブルには紅茶と食べ尽くされたケーキ。
阿久津芳江「あゆみさんところのケーキは本当においしいわ。(不自然な
瞬きをする育雄に向かい)ご主人、コンタクトをなくされて
不自由ありませんか。まさか味覚までアンバランスじゃあり
ませんよね」
と、笑えないジョーク。
蟻塚育雄 「お気遣い、ありがとうございます。こうして阿久津さんにお
会いすることと比べたら、まして夕食の誘いまで受けたから
にはそんなもの取るに足らない問題です。今日の私はもっと
確かな未来、もっと慈愛に満ちた世界を見渡せそうな予感が
します。みなさんと少しでも多くの時間を共にすることが、
今の私に必要なことだと信じているのです」
と、焦点のずれたパパ。
ママまでうるうるしている。
徹が皿についたクリームを指で舐め、恵はその脇腹をつねる。
阿久津芳江「まあ、その言葉はうちの阿久津がくるまでとっといてくださ
いまし」
そのとき、廊下の奥から奇声が。
顔色を変えた芳江さんがドアの外へ飛び出す。
パパとママ、そして恵と徹も後に続く。
○ 同・キッチン
よれよれの作務衣を着た老人がテーブルにむしゃぶりつく。
口に何やらくくみ、駆け寄った芳江さんがその背をさする。
阿久津芳江 「勝手に食べたらだめでしょ」
と、耳元へ大きな声。
阿久津芳江「一人で歩きまわっちゃいけないと、お医者様から注意された
ばかりでしょ」
阿久津修 「なんじゃ、なんじゃ。おまえたちだけうまいもの食いおっ
て、このわしには何も食わせんのか」
阿久津芳江「それじゃ、この器に残ってる分だけですよ」
と、再び老人の背中をさする。
一帯にぷ~んと漂ってくる匂い。ラッキョウだ。
顔をしかめる恵と、ものほしそうに見つめる徹。
とまどい気味のパパとママ。
蟻塚伸子 「ご住職のお父様でらっしゃいますか?」
阿久津芳江「ええ、おばあちゃんが亡くなってからすっかりボケちゃいま
して、先代の住職の阿久津修と申します。以前の温厚ぶりは
影をひそめたのに大好物だけは変わりませんの」
ぎこちなく立つ蟻塚一家。
阿久津芳江「ご心配には及びませんので、どうぞ部屋のほうへお戻りくだ
さい。いつも食事は別にしておりますし、私たちはもう慣れ
っこですから」
頭を下げ、ぞろぞろ廊下を戻っていく蟻塚家の四人。
阿久津修 「(ふと振り返り)なんじゃか、甘ったるい匂いがするのう」
○ 凌心寺・駐車場
ふらふらとやってくる高級セダン。
木々の間から、ネコを紐でひきながら見つめる少女・阿久津祥子。
○ 阿久津家・応接間
ドアを開け、僧服のまま顔を出す阿久津豊。
阿久津豊 「やあやあ、これはこれは、まったく申し訳ない」
あわてて立ち上がるパパとママ。
阿久津豊 「どうぞそのままで。私も平服に着替えてまいります、ウィ」
と、あっという間に立ち去る。
○ 凌心寺・境内
山門の横からビデオカメラを抱えた少年・阿久津敏が現れる。
境内の真ん中でネコをひく祥子と合流し、玄関へ向かう。
○ 阿久津家・応接間
ソファにどかっと座る、開襟シャツ姿の阿久津豊。
子どもたちはすでに退席している。
阿久津豊 「ところで芳江、ケーキを頂戴したそうじゃないか」
阿久津芳江「はい、アローイの」
蟻塚伸子 「先にいただきました。あゆみさんからもご住職によろしくと
のことでした」
阿久津豊 「その住職はやめましょうや。今日は『連の会』の件でお会い
しておるはずですからな」
阿久津芳江「あなたにも今ケーキとお茶を持ってまいります。みなさんも
お代わりをいただきましょう」
阿久津豊 「それがいい。こんな商売しておりますが堅苦しいのはあまり
好きでないんでな。ブレイコ、ブレイコ、ブレイコがいい」
蟻塚育雄 「ぶ・れ・い……こ?」
阿久津豊 「おお、ご主人。やっと口を利いてくれましたな。これは私の
口癖でして、つまり休息つうことです」
蟻塚育雄 「ああ、ティーブレイクのあれですね」
阿久津豊 「そのとおり! それ以上の深い意味ありませんからな。今晩
はみなさんと夕食もご一緒できると聞いとりますし、お尻の
時間を気にすることなく無礼講でまいりましょう。したがっ
てブレイコ、ですわ」
蟻塚育雄 「はあ」
阿久津豊 「じつは私、午前中から突然出かけたまま、ろくなもん食っと
らんのです。ウィ、わかりますか」
蟻塚育雄 「はあ」
阿久津豊 「はあはあ、ちいちい」
蟻塚育雄 「えっ?」
阿久津豊 「ご主人とは今日、ぞんぶんにお話ししたいですな」
○ 同・キッチン
メロンの並ぶ大きなテーブルに恵と徹、敏と祥子が向かい合う。
その出で立ちも食べ方も対照的で、どことなく気詰まりな雰囲気。
阿久津敏 「きみらのお父さんの運転、すごいな。スタントマンになれる
よ」
蟻塚徹 「あ、見てたんだ」
阿久津敏 「祥子から聞いたのさ」
蟻塚徹 「(自慢げに)パパはウルトラマンとも共演してるからね」
そこで徹の脇腹をつねる恵。
蟻塚恵 「祥子さんはあそこにいたの?」
阿久津祥子「ううん。林でフーちゃんと遊んでた」
阿久津敏 「きみらがどういう用事できたのか知ってる。たくましいお父
さんがここで働けるといいね」
と、空のカップを手に席を立つ敏。
阿久津敏 「祥子、紅茶のティーバッグってどこにあるか知ってる?」
阿久津祥子「右の戸棚の中」
敏が戸を開けると、手前にラッキョウの大きな壜詰めが見える。
蟻塚徹 「(目ざとく)あっ」
阿久津敏 「何かあった?」
蟻塚徹 「それ、すごくでかい瓶だね。さっきおじいさんがおいしそう
に食べてたよ」
阿久津敏 「よかったらきみもつまんでみる?」
蟻塚徹 「え、いいの。家の人に怒られるんじゃないかなあ」
阿久津敏 「全然平気さ」
蟻塚恵 「だめでしょ、徹。メロンと一緒に食べたらまたお腹をこわす
に決まってる」
阿久津敏 「メロンとラッキョウが食べ合わせって聞いたことないなあ」
蟻塚恵 「すいません。弟は食い意地が張っちゃってるみたいで」
阿久津敏 「遠慮することない。徹くんはひょっとしてこれ好きなの?」
蟻塚徹 「(恵の脇腹攻撃にもめげず)うん大好き」
阿久津敏 「うれしいなあ。ラッキョウを好きだなんて言ってくれる友だ
ち、これまでいなかった。よし、みんなで食べよう」
がっくり肩を落とす恵。
○ 同・応接間
阿久津豊 「だから否定するのは二回がベストなんですわ」
蟻塚育雄 「(それに応じ)三回以上は現実が見えなくなり、一回だと現
実を取り違え、否定しないと現実に埋没する。しかし二回で
あれば現実としっかり交わり、これを変えることができる、
というわけですね」
阿久津豊 「素晴らしい! あなたはふだん、どんな音楽を聞いておりま
すか?」
蟻塚育雄 「全然詳しくありませんが、モーツァルトは好きなほうです」
阿久津豊 「そんなクラシックでなくもっとミーハーなやつ」
蟻塚育雄 「はあ。大学時代はももいろクローバーにはまりましたが、近
ごろはほとんどCDを買ってません」
阿久津豊 「うむ、そうなのか」
と、ちょっと不満な表情。
蟻塚育雄 「そういえば癒し系の音楽に凝ったことがありました」
阿久津豊 「マジか」
蟻塚育雄 「しかしときどき聞くと演歌なんかもいいと思います」
阿久津豊 「なに」
蟻塚育雄 「あっ、持ってるCDの枚数でいうとやっぱりミスチルとか浜
崎がいちばん多いかもしれません」
阿久津豊 「もう答えなくてよろしい」
蟻塚育雄 「すいません」
ここで初めて煙草に火をつける阿久津豊。
阿久津豊 「(過去を思い返すように)私は、十代から二十代にかけてヘ
ビメタひとすじだった。寺に戻る前は『ドクロ』というバン
ドでギターをやっておった。トトロやキロロでなくココロと
かホクロでもないぞ。ドクロだ。この意味があなたにわかり
ますか」
蟻塚育雄 「さあ」
阿久津豊 「私は近いうちにNPO版『ドクロ』を発足させたいと考えて
いる」
蟻塚育雄 「はあ」
ここで鼻からぷかっと煙草の煙を出す阿久津豊。
阿久津豊 「というのは冗談」
蟻塚育雄 「そう思いました」
阿久津豊 「ほう、本当にそうかな」
蟻塚育雄 「さあ、どっちでしょう」
ここで、煙草の先で小さな毛が焦げるのを不思議そうに見やる阿久
津豊。
阿久津豊 「ボランティアとは、とっさの問題なんじゃ」
と、むせながら育雄の顔を見る。
○ 同・子ども部屋
階段を上がってくる阿久津兄妹と蟻塚姉弟。
蟻塚徹 「わあ、でっけえ」
と、遊戯施設が置かれただだっ広い共用スペースへ。
両サイドには同じ大きさの兄妹の個室。
阿久津敏 「徹くんはこっちへこいよ。恵さんは祥子の相手をしてやっ
て」
と、それぞれの個室へ導く。
○ 同・祥子の部屋
本棚にぎっしりと並ぶコミック。『めがねのフーちゃん』も全巻が
揃っている。
ベッドの横にはなぜか裸のマネキン人形。
蟻塚恵 「(不思議そうに)あれはなに?」
阿久津祥子「あたしのフーちゃん」
蟻塚恵 「さっき、外で遊んでた?」
阿久津祥子「あれはネコのフーちゃん」
蟻塚恵 「ふ~ん。(深く考えまいと)マンガ、読んでもいい?」
と、壁一面の本棚へ近寄る。
あれこれ物色するうち背後でガサガサという音。
恵が首をひねると、衣装ケースから赤いドレスを取り出す祥子。
一生懸命、マネキンを着せ替えようとしている。
蟻塚恵 「きれいなドレスだね」
阿久津祥子「お客さんがいるから」
蟻塚恵 「そうか。(話題を変えようと)男の子たち、どうしてるかな
あ」
阿久津祥子「気になる?」
蟻塚恵 「まあね」
阿久津祥子「こっちへきて」
と、押し入れの扉を開ける。
現れたのはテレビモニターやノートパソコン。
画面を見て驚く恵。
そこに映るのは隣の部屋で遊びに興じる徹と敏の姿。
祥子がキーボードを叩くと映像が切り替わり、ガッツポーズをとり
シューティングゲームをやる徹と、操作卓の前で何やらビデオ編集
する敏。
蟻塚恵 「敏くん、全然気づいてないの?」
阿久津祥子「どうかな」
蟻塚恵 「祥子ちゃん、すごいじゃん」
阿久津祥子「このアングルはどう?」
蟻塚恵 「なにこれ」
事態はどんどん進行しているよう。
下半身裸となった徹と敏がお互いのチンポコで格闘をはじめる。
ときどき匂いも嗅いでいるみたい。
固まる恵。
阿久津祥子「どう? 恵ちゃん」
弾かれたように部屋を出る恵。
にやっと笑う祥子。
○ 同・廊下
猛然と階段を降りてくる恵。
トイレから出てきたパパとばったりぶつかる。
すがるような眼差しの恵。
○ 同・敏の部屋
個室のドアを開け、仁王立ちのパパ。
徹が駆けてきて共用部屋へ隠れる。
下半身を出したまま操作卓の前でうなだれる敏。
大画面モニターに倍速再生で映る男の子の成長記録。
近づいたパパが敏の頭をこづく。
蟻塚育雄 「……気になるのはわかるけど、こんなもの気に入ってはだめ
だ。世の中にはもっといいものがたくさんあり、これが他人
のためにあることをわかるときがくる。男だけでは手に負え
なくなるのがオチなんだから」
と、笑いながら敏の一物へ目をやる。
蟻塚育雄 「いいか、これを見てみろ」
と、周囲をうかがいズボンを下ろす。
そこにはうっそうと繁る汚らしいそれ。
蟻塚育雄 「どうだ不潔だろ。男同士でこんなもの好きになるのは何か損
してると思わないか。第一、しょっぱそうじゃないか。女の
子のはもっと甘酸っぱくておいしんだぞ」
たちまち敏の体が崩れ落ち、パパの股間へ顔をうずめる。
蟻塚育雄 「こらッ、バカなまねはよせ」
と敏をひきはがし、みぞおちを蹴っ飛ばす。
泣きじゃくる敏を心配そうに眺め、衣服を身に着けさせるパパ。
パパの肩に腕をまわした敏はしゃくりあげるようにつぶやく。
阿久津敏 「だ、だれもぼくの気持ちをわかってくれないんだ」
蟻塚育雄 「(いたわるように)そんなことない。人の気持ちをわかるの
は簡単じゃないだけさ。だから他人をあんなふうに巻き込ん
ではだめだよ」
阿久津敏 「うん」
と、パパの頭の後ろでVサインを差し出す。