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深夜3時、僕たちはラジオでつながっていた

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2006年4月16日

その日、僕はあるラジオ番組の公開収録に参加していた。
公開収録中に、パーソナリティーが客席にいた僕に気づいてくれて「あの~、ちなみにあなたお名前は?」と突然マイクを向けてきた。

僕が「ブーメランチャンネルです!」と答えると、客席にいた大勢のリスナーが「おおーー!!」と声をあげてくれた。

パーソナリティーのその粋な計らいがすごく嬉しかった。
大昔の事だけど、あの日の出来事は今でも鮮明に覚えている。

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お笑い芸人がやっている深夜ラジオ番組といえば、TBSラジオのJUNKが有名だ。
現在も、伊集院光、爆笑問題、山里亮太、おぎやはぎ、バナナマンがパーソナリティーを務め、多くのリスナーから支持されている。
そんなJUNKだが、2005年から2008年までの期間は2部制であった。
深夜1時~3時までの枠が「JUNK」で、3時から4時までの枠が「JUNK2」というブランド名で番組を放送していた。

当時のJUNK2のパーソナリティーは、笑い飯、波田陽区、陣内智則、スピードワゴン、原口あきまさ&はなわが担当していた。
どの番組も好きで、僕は全ての番組に投稿していた。

そんなJUNK2の中でも火曜日に放送されていた「火曜JUNK2 波田陽区の中までテキーラ!」は、僕にとって特に思い出深い番組だ。
中までテキーラはネタコーナーが充実していて、投稿者としては腕の鳴る番組だった。
ネタを読んだ後の波田さんの返しもとても面白くて、深夜3時過ぎにゲラゲラ笑っていたのを覚えている。
そういった事もあり、ハガキ職人から人気のある番組でもあった。
その証拠に様々な番組で活躍する常連ハガキ職人たちが波田さんのラジオには投稿していて、有名職人の名前が毎週ラジオから流れてきた。
そして僕もこのラジオに夢中で投稿していたリスナーの一人であった。

ありがたい事に、ほぼ毎週番組でネタを採用してもらっていた。
中までテキーラの番宣CMで、自分のネタが使われたりした事もあって本当に嬉しかったのを覚えている。
そして毎週ラジオに投稿しているうちに「いつか波田さんを生で見てみたいな」と思うようになった。

それから数ヶ月後。
波田さんが「波田頭区」というトークライブをやっている事を知った。
僕はすぐにチケットを購入した。

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波田頭区当日。
ライブ会場となった中野twlに僕は向かった。
ライブが始まり、毎週夢中で投稿していた大好きなラジオ番組のパーソナリティーが目の前に現れた。
いつもラジオから流れてくる「あの声」が目の前から聴こえてきた。
本当に夢みたいな時間だったし、興奮せずにはいられなかった。
写真撮影OKのライブだったので、ライブ中に何枚かシャッターを押した。
その時の写真がこちら。
懐かしいな。

ライブ終了後、たくさんのファンが波田さんを出待ちしていた。
僕もその輪に混ざり、波田さんと写真を撮らせてもらった。
ドキドキしながらラジオネームを伝えたら、波田さんが僕の名前を覚えていてくれてすごく嬉しかった。

憧れのラジオパーソナリティーに直接会えた事で投稿熱もさらに高まり、僕は波田さんのラジオへ今まで以上に力を入れて投稿するようになった。
そしてラジオへの投稿を続けながら、波田さんのトークライブにも何度か参加させていただいた。
ライブ後に毎回出待ちをして、写真を撮らせてもらったり、お話しさせてもらったりするのが何より楽しかった。
波田さんは本当に腰の低い方で、いつもすごく丁寧に、そして優しく接してくれた。
その時に撮ったツーショット写真は、今でも僕の大切な宝物だ。

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2006年4月16日

この日僕は「火曜JUNK2 波田陽区の中までテキーラ!」の番組開始一周年記念イベントが行われた、原宿のKDDIデザイニングスタジオにいた。

満員のリスナーが見守る中、波田さんがステージに登場した。
まずは客席を見渡しながら波田さんがフリートークを始めた。
その時、前方の席に座っていた僕と波田さんの目が合った。
すると次の瞬間、波田さんが「あの~、ちなみにあなたお名前は?」と僕にマイクを差し出してきた。
僕が「ブーメランチャンネルです!」と答えたら、客席のリスナーの方々が「おおーー!!」という歓声をあげてくれ、たくさんの拍手までしてくれた。
波田さんも僕の顔を見ながら「ブーメランチャンネルさん!ありがとうございます!嬉しいですね~!」と言ってくれた。
トークライブで何度か波田さんを出待ちをしていたから、多分僕の顔を覚えていてくれたんだと思う。
粋な計らいをしてくれて本当に嬉しかった。
リスナーの方々も温かい反応をしてくれてとても感動した。

そしてこの公開収録の模様が、中までテキーラで後日放送されたのだが、なんと波田さんと僕のこのやり取りの部分がオンエアされた。
波田さんはその日のラジオで「意外になんかね、その職人もいっぱい来てくれて、嬉しかったね~!あっ、ブーメランチャンネルってこんな顔してんだ!と思うと、なんかその読んでる時も興奮するし!」と言いながら僕の話をしてくれた。
この日のラジオ音源は今でも大切に持っている。

そんな公開収録が終了して僕が席を立とうとしたら、何人かのリスナーの方が僕に声をかけてくれた。
写真を一緒に撮ってほしいと言ってくれる人もいた。
波田さんがイベント中に僕に声をかけてくれたおかげで、いろんなリスナーさんとつながる事ができた。

その当時は今みたいにSNSがない時代だった。
今ならツイッターなどを通してリスナー同士が交流する事も出来るが、当時はリスナー同士が交流する手段なんて何もなかった。
だからこうやって直接リスナーの方と顔を合わせて、そして会話ができて本当に胸が熱くなった。
いつも一人ぼっちで聴いていた深夜ラジオだったけど、公開収録の会場に集まった多くのリスナーを見て、そして直接会話をして「僕たちはラジオでつながっていたんだな。」って思った。
当時はradikoもまだなかったから、タイムフリーという概念がなかった。
だからあの日会場に集まったリスナーは、深夜3時から放送されるこのラジオを生で聴くか、もしくはわざわざ録音して聴いていた「本当にラジオが好きで、波田さんの事が好きな、熱いリスナーの集まり」だったと思う。


あの日あの会場にいた全員が、深夜3時から放送されていたラジオ番組を通してつながっていたのだ。

ラジオっていいなって思った。
年齢も性別も住んでいる所も全然違う人間が、こうやって一つになれるのだから。

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2019年11月
「波田陽区の中までテキーラ!」が終了して10数年後。

昔投稿していたラジオ番組の事を時々思い出す事がある。
この日もふと、中までテキーラの事を考える時間があった。
そして「波田さんて、今ラジオやってるのかな?」と思い、radikoの検索ワードに「波田陽区」と入れてみた。

すると「KBC長浜横丁イカ焼きカンナ」という福岡のラジオ番組がヒットした。
久々にラジオで波田さんの声を聴きたくなり番組を聴いてみた。
本当に懐かしくなって、また波田さんに自分のメールを読んでほしいなと思いすぐに投稿した。

そしてそのメールが番組で採用された。
10年以上振りに、波田さんが僕のメールを読んでくれたのだ。

「東京都のブーメランチャンネル行きましょう!」

ラジオから僕の名前を呼ぶ波田さんの声が聴こえた。
中までテキーラに投稿していた当時を思い出し、本当に胸が熱くなった。
僕のネタメールを読んだ後に波田さんが「うまいね~、おもしろいね~!」と言ってくれた。
流石にもう僕のラジオネームは覚えていないと思うけど「ネタがおもしろい」と言ってくれた事が、ラジオ投稿者としては何より嬉しい一言だった。
そしてその時に読まれたネタが優秀賞に選ばれて、ノベルティグッズのサイン入りの手ぬぐいが後日僕の元へ送られてきた。


10数年前に、深夜3時のラジオでつながっていた波田さんと、時を超えてまたラジオでつながれて嬉しかった。

何年経っても色褪せないラジオの思い出。
「波田陽区の中までテキーラ!」は終わってしまったけど、あの当時の思い出は今もずっと僕の心の中で生き続けている。
これからもずっと。

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