マガジンのカバー画像

ニック・ランド『絶滅への渇き』

13
ニック・ランドの『絶滅への渇き──ジョルジュ・バタイユと有毒性ニヒリズムThe Thirst for Annihilation──George Bataille and Viru…
運営しているクリエイター

#フランス現代思想

ニック・ランド『絶滅への渇き』第七章「牙を持つヌーメノン(サイクロンという受難-情…

「牙を持つヌーメノン(サイクロンという受難-情熱)」  最高概念は、それを伴って超越論哲学…

ニック・ランド『絶滅への渇き』第六章「嫉妬に満ちた時間の憤怒」

「妬みに満ちた時間の憤怒」  あなたはほかの神を拝んではならない。主は名を妬みといい、妬…

ニック・ランド『絶滅への渇き』第五章「死せる神」

「死せる神」 涙にむせぶ亡霊 おお 死せる神 窪んだ一つの目 濡れた口鬚 一本だけの歯 おお…

ニック・ランド『絶滅への渇き』第四章「復活祭」

 「復活祭」 ある意味では、世界はいまだ、根本的な仕方で、明確な限界のない内在である(そ…

ニック・ランド『絶滅への渇き』第三章「侵犯」

 「侵犯」  自由が現実的な形態と情熱にまで高められ、しかもそれがどこまでも理論的でしか…

ニック・ランド『絶滅への渇き』第二章「太陽の呪い」

 「太陽の呪い」  太陽の光エネルギーの重要な部分を際限なく利用しているのは、地上にある…

ニック・ランド『絶滅への渇き』第一章「健全な哲学の死」

「健全な哲学の死※1」  カントの大発見──しかし彼が決して認めなかったこと──は、必当然的な(apodictic)理性は認識とは相容れないということであった。そのような理性は「超越論的」でなければならない。この言葉は熱狂的に宣伝されてきたのだが、それはカントが同時にこの言葉を誤読する方法を提供したからに他ならない。超越論的であるとは、現実から「自由」になることである。これは確実に、西洋哲学の歴史において最も華麗な婉曲表現である。  批判哲学は、「理性の真理」を虚構として、

ニック・ランド『絶滅への渇き──ジョルジュ・バタイユと有毒性ニヒリズム 』序文

 悲劇の芸術家の奥深さ。それは、その美的本能がより遠くの結果を探求すること、最も身近なも…