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仕事への接し方

仕事に生きがいを感じてない

上司や社長が見たら怒り出しそうな見出し。
しかし、あえて宣言する。

仕事に生き甲斐なんて求めてない。

あくまで生活をする上で致し方なしにやっているだけ。
大半の人はそうであると思っている。

だからといっていい加減にはやっていない。
やることはやるし、求められていることはこなす。
ただ、限度がある。

期待されすぎている?

自意識過剰といわれると思うが、他のチームや部の同格職制と比較したら、負ける自信はない。
求められるレベルは意識して先手を講じることもできる。
それ故に期待されているが故にハードルが毎々上がっているのかもしれない。

「今月までに売上をあとxx円あげなきゃならないが、あの件どこまで進んでいる?」

そんな案件知りませんけど?
いつ私のタスクとしてやることになってました?
まさか、メールでccで入っていたろとか言いませんよね?

こんなやりとりが2週間に1回くらいの頻度で起こります。

こうなると、
「でも会社としてやっていかなきゃならないから、やれ」
となり、納期、タスクを言い忘れた上司の過失であっても事実を知った以上は期日まで追い詰められます。

と、ここで疑問。
他にも駒はいるでしょう?何故、私?
腰巾着のように付いてくるやつ、yesマン、もっと信仰深い方はいるでしょう。
その方々に言えば良いのでは?

答えは簡単。
結果が出ないことわかっているからでしょうね。

無理ゲーでも何もできずにゲームオーバーも癪なのでラスボスのHPゲージを7割くらい削る努力はする。
そんな性格がいけないのか。

忠誠心

生憎、社会人になってから忠誠心などささげたことなどない。
強いて言うなら家族に経済的格差で不自由をさせたくないという使命感のみ。

業績、上司たちの評価、査定、正直興味ない。
新興宗教なら他でやってほしい。
私はあなたのために働いてなどいない。

信心深い人を求めているなら、採用オファーシートに
会社、上司に全てを捧げることとかいて欲しい。
そうすれば、意識の不一致での離職者も防げる。
win-winではないか。

社蓄奴隷を欲しているのであればいいではないか。

もう少し気まぐれでなく論理的にやっていくところを探す他ないのかもしれない。
お国柄ですかね。

こう振り返ると日系企業のそこをなんとかという無理強いは、無理なんだろうなと感じる今日この頃。

家族への感謝の気持ち

不平不満をただ書き連ねていてはただの落書き。
こんな環境に置かれていながら、見捨てずに毎日帰りが深夜になっても待ってくれている妻。

平日ろくに話ができないのに、帰ってきたら目につくところに学校で習った折り紙、工作など力作を置いて披露してくれる子供。

見捨てずに家族の一員として認めてくれていることに感謝しかない。

労働者の権利

企業側からは、稼げるんだからもっと仕事をしていればいいじゃん、昇進させてあげるんだからもっと働きなよ。
頑張ったら頑張った分、対価は与える。私はその点約束する。

ありがたい言葉を社長直々に頂けるが正直お腹いっぱいです。

私の忠義はあなたや会社にあるのではなく家族です。

薄給でサービス残業しているところ拾い上げてもらった恩義はあるが、過剰期待値に応えることはできないので会社を去る決断をしたいと思う。

会社の中身を変える気はない、従属する身なので合わなければ環境を変える。

会社なんてあくまで私の労働力、能力をアウトプットする場である。
能力が会社に見合わずに解雇するいわゆるリストラはよく聞く。
だが、雇う側だけが行使する権利ではない。
働く側にも権利がある。

自分の能力を発揮するに値しないと判断すれば去る権利を行使する。

さて、次のことを考えよう。

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