ラス_メニーナス

宮仕えはつらいよ~ベラスケス

 宮廷画家の一番やっかいな点…それは、絵がうまいだけではダメ、ということだろう。

 王室お抱えの画家として、国王一家の肖像画(記念写真)や、装飾用の絵を描くのはもちろん、時として絵とは全く関係ない仕事をやらなければならないこともある。

 祝祭のプロデュースならまだ良い。装飾や、絵を描くもとになる神話や聖書、歴史などの知識が活かせる余地がある。絵以外にも得意ジャンルを持っているなら、大いに仕事の幅が広げられよう。

 上のような可愛らしい<王女マルガリータ>で名高いベラスケスは、王フェリペ4世に気に入られ、宮廷画家として以外にも、役人として様々な仕事を任されていた。

 宮廷の装飾の責任者。これはまだわかる。53歳の時には、王宮の鍵をすべて預かる王宮配室長にまで就き、役人として多忙になる。

 フェリペ4世が、どれほど彼を気に入り、信頼していたかの証でもあろうが、ベラスケスとしてはどう思っていたのだろう。まさか「嫌です」とストレートに言えるはずはない。(それでも、この配室長就任後も、<ラス・メニーナス>や<織女たち>など大作をてがけている)

 だが、それまでの画家が「職人」として扱われていたことを思えば、「貴族」として、王の側近として扱われる、この待遇は夢のような話だ。辞退するなど、それこそありえない話だろう。

 宮仕えに限らず、どこか大きな組織に務めていれば、「専門外だなあ」「面倒」と思う仕事でも、やらなくてはならない時がある。それは昔も今も、どこに行っても変わらない。

 それらをこなしながら、本当にやりたい事、というのは何だったのだろう、とふとそんなことを思う。そして、今の自分は、その「やりたい事」ができているのか。それに満足いくだけの時間をさけているのだろうか。 

 1629~31年と、1648年~1651年の二回、ベラスケスはイタリアへと旅行している。

 もちろん、この旅も宮廷画家としての職務の一環で、画家としてのスキルアップと、王室コレクションのための美術品収集という目的があった。だが、ベラスケスにとっては、自分を見つめる機会にもなったかもしれない。

 イタリアの明るく柔らかな光と、その下で見る美しい色彩は、新鮮だっただろう。他にも、スペインの宮廷では見られなかったものが多くあったことは、想像にかたくない。

 そして、彼は二回目のイタリア旅行の最中に、一枚の絵を描きあげる。

 <鏡のヴィーナス>である。

ベラスケス、<鏡のヴィーナス>、1647~51年

 厳格なカトリック国であるスペインでは、裸体画を描くことが忌避されていた。「わいせつな絵を描いた」とみなされた画家は、異端審問所によって罰金を課せられたり、国外に追放されたりする目にもあったほどである。

 しかし、抜け穴もあった。王侯貴族は立ち入り禁止のコレクションルームを設け、ティツィアーノやルーベンスなど外国の画家が描いた神話画を多く所持、こっそり鑑賞していたのである。

 ベラスケスも、異端審問所の目の届かない異国で、これまでに見た裸婦像を踏まえながら、この後ろ姿のヴィーナスを描き出した。が、やはりイタリアのヴィーナス像とはどことなく違う。

ティツィアーノ、<ウルビーノのヴィーナス>、1538年

 赤いクッションと白い敷布の上にゆったりと横たわるティツィアーノのヴィーナス。ほんのりとバラ色に染まり、体温も感じられそうだ。

 対するベラスケスのヴィーナスは、どことなくひんやりしている。青い敷布と、白い裸体のコントラストのせいもあるだろうか。こちらに背中を向け、顔は鏡にぼんやりと映るだけで細部はよくわからない。神話の中の存在というよりも、服を脱いだ現実の女性のようだ。実際に、モデルは、イタリア時代のベラスケスの愛人、という説もある。


 華やかな宮廷生活。王からも信頼され、地位と名声も得ている。

 外から見れば大出世。自分自身、昔は想像もしなかった物を手にしているのは事実だ。

 だが、宮廷は規則づくめ。(特にスペインの宮廷儀礼の厳格さは有名)

 絵を描いていればよいだけでもない。

 絵の仕事、特に肖像画についても…モデルとなる王室の人々は美形の方が稀だ。

 特にこの時期のスペイン=ハプスブルク家はひどい。近親婚が続いたせいで、皆同じような顔をしている。

 国王フェリペ4世は、白茄子のように長い顔のくたびれたおじさん。

 王妃マリアナは、不機嫌を隠そうともしない。

 ベラスケスの肖像画では、お人形のようにかわいいマルガリータ王女も、成長すると…。

デル・マーゾ、<婚礼を前に、喪に服す王女>、1666年


 長い顔の中で、ぼってりした赤い唇がやたらと目立つ。(彼女の叔父で、従兄でもあった夫(!)レオポルト1世(下)は、もっとひどい)

フォン・ブロック、<レオポルド1世> 


 お世辞にも美形といえない人たちの肖像を、それなりに見られるように、王族らしい威厳を付加しながら、仕事として何枚も描かなければならなかった。

 そんな日々を思うと、ベラスケスにとってイタリアでの日々は、まさに長い楽しい夏休みのようなものだっただろう。

 しかし、夏休みは夏休みだ。ゆくゆくは本業に、宮廷に戻らなければならない。

 フェリペ4世からの「早く戻ってこい」コールに追われ、ベラスケスは後ろ髪を引かれる思いでイタリアを後にする。

 このイタリア旅行と、公務での国内出張を除いて、ほとんどを彼は宮廷(会社)で過ごし、出ることがなかった。画家としてのキャリアも、ほとんどが宮廷画家としてのものだ。

 そんな彼は、1660年、王女マリア・テレサ(マルガリータ王女の異母姉)の婚礼準備を取り仕切った後、病死する。わかりやすく言えば、過労死だ。 だが、どんなに疲れがたまっていても、彼は「引退する」ということを考えただろうか。

 現代、会社をやめてフリーで働く生き方が増えているが、そんな彼らの生き方はベラスケスにはどう映るのだろう。

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