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見る必要のない雑記(IT界のゴミ)


かき氷食べたこととは関係ない雑記です。読む価値はほぼないと思います。と宣言しておけば、僅かながらいいことを書いた瞬間に株があがるのではないかと目論んでいます。でも書けないですね今日は完全に。脳みその稼働を止めてますから。台風が来ています。西日本に台風が。東日本も余波で雨。3連休なのに。だけど3連休かどうかもイマイチはっきりわかってなかったので、特に予定もないし逆に台風を言い訳に暇が許されるかな、なんて思っています。たそがれていてもOKな感じです。OKバブリーな感じですと書こうとしましたが、平野ノラが消えきったときに、この1行は一体何なんだと自分でもいたたまれない感情になることが容易に想像できたのでやめておきました。この判断は正しいと痛感する未来が私には見えます。

ここに来て初の改行。

私は文章を書くとき、句読点の位置や変換、改行、行間やフォントをそこそこ意識しています。心で音読したときのリズムとかテンポも大事にしたいんです。そんな私がここに来て初の改行。セオリーと違う。ですので本日は相当な雑記でしょう。雑記の中の雑記。私がこの雑記を何も知らず見たら、この人は病んでいるのかなと思うレベルです。病んでいる可能性すら感じさせ、そこには学びになる要素が微塵もありません。どうしよう、収集がつかなくなってきているけれど、タイピングをする手だけは止まらない。息をするように、インターネットという海にゴミを量産しています。本当に申し訳ない。正式に、そう、野々村議員ばりに正式に謝罪します。何度も有馬温泉にいってすみません。

ここに来て二度目の改行。

しかしながら、一度目の改行と同じくらいの分量で、再度改行をすることに成功しています。この改行には、何かしらの意図があるのではなかろうか。いや、ない。なかったー!完全になかったようです。ただ単に、書くことがなくなってきて、リズムを変えようとする惰性の改行。そのような改行にも意味をもたせ、意味深にする技を使えないのであれば、世の小説家は、一体どうしてあんなに長文を書けるんでしょうか。上下とかに分かれたくそ長い小説をどうして書けるの?てか分厚い小説重いよ。最近女子のカバンは日に日に小さくなってるって知らないの?バカなの?PCを入れることも悲喜こもごも、命からがらの小さめバックに、さらに分厚いハードカバーを入れたらもうダンベルだろうが。こうやって読書量は減っていきます。だけど電子書籍は嫌いなんだもん。目痛くなるじゃん。あとさ紙をめくる瞬間のわびさびがいいんだよ。えっ、残りこの薄さでこの本オチまとまるの?やばい、これ終わり方グダグダのやつだ。駄作や。うわーん!!みたいなのが察知できるのもよい。三度目の改行はないぞ。もう書き終わったからだ。

ここまで読んだなんてバカだね。すき。





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