見出し画像

9年目の3.11

3月11日の朝、テレビの中で涙を我慢し苦悩しているひとを見た。

大人の男の人、カメラが回っていることも承知の上でそれでも隠せない感情が溢れてしまったように見えた。

その人は東日本大震災の被災者で『いつになったら復興が終わったといえるのか町がもとに戻ることなのか、心がもとに戻った時なのか。9年間ずっと復興といっているがどうなったら復興が終わるのかわからない。』

ずっと見えないゴールに向かって走り続けるしかなく だけど走るのを諦めてしまったらそこから新たに走り続けることが出来なくなるかもそんな綱渡りをずっとし続けているように見えた。

9年前の3.11私は長男がお腹の中にいて仕事は続けていてた時で突然の地震で動揺した。妊娠中ということもありいつもに増して恐怖を感じた。

地震直後に体調が悪くなったので休憩をもらった。

そこでテレビの中の光景を疑った。海で大きな渦がすごい勢いで回っていた。津波の前触れだったということは後から知った。大きな渦が3つ。何か恐ろしいことが起こるということだけわかった。

あのテレビの光景は今でも脳裏に焼き付いているぐらい衝撃的で不安が一層大きくなった。

そして次の日には何もかも波に飲み込まれてしまった風景がどこのテレビにも映し出されていた。私の語彙力では表現できないぐらいなんともいえない感情。

そして当時、私が東日本大震災のために出来たこと。

たった1回3000円の募金のみ。

ボランティアも募金も継続しなければ焼け石に水。でも自分の生活を差し出すほどの余力もなく気づけば9年が過ぎていた。

その間、まだ家族の元に帰れない人や帰ってきていない人を待ち続け探し続けている人が大勢いる。

当事者じゃなければわからないこと、スポットを当てられた人の裏側だって全部が全く終わっていなく時間だけが過ぎていきそれが日常となってしまっている。

それがどういうことなのか。そして、その事実を私の中でどうすべきか考えた。資金の援助は正直言ってしまうと、私の中では自分の生活をキープしていくことで手一杯である。

だからと言って何もしないのも違う気がしていて、この事実を忘れてはいけないと思っている。そしてもっと多くの真実を知ることが必要だと思う。

1年に1回3.11にテレビをみて追悼するだけではなく常に触れていることがもしかしたら復興への私なりの関わり方なのかと。

東北へ行ったのは一回のみで縁やゆかりがあるわけではないが、noteのマガジンを利用して、東日本大震災に関わる記事を読んで共有していく。

直接、復興につながることはないとわかっているし偽善と言われるかもしれないけど少しずつ集めていきたい。そして今度は子供達と一緒に訪れたいと思う。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?