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【‘‘あらゆる認識’’】

-SNSにおける、他者との関わりと向き合い方についての考察-


情報網を張り巡らす上で、SNSの利便性に勝るものはないと思っています。
SNS上での様々なやり取りの中で、あらゆる認識を受容することは、かなりの体力を使うことでもあるし、疲労を伴うものであるということを実感するようになりました。
noteで文章を書く際に、SNSを利用する時にはnoteやTwitter上でのやり取り、もしくは自分の知らない世界を知ることは知見を深める上で有効な方法であるということが言えます。
だが、多くの物事を認識し、受容することというのはそれだけ負担がかかるものだと私は思いました。
発信することは、自分という存在を相手に知ってもらう為には必要不可欠な条件であることは分かります。
発信した後に、こちらは誰かが発信した情報をしっかりと受け止めることが求められます。
そして、繋がりの輪は少しずつ大きく広がっていき、あらゆる認識を受容する機会も増えていくことになります。
私自身はありがたいことに、SNS上ではたくさんの方々との繋がりを広げられてこられたことは、とても感謝の気持ちでいっぱいです。
繋がりの輪が広がりながら、たくさんの方々とのやり取りの中で楽しいことや学びになることがあった反面、SNSとプライベートでの自分には僅かな違いが生じることに違和感を覚えることがありました。
SNSでは、プライベートの自分はさらけ出さずにペルソナとして、また違った人間として演じることに目には見えない負担がのしかかっていることに気付き始めました。
私という存在は、自分の中にいくつも存在している。
それは、仕事やプライベート、SNSでの自分は小さな世界の中で一生懸命に生きて活躍している。
俯瞰的な立場に立つまでの間には、かなりの時間を要したのではないかと感じます。
私という存在は、必ずしも一人であり、何人もいるという幻想は払拭しなければいけないことだと思うようになりました。
SNSでのやり取り、上手な付き合い方というのは未だによく分かってはいないし、何が正解かも分からないものがあります。
模索しながら今は自分のことを第一に大切にしようと思いました。


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