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アイデアを出すのが怖い理由

「こんなことやってみようっていう新しいアイデアってどうやって作ってるんですか?」そう聞かれることがあるので、今日はアイデアについてお話をしていきます。

アイデア
物事の計画・実行などにあたっての新しい工夫や思いつき。考え。

企画
計画を立てること。また、その計画。くわだて。もくろみ。企図。

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アイデアを出すことや企画を立てることは、ハードルが高いものです。
(私だって正直できてる!なんて胸を張れないし堂々とこの記事を書いているのだって恥ずかしくってお布団に潜り込みたい気分です。)

アイデアを出すハードルが高い理由の一つに、アイデアへの否定や批判、失敗への不安があります。けれど何かはじめないと、なにもはじまりませんよね。本記事では、アイデアを出すことの重要性と、否定や批判、失敗に対する恐れを克服する方法について考えていきます。

(※)この記事の大前提として、アイデアを出した時の批判はそもそも、そのものを良くしていく為の議論であって、アイデアを出した人自体を否定するものであってはいけません。これは、チームでしっかり認識を合わせておく必要があります。アイデアを出した人の人格を否定する人がいる場所で、誰もアイデアなんて出したくありません。ここは大前提です。

アイデアを出すことの重要性

そもそも、アイデアをだすって、みんな毎日やってるのではないでしょうか?

私はファッションが大好きなので、例えがファッションになりがちなのですが、「あのボトムにあのトップス併せたらどうだろう」これもアイデアですよね。「気分転換に週末、温泉に行くのはどうだろう!」これもアイデアです。「今夜の夕飯、てんぷら蕎麦と日本酒なんてどぉ?」これもアイデア。

何かを成すためには、何かを考え、実行する必要がありますよね。何もしなかったら、何も始まらない。「おなかすいたな」だけでは夕飯のメニューは決まらないし、お腹は満たされません。だからアイデアを出すって重要だし、なんだったらみんな毎日やってると思うんです。

しかも、アイデアを出すことって「したい!」「してみたい!」「したらどうなるだろう!」という好奇心探求心改善、現状突破といったポジティブなことが多いのではないでしょうか。

(しなければならない妖怪に取り憑かれている場合は別のお話になってくるのでまたの記事で。)

私はサービスのPRのお仕事をしているのですが、PRは同じ訴求を続けてもリーチできる層が決まってしまうため、いろんな訴求を試行錯誤し実行して、多くの方に届ける必要があります。ターゲット間口が狭い場合であっても、例えば「10代:レディースファッション」のPRをする場合も10代のレディースファッションに興味がある子だけがターゲットではなく、親、祖父母ももちろんターゲットになるのです。同じ訴求を続けることで効果を得ている場合もあるのですが、それも”同じ訴求をし続ける”というアイデアがあってのことだと思います。それもすべて、好奇心探求心改善、現状突破のために動いていることです。「もっといろんな人にサービスを届けたい!知ってほしい!使ってほしい!そのためにはどうしたらいいんだろう。こうしてみようそうしよう。」そのために、みんなでアイデアを出し合って作り上げていくのは、最高にハッピーなことではないかと私は考えています。

それに、それは日常におこなっているアイデア出しと似た行動・思考です。

違うのが、自分完結かそうじゃないかです。
自分が着る服を決めて自分で成功だったり失敗だったりっていうのは影響範囲が自分ですよね。夕飯のメニューだってそう。自分の半径2m以内の出来事。それがお仕事となると影響範囲が広がります。
自分自身のことだったら、あーあって思うのは自分で他人からは特に何も言われませんよね。お仕事となるとクライアント、メンバーから批判の声があがります。チームだったらメンバーから、批判を否定ととらえてしまい、”だったらアイデアを出さない”結果、”アイデアを出すのが苦手”につながっていくんだと思います。

アイデアを出すこと自体が苦手じゃないでしょ?

  • アイデアを否定されたらどうしよう

  • 滑ったら恥ずかしい

  • そんなのウケナイだろう

  • 批判されたらどうしよう

アイデアは出せても、そう言った「評価や失敗が嫌」という感情が勝っていませんか?アイデアを出している人だって、もちろんその感情はあります。でもその前に「誰のせい?私のせい?」マインドが大きく立ちはだかっていませんか?

余談にはなりますが、「誰のせい?私のせい?」マインドについて書きます。

「誰のせい?私のせい?」マインド

日常生活や仕事において、問題やトラブルが発生することは避けられません。その際に「〇〇のせい」という責任の所在をたしかめて、自分に原因や責任がないことに安堵する人がいます。安堵することが良い悪いという話ではありませんよ。しかし「〇〇のせい」と責任転嫁や他者への責任押し付けをしたら、問題やトラブルは解決するのでしょうか?気持ちは晴れて楽になりますか?責任転嫁は問題を他者や環境のせいにするだけで、問題とは向き合わず解決策も見出せません。それに対して、自己責任(自責)は自身の行動や選択に対して責任を持つことを意味します。自己責任を持つことは、問題解決において主体性を発揮するので、他者や状況のせいにするのではなく、自身の行動や選択について考え、改善策を見つけ出す努力をすることなので、問題や失敗から学び、成長する機会を得ることができます。
自己責任のバランスを取ることで、より建設的なアプローチを見つけることができます。「誰かのせい?」にしても気分なんて晴れないんで、「現状打開するには何がまずかったんだっけ」「次回同じことをしないためにはどうしたらいいんだっけ」の方がポジティブですよね。

(※)前提で書いたアイデアを出した際に人格否定をされた経験がある人は、他責を求める傾向にあるのではないでしょうか。なので前提はとても大事です。

本題に戻ります。
アイデアを出した際の「評価や失敗が嫌」というのは、アイデアを出している人だって同じです。されたらいやです。それに、出したアイデアが10個中10個成功する人なんてほぼいないでしょう。じゃぁ何が違うのか。

動く?止まる?

アイデアを出してる人、アイデアを出すのが苦手な人、どっちも失敗するのが嫌なのは一緒だけど何が違うのでしょうか。

それはアイデアを出している人は動き続けているのです。小さなアイデアを次々にちょっと小さくやってみてるのです。そのため、うまくいかないことに慣れています。うまくいかないことがあることを知っているんです。

無知の知(*)ではないですが、うまくいかないことを知っていて小さなチャレンジを繰り返すことで積み重なってアイデアが形になっていくんです。

アイデアを出すのが苦手な人は100点満点を狙って動かないでいるので失敗も成功もうまれないのです。100を取に狙いを定めて動いたら、100捕れなかった、この場合手に残ったものは0です。心の傷もきっと100点満点傷つきます。
最終的に100は取りたいけど、失敗する可能性もあるから10くらいずつを繰り返そうって動いた場合、手に残ったものは60かもしれません。でも心の傷は30くらいでしょう。だって手元に60の実績があるんだったら。その成果を他人がとやかくは言わないですよね。胸を張れます。でも実は60得るために300動いている可能性だってあるんです。

(*)無知の知
哲学の父とも呼ばれるソクラテスは「無知の知」という考え方を基本としました。 文字通りの意味は「無知であることを知っていること」が重要であるということです。要するに「自分がいかにわかっていないかを自覚せよ」ということです。「知らないこと」よりも「知らないことを知らないこと」の方が罪深いということです。

https://diamond.jp/articles/-/320410

まとめ

毎日アイデアをだしています。今日の夕食がいまいちだったら、塩がたりなかった?焼きすぎた?明日は塩を増やして蒸してみよう、明日はもっとおいしくたべようと毎日自分を立て直していると思います。どの場面においてもおんなじです。誰かのせいにしてたら解決も成長もしないし、100点を狙ういっきにねらったら失敗したとき100点満点の傷を負います。まずはちっちゃくやってみましょう。それが普通になれば、アイデアを出して動いている結果や成果を少し実感できるようになると思います。

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