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京大・緊縛シンポの研究不正と学術的問題を告発します①ことの始まり

はじめに

はじめまして。日本のサドマゾヒズムとSMを研究している、福岡女子大学国際文理学部国際教養学科講師の河原梓水(かわはらあずみ)と申します。専門は、日本史、歴史学です。

昨年11月、シンポ動画の取り下げをめぐって「炎上」した、京都大学主催シンポジウム「緊縛ニューウェーブ×アジア人文学」(2020年10月24日・京都大学吉田キャンパスで開催。以下、緊縛シンポ)に関して、私はシンポへ批判文を送った者であること、そして、この件について適切な発言ができるのは日本で私のみであろうということから、義務感を感じ、この度ネットの世界に降り立ちました。以下書く内容は、研究者としての私個人の責任によって行うもので、所属先とは関係ありません。

私は、2020年10月24日(土)に行われた緊縛シンポに対面で参加し、その後シンポ内容に関する批判文を主催者に送りました。

シンポで研究者たちが語った内容の学術的誤謬があまりにも甚大であり、これがオンラインで公開され続け、またそのまま書籍として刊行される(当日書籍化するとの説明があった)ことは避けたい、という思いから、主催者の出口康夫氏に、講演内容の学術的問題点を指摘するメールを送付し、同時に、公開されている動画の問題部分を削除する、誤りに関する訂正・謝罪等を掲載するなどの措置を取ってほしい、と要望しました。

皆様もご存知の通り、2021年1月9日現在動画は公開停止されておりますが、その公開停止理由として、私が指摘した学術的問題点には全く触れられることなく、訂正がなされることもなく現在に至っています。

それどころか、緊縛シンポで行われた緊縛ショーの是非や、緊縛が学問として扱われることの是非という、本来関係ない話題に議論がずれ、主催者の出口氏もそのずれに乗っかる形で、緊縛が女性蔑視か否か、女性蔑視批判は学問の自由を阻害しているのではないかという議論に発展しました。

この点に私は、私の行った学術的批判が隠蔽されようとしているのではないか、という危惧を抱いています。それが、この度このような形で文章を公開するに及んだ理由です。

以下、長々と書くことになりますので、まずは内容を要約したいと思います。

①私・河原は、緊縛シンポに「苦情」を送った者の1人である。その内容は「不愉快」や「学問なのか」、「女性蔑視」というものではなく、報告内容の学術的誤り・研究不正(剽窃)、そして主催者側の緊縛当事者に対する加害性=研究倫理上の重大な問題について指摘したもの。この指摘は、主催者である出口康夫氏に直接メールで伝えた。

②緊縛シンポに登壇した研究者は誰も緊縛やSMに関する先行研究を勉強しておらず、素人同然だった。4人の報告者のうち、1人はそもそも緊縛と無関係の報告をした。2人は先行文献から丸パクリした報告をしたが出典を明示しておらず、これは一般的に剽窃と呼ばれる。最後の1人の報告も、報告者のこれまでの哲学研究の主語を緊縛にすげかえただけの内容であり、緊縛研究ではない。学問にみせかけているが、そもそも誤認にもとづいて緊縛を論じているため学術性が極めて乏しい

③動画公開停止に際して、主催者サイドが公開した謝罪文は、「不愉快」という文言が含まれており、シンポ内の緊縛ショーに関するクレームに対応したものという印象を見た者に抱かせ、結果「炎上」することになった。私がした「学術的批判」に触れ、事実と異なる内容があった、などとして動画公開を停止した、と申し開きする道もあったはずだが、今に至るまで出口氏は一切私の批判に触れていない。そして、私が指摘した剽窃・誤った情報の流布についても、謝罪・訂正などの措置を一切取っていない。

以上の3点について、いくつかの記事にわけて書いていきたいと思います。長文になり申し訳ないと思っておりますが、このように細かく批判する理由は、主に2つあります。

第1に、出口氏は本シンポを書籍化すると明言しており、その際に少しでも問題点が修正されることを願って。とりわけ、シンポで語られた緊縛の起源や歴史の説明は、事実無根の偽史であり、書籍化して流布されることは避けたいと強く思っていますし、ネット上での広がりもできるだけ抑えたいと思っています。

第2に、緊縛やSM、サドマゾヒズムに関する健全な研究の進展を願って。私は、緊縛シンポは、研究者が権力的な立場から緊縛を「珍奇な研究素材」として消費するもので、緊縛シンポの路線では、緊縛愛好者をふみにじることのない、まともな緊縛研究の発展は望めないと考えています。緊縛の具体的内容を吟味せず、女性蔑視か否か、といった二項対立的な議論に陥ることは、緊縛や、その関連分野であるSMにおいて論じられてきた繊細な論点をみえなくしてしまいます。一般的な研究分野であれば自浄作用が働くのでしょうが、日本の緊縛やSMに関して、国内で論文を書いているのは数人しかおらず、現在主たる専門としてメインに研究しているのは私のみという状況です。少し詳しめに声をあげる必要を感じました。
以上のような理由から、長文になること、どうぞご寛恕ください。

なお、出口氏は2020年12月9日、Smart Flash記事「『“緊縛”研究は女性蔑視にあらず!』京大教授がYouTube動画へのクレームに猛反論」(最終閲覧日2021年1月9日)にて、緊縛シンポに関するインタビューに答え、動画の公開停止理由について、「批判を受けて公開を取り下げた、というのは正確ではありません」と述べています。

しかし、12月22日付の京都新聞に掲載されたインタビューでは、「不快に思った人の声が寄せられたことを受け、おわびのコメントを出し公開を終えた」と述べており、「クレーム」を受けて動画を取り下げたことを認めています(私も京都新聞のインタビューを受けましたが、記事公開前には自分のインタビュー内容に誤解がないか確認させていただきました)。そのため私は、動画公開停止と、「クレーム」は関係している、という立場を取っています。

京都新聞の記事では、私も緊縛シンポの問題点について語っています。Smart Flashの記事は、出口氏の発言をそのまま検証なく記事にしているように見えますが、京都新聞では、私ともうひとりの研究者からの学術的な批判をもとに、出口氏につっこんだ質問をぶつけています。1ヶ月の取材をもとに書かれた、非常にしっかりした記事です。本記事はネットで閲覧可能となりましたので、ぜひご覧いただけるとありがたいです。会員登録は必要ですが、無料で読めます。

京都新聞記事:京大で緊縛シンポ、ネット配信後の「謝罪」に議論 問われた学問の在り方とは

1.時系列

さて、私は確かに出口氏にシンポの問題点を指摘しましたが、今日に至るまでそのことは主催者サイドから公表されていないので、世間に流布している理解と実態が大幅に異なります。そのため、まずは、時系列を示します。

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10月24日 緊縛シンポ当日。

10月25日   15:21 河原がFacebookに緊縛シンポに対する問題点を書く。

同日 これを見た出口氏の知人A氏が河原にメッセンジャーで連絡。 (河原はA氏とは面識があるが出口氏とは無い)。

10月27日 出口氏とつながりのある知人B氏へ、河原が緊縛シンポの感想をメール。これは、シンポの開催情報を河原に教示くださったのがB氏であるため、礼儀として感想をお送りしたもの。ただし批判点はきっちり書いた。

同日 B氏から返信があり、出口氏に批判内容を伝えたいとの打診がある。メールはB氏にあてたもので出口氏にそのまま伝えるには不適当であったため、改めて出口氏あての文章を作成する。

11月 3日    17:47 河原、知人B氏に出口氏あての批判文を送付。内容は後に示します。(1週間ほど時間がかかっているのは、参照したかった『緊縛の文化史』の在りかがわからず捜索していたため。結局見つからず参照せずに書いたが、その後再注文して剽窃に気づいた)

11月 5日 朝日新聞デジタル(11月13日)と京都新聞(12月22日)の報道によると、この日に動画公開停止が行われた。(なお、河原が公開停止を確認したのは9日であり、本当に5日に公開停止したかは確認できていない。ご存知の方がいればご教示願いたい)

11月 7日 13:37 B氏、出口氏へ河原の批判文を転送(CCで河原自身も確認)

11月 8日 7:24 出口氏から河原(CC:B氏)へ返答。その内容は以下のようなもの。

・「シンポの動画は2週間が過ぎる時点で既に公開を停止し、この後ダイジ ェスト版をアーカイブとして再掲載する予定」(メール原文ママ)。
関係者とも問題点の指摘を共有して、対処を考えたい。
・河原がシンポに批判的な考えを持っていることは、既に知人A氏を通じて聞いている
・書籍化(シンポは書籍化される予定)にあたって、協力してほしい。研究会での報告および執筆者として参加してほしい。
・河原が14日に登壇予定のイベントに遠隔で参加するので、その後この件について相談させてほしい。

11月 9日  緊縛シンポの動画を確認すると、公開が停止されていた。それは良いのだが、プレ対談(私が問題視した緊縛の歴史部分が含まれる。後述)は削除されていないうえ、ページ末尾にひとこと、「シンポジウムの動画の一部について不愉快と感じられた方は申し訳ございません。アーカイブ化に関しては適切な配慮を行なう予定です」とのみ書かれていた(ちなみにこの短い文章が、京大が公表したという最初の謝罪文のすべてである)。                                                 
まるで私の批判が、「不愉快」という感情のみからの非難であったかのような印象操作のように感じ、不愉快になる。

出口氏からの返信メールは一見低姿勢な内容であるが、結局剽窃と誤った情報の訂正についての対応が記されておらず、不信感を持った。ホームページ上の「不愉快」への謝罪もその不審に拍車をかけた。そのため返信はせず、14日イベントまで様子をみることにした。

11月14日 河原、イベント登壇。出口氏現れず。

11月16日 河原、出口氏に協力お断りの連絡。今に至るまで返信は無し。
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以上が、緊縛シンポに関する河原まわりの時系列です。
出口氏は、私の批判を、知人A氏を通じて早くに知っていたと述べていますが、動画の公開停止は、私の批判文メールが直接出口氏に届くより前ですので、公開停止が私の批判に起因するのか、本当に別の「クレーム」1件に対応したものなのかはわかりません。

ただ確実なことは、出口氏は私から「クレーム」ではなく学術的批判があったこと自体、そしてシンポ内容に大きな学術的問題があることを知りながら、その事実を今まで公表せず、謝罪・訂正にも応じていない、ということです。

2.出口氏に河原が送った批判メール全文

以下、私が出口氏に送ったメール本文をそのまま公開します。長いので、ぜんぶ読んでいただく必要はありません。ただ、内容が「不愉快」や「女性蔑視」に関するものではなかった、ということを証明するために全文かかげておきます。

本メールでは、実名であった登壇者(研究者Y氏・緊縛アーチストF氏、縄師K氏)の一部をイニシャルに直し、誤字・脱字を修正、いくつかの文を太字にしたほかは、手を加えていません。さらに、執筆段階ではY氏・F氏報告がマスターK著『緊縛の文化史』(すいれん舎、2013)からの剽窃だと気づいていなかったため、今となっては無駄な指摘をしているところがあります。

文章を仲介者であるB氏に送った直後に、剽窃であることがわかりましたので、もとの文章は直さず、追加で剽窃の指摘をしました。その指摘もB氏がひとつのメールにまとめて出口氏に送信しました。

本メールでは、批判をほぼY氏・F氏の報告に絞っていますが、それはこの報告が歴史学者として最も看過できないためで、そのほかの報告や討論に問題がなかったためではありません。むしろ最大の問題と責任は、主催者である出口康夫氏にあったと考えています。この点も順に書いてゆきたいと思います。

---メール本文ここから------------------------------------------------------------
出口康夫様
福岡女子大学国際文理学部の河原梓水と申します。日本におけるサドマゾヒズム/SMの歴史を研究しております。10月24日に行われましたシンポジウムの内容につきまして、専門家として看過できない点があり、この度お伝えさせていただきます。
この度のシンポジウムは、これまでSMと関連付けてとらえられていた緊縛が、近年海外で人気を博していること、またK氏の近年の活躍を踏まえ、SMという文脈を離れたアートとしての緊縛について論ずるというご主旨のもと開催されたと理解しております。
ただし、内容をおききした限りですと、アートというよりも、むしろSM行為としての緊縛がメインのテーマとなっておりました。そのため、ご主旨とは異なりますが、SMに関する内容であったと解釈し、以下書かせていただきます。シンポジウム全般にわたって考える点はございますが、この度はF氏・Y氏によるご発表「緊縛からKINBAKUへ 緊縛入門ミニ講義」における事実誤認に絞って申し上げます。

本発表で語られた緊縛の歴史は、多くの誤りや未検証の内容が含まれます。細かな事実誤認については数え切れませんので、以下重大と思われる点のみ指摘いたします。
本発表の内容は、基本的にインターネットで得られる情報と、「捕縄術」に関する教本の内容、縄師が執筆した書籍から成っていると推測されます。これらの情報源は、すべて、歴史研究に用いる際には史料批判が必要なもので、そのまま信じてよいものではありません。本発表で語られた「緊縛の歴史」は明確な偽史であり、いたずらに緊縛を武士文化と結びつけ伝統化するもので、これが世に流布すると非常に大きな悪影響を研究・SM業界双方に及ぼします。強く抗議し、内容の撤回を求めます。
以下、パートに分けて問題点を指摘させていただきます。

1.Y氏が担当された「緊縛の起源・発展」~「緊縛の文化化」につきまして
 このパートで説明された戦国期から江戸時代の理解自体、日本史学を専門とする者からすると大いに問題がありますが、私の専門を外れますので時代自体への誤認識については指摘いたしません。
 本パートでは、緊縛の起源が15~16世紀であること、戦国時代に、敵を捕らえて拘束するための捕縄術が発達し、その技術を備えた下級武士が、江戸幕府の成立後「犯罪の取り締まりを担当する行政職」についたと説明されました。

この主張に史料的根拠があるならお示しいただきたいところですが、おそらく無いはずです。戦国期の「捕縄術」が、現代でいうところのエロティックな緊縛の起源と主張するためには、具体的な証拠が必要です。

まず、緊縛の起源として「捕縄術」を想定する場合、前近代社会に多く存在したと考えられる、日常的な縄の使い方と比して、なぜ「捕縄術」だけを起源と考えることができるのか、そこから証明する必要があります。

Y氏は「本縄」の特徴が現代緊縛に類似していることを以て両者のつながりを主張されていましたが、類似点のみでは根拠としては成立しません。似たものがかつてあるから、両者は関係がある、と主張することはできません。これは、ギリシャ神話には記紀神話に類似する話が多くありますが、だからといってギリシャ神話が記紀神話の起源だと主張できないのと同じことです。
また、「捕縄術」は、主に武道家によって研究されていますが、彼らは自身の流派に誇りをもち、顕彰したい気持ちがあるということを忘れてはいけません。彼らのテキストを読む際、「見た目が美しい」などの表現がそのまま信頼できるかは注意する必要があります。

歴史学的な手続きでいえば、捕縄術が現代緊縛の起源だと主張する場合、エロティックな意味での緊縛が開始される第二次世界大戦後の変態雑誌誌上に、捕縄に学んだとの言及がみられなければなりません。

しかし私の知る限り、捕縄に言及する記事はそれほど多くなく、また、「女性を縛るには(捕縄は)美しくないので向いていない」といった言及すらあります。

捕縄術は、水越ひろ氏の精力的な研究によって、2000年代以降、緊縛師にも参照できる状態になりました。私は、K氏をはじめとする現代の緊縛師が水越氏の著作から捕縄の技術を学んだこと自体を否定するものではありません。しかし、それは起源とは別の話です。

さて、Y氏は、江戸時代においては、「犯罪を犯すと、縄で縛られて公衆の面前を歩かされた」とし、「いろいろな人に「自分は犯罪を犯した」とバレて恥ずかしい思いをした」とし、「犯罪を媒介として、縛りと恥が結びついた」と述べ、緊縛につきものとされる羞恥心との結びつきが既に江戸時代から芽生えていたと述べられました。

江戸時代の市中引き回しで傷つけられるのは犯罪者の「名誉」であり、これを「恥ずかしい」こととして性的な羞恥心と同列に扱っていいのかどうか、疑問です。そもそも「恥ずかしい思いをした」といった現象を実証することはなかなか難しいことです。

Y氏が述べる「犯罪の取り締まりを担当する行政職」が何を指しているのかわかりませんが、「下級の武士」という「捕縄術ができる人」が犯罪者の逮捕を担当するようになったという主張にも疑問があります。江戸という都市部の話だと限定していえば、犯罪者を取り押さえて縄をかけるような仕事は奉行所の構成員である「岡っ引」の役目ではありませんか?彼らは元犯罪者で構成されていますので武士ではありません。

Y氏は、江戸時代後期?から明治大正期にかけて、犯罪者や武士にしかかかわらなかった縄が、大衆化し「文化化」したと主張されました。そして、その根拠として歌舞伎にみられる緊縛シーンを挙げ、そのシーンを描いた浮世絵を挙げています。

しかしながら、これも捕縄術と同様、似ているから関係がある、と即断することはできません。歌舞伎は演劇ですから、きちんと縛る必要はありません。雰囲気だけでいいのです。Y氏の主張を通すためには、歌舞伎の緊縛指導に、「捕縄術の使い手である下級武士」が参加していなければならないでしょう。そのような事例はあるでしょうか。
浮世絵についても同様です。まず絵で描かれていることが実際に行われていたかどうかという問題があります。ちなみに伊藤晴雨はこの点を批判した画家です。

2.F氏が担当された「緊縛のSM化」につきまして
ここでF氏は、伊藤晴雨を「緊縛芸術家」と紹介しました。実際に晴雨がどのようなことを成し遂げたのかは語られていなかったのですが、晴雨はまず絵師であって、緊縛画ではなく「責め絵」を描いていました(両者は異なります)。妻を縛って雪責めにしたのは、絵を描くためで、SMプレイではありません。彼はリアリティを追求するために、縛られた女性や雪責めにされた女性がどのような姿になるのかを実際にやって確認していたのです。

もちろん晴雨が女性への責めを実際に行っていなかったとは言いませんが、晴雨を絵師として扱わずSMプレイの大家のように紹介することは、彼が人生を賭けて取り組んだ画業を軽んじ、尊厳を貶めるものではないでしょうか。また、彼は実際に女性を縛ること、縛られた姿を「醜い」と考えていました。それを美に昇華させるのが「責め絵」だと主張していたのであり、この点でも彼が絵師であることは極めて重要ですし、現代緊縛への直線的な接続の問題を示します。
F氏は、緊縛という語は『奇譚クラブ』に初出すると述べていますが、誤りです。1891年刊の『動物学雑誌』に既にみえますし、一般的な日本語としてその後も定期的に確認できます。国会図書館の近代デジタルコレクションで検索すればすぐにわかりますのでご確認ください。

F氏の説明は非常にあいまいで、理解が難しい点が多いのですが、「SM雑誌ブーム」と題されたスライドで、『奇譚クラブ』が紹介されています。とするならば、このブームは1970年代のことではなく1950年代の変態雑誌ブームのことを指しているのでしょうか。だとすればSM雑誌ブームというのは明らかに誤りです。

まず1950年代後半までSMという言葉はありませんし、SMに特化した雑誌はそれほど多くなく、基本的には変態性欲という同性愛や猟奇殺人など、広いジャンルのエログロ雑誌がブームだったのです。『奇譚クラブ』もまた、当時はSM専門誌ではなく、様々な逸脱的セクシュアリティを扱っていました。

また、当時の説明として、昭和47年の『奇譚クラブ』掲載緊縛写真を掲載するのは明らかにミスリードです。いくら同じ雑誌でも時期が違いすぎます。

以上、シンポジウムの本発表については、ほとんどの内容が事実誤認に基づく虚偽の内容となっております。
このような誤った認識が広まってしまうことには強い危機感を覚えます。是非ともホームページならびにYoutubeにアップロードされている当日の動画に、訂正・お詫びを掲示し、かつ動画内の「ミニ講義」箇所を削除していただきたく要望致します。

ここまで、Y氏、F氏の説明に関して問題点を指摘してまいりましたが、このような歴史学にとって基本である手続きの問題が大量に発生するのは、彼女たちの責任というよりは、非専門家にこの発表を任せたこと自体にあることは明白です。

なぜ、非専門家が、SMや緊縛のような、未だ差別や偏見にさらされている人々や文化の歴史について発表できるとお考えになったのでしょうか。これが例えば部落の歴史であったなら、非専門家に語らせるという選択肢はなかったのではないでしょうか。
私はこの点に、本シンポジウムの最大の問題を感じます。

当日の登壇者の発言をきく限り、人文学と銘打ってはいても、SMや緊縛に学術的に真剣に向き合おうという態度がみられませんでした。その根拠は、先行研究の軽視です。SMは、英語圏ではBDSMと呼ばれ、かなりの研究蓄積がございます。しかしながら、シンポジウムに参加した限りにおいては、これらの先行研究が参照された形跡がありませんでした。

それは緊縛とSM、そしてショーSMの違いについて、田中雅一氏を除いて登壇者が誰も理解していなかったことからもわかりました。

にもかかわらず、シンポジウム内では京大開催であることが強調されていました。緊縛という「キワモノ」を学術的に扱ってやっているのだ、という権力的な態度が見られました。

たしかに日本では私と他数人しか研究者はいませんが、だからといって、SMが伝統的な研究対象より低く扱ってよいものだという認識には抗議いたします。何よりも、SMという文化がたとえ「キワモノ」だとしても、実際にそれに携わり、文化として育ててきた多くの愛好者がいるのです。彼らの営みを学者がつまみ食いして、上から目線で適当に話すことは、緊縛当事者に対する搾取であり、研究倫理に悖ることであると考えます。

この点は、討論の際にさらに問題として際立ちました。
最後の討論では、緊縛における女性への加害性、ジェンダー非対称性が取り上げられましたが、これに回答したのがF氏・K氏であったことがそもそも問題です。
このような批判について、当事者がフェミニズムやジェンダー論を踏まえて答えられないことはあたりまえです。それを踏まえて、研究者、それもフェミニズムなどを専門とする者が適切に議論を回す必要があります。
例えばF氏は、自身はジェンダー非対称性を感じないと主張して、緊縛文化を擁護しましたが、このような発言は、後々本人の首を絞めることになりかねません。なぜなら、そのあとにK氏が指摘しているように、緊縛モデルの女性比率の多さは明らかであるということもさることながら、当事者が加害性やジェンダー非対称性に無自覚・無頓着であるという批判を招く可能性があるからです。

F氏が緊縛を擁護しようとしたこと自体は全く無理からぬ振る舞いであり、責められることではありません。しかしこのような当事者の発言に関しては、問題に詳しい研究者がきちんと補足なりフォローなりをする必要があったはずです。
公の場に当事者を連れ出した以上、彼らにリスクを負わせない配慮をすることは極めて重要なことです。この点は、書籍化される際に是非とも配慮をお願いしたく存じます。以上、率直な物言いになりましたが、何卒ご海容くださいますようよろしくお願い申し上げます。
 河原梓水
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さらに後日以下のような追記もいただきました。
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本日、マスターK著『緊縛の文化史』(すいれん舎、2013)の記述を確認したところ、シンポジウムで語られた緊縛の歴史のうち、かなりの部分が本書からの引用ということがわかりました。
おそらく本書を参照しているとは思ったものの、内容を正確に覚えておりませんでしたので、ここまで丸写ししているとは思いませんでした。
これほどの丸写しを引用なしに行うことは剽窃に当たると思われます。
この点もご検討いただけますようお伝えいただければ幸いに存じます。
前便にも書きました通り、縄師によって書かれたものは、そのまま受け取ることができません。
『緊縛の文化史』は、類書の中ではよく調べられている本ではありますが、やはり歴史的な手続きが十分ではなく、そのまま信じてよい内容ではありません。
とりわけ緊縛の起源の部分はそうです。
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