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29歳、心も体もアラサーの足音

先日、29歳になりました。

現実世界では2本指に収まるくらいしかおめでとう連絡来ないのに、SNSではこんなにおめでとうって言ってもらえて幸せ者すぎますね。

おめでたいはおめでたいのですが……ついに20代最後の1年になってしまったな。「アラサーの悩み」なんてドラマや小説で無限に描かれてきたテーマですが、そんな時期が私にも来るなんてな。

いや、いまに始まったことじゃないんです。さっきたまたま、書きかけの昔のnoteを見かけました。どうやら27歳の頃に書いたもののようです。

会社の同期は夢を追って、今しかできないことだからと、別業界に飛び立ちました。
別の同期は明確にキャリアアップを目的に、即戦力として同業界に進みました。
ほぼ唯一の友だちは、彼氏から婚約指輪をもらいました。
高校時代の部活の相棒は、会社と学校を1年間両立した上で、晴れてデザイナーになったみたいです。

なんと全て、ここ3ヶ月以内の出来事。
「アラサー女子」だけじゃない、男も女も人間みんな、自分の人生を自分で考え、20代までに、30歳までに、歩みを進めている…。偶然かもしれないけれど、必然と言えるほど、みんなが同時多発的に動いている。

そう思い、認識した途端に、おどろおどろしいような、末恐ろしいような、なんだか背筋がゾッとする気分になりました。

下書きより

そう、2年前からこんな感じでした。みんな人生のコマを進めている感じ。

そして29歳。最近思うのは、生物として30歳が近づいているのを実感するということ。ココロやアタマの考えようじゃないのです。動物としての本能みたいなところが訴えてくるんです。

この話をする前に、まず私のアタマは、いますぐ主婦や母親になることを望んでいないし、まだまだ働きマンでいたいと思っているということをお伝えします。なのに…なのに……!って話です。


排卵痛が痛ぇ

いきなりインパクトのある見出しですみませんね。痛えもんは痛え。

生理が重いタイプではないものの、それなりに腹痛や貧血はあります。で、そんな生理みたいな体調不良が生理じゃない時期に起こるようになってきました。

なんで??と思ってルナルナを開くと、だいたい排卵期なんですよね。排卵痛なるものもあるみたいで、多分それか?と。

月4週間のうち、1週間ならまだしも半分の2週間もそんな悩みに苛まれるのは嫌すぎる。「排卵が痛いなら止めてしまえばいいじゃない」ということで、低容量ピルを始めてみました。まだ1ヶ月目でよく分かりませんが、これでもうちょっと働きマンでいられるといいな。

ピル飲むんだと伝えたら彼に伝えたら、とっても「理解のある彼くん」だったし、副作用のメンタルケアとかしてくれるし、「私の彼氏最強」と再認識できました笑。


「自分が親だったら」を考えてしまう

女性ホルモンが精神に影響をきたしているのか、私が大人になったのか。

これまでは、ドラマやニュースのできごとを見て、あくまで主観的に「いいな」「いやだな」と考えていました。

しかし最近、頭が勝手に
「自分がこの子の親だったらどう動くのかな」
「こういう話、子どもにどうやって伝えればいいのかな」
という思考回路で連想をはじめるのです。なんでよ、子どもいないじゃん。

そしてこの連想ゲーム、めちゃむずい。我が子になにか伝えるってたぶんめっちゃむずいんだと思います。やったことないけど。

初恋ざらりという夏ドラマを観て、自分の子に障がいがあったらどうしたらいいんだ……と永遠に考えてしまいました。


楽になっちゃおうかな……の怖さ

まず、専業主婦や結婚が「楽」ではないのは大前提として。

最近、とある編集者さんとこんなお話がありました。

「ライターで独立するって、それで生活はしていけそうなの?」
「彼氏と同棲しているので、一応住むところと食べるものはありそうです」

そう冗談めかしながら返答したとき、結婚していないにしろ、なんらかの後ろ盾があることに安心した自分がいました。

と、同時に、独立してひとりで生きていく覚悟が薄いのかもしれないと思いました。

収入ゼロ、貯蓄ゼロになったとき私は……

彼に頭を下げて、住まわせてもらって、食わせてもらって、かじれるところまで脛をかじる気がします。

同居人としてはそれが正しい「支え合い」なのかもしれないけれど、ひとりの独立を決めた社会人としてはどうなんでしょうね。

でも、もしそのタイミングで、妊娠・出産でもしたら。なんとなく「働くのはいったんお休み」という免罪符がもらえるような、子どもが大きくなってからもう一度リセットしてがんばればいいかみたいな、そんな気がしてしまったんですよね。

もちろん、これは想像力の足りない20代独身の私の妄想に過ぎません。妊娠されている方、育児されている方、気分を害されたらすみません。

しかし、「免罪符」という言葉が浮かんでしまったのは、今の私の現実。これまで、しゃかりきに働くことしか人生のあてはなかったのに、「子どもを育てるという別ルート」がなんとなく見えたのは、歳のせいか、周りの環境のせいか……。

このルートに乗ってみたらどうなるのかな、という好奇心がある一方で、このルートには得体の知れない恐怖も感じます。

子どもがいる人生のルートを選択することは悪ではないです。しかし、まだまだ私は子どもがいたら人生がどんなふうに分岐していくのか、社会人として、ライターとしての私はどうなっていくのか、わからないままでいます。

この前友だちからこんな話がありました。

「子どもが産まれたら、もう自分が人生の主役ではなくなってしまうのではないか」

同い年の友だちの言葉は、とてもとても共感できました。私も同じように考えているのかも。

子どもがいても人生の主役は自分のままかもしれない、けど、降板するかもしれない。周りから降板したように見えるのかもしれない。そうなったらとてもつらい。まだまだ私たちは未熟で、まだまだ私たちは人生の主役でいたいんだと痛感してしまいました。


未熟な20代の最後の歳。29歳。30歳になったら考え方も変わるのでしょうか。結婚、出産したら考え方も変わるのでしょうか。

まだ子どもでいたいココロと、年相応になるカラダは、ぶつかりあいながらもやもやと漂っています。30になったら輪郭が見えるだろうか。

答えが出る話ではありませんが、今しか残せなそうなので、29歳の記録として、ここに残しておこうと思います。

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