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高校生の私が、先生と付き合った話15

夏休み。8月上旬。


わたしは楽器練習室にこもってピアノの練習をしたり、宿題をしたりでなんだかんだで充実した日々をおくっていました。

お昼ご飯の時間になると、学食や職員室に行って鈴木先生がいないかチェックしていましたが、ほとんど会えることはありませんでした。
バレー部が遠征合宿のときは確実に会えないので、学校に行かない日ももちろんありました。

一方で、卒業公演で名作ミュージカルを取り入れた演目をコース全員ですることになっていたので、衣装を早めに作っておくことになっていました。
豪華な衣装が出てくるものではなかったのでクラスメイトの家にあった古着を縫い合わせて作っていきます。
古着は集まりあとはミシンで縫っていくだけでしたが、ミシンを持っていなかったので学校のものを借りることにしました。

「毎日じゃないけど、手芸部が被服室使っているから一緒に作業すればいいよ。顧問の先生にも話はしてるから」
担任の林先生が手芸部の顧問の先生の吉村先生に話を通してくださっていたので、さっそく被服室を訪ねました。


初めて入った被服室には、吉村先生と部員の子が3人いてそれぞれがあみぐるみを作ったり、小物を作ったりしていました。
聞くと、夏休み中は週に3日ほどの被服室開放日に作業したい人だけが来るそうです。
3人の中には顔だけは知っている同級生もいたりしました。


吉村先生にどんな衣装を作りたいか説明して、裁断をしていき、ミシンの使い方を一通り教わりました。
2年生の時に家庭科の授業してもらっていたこともあったし、とても気さくな先生だったので、音楽コースの授業内容のことや卒業公演のことなどたくさんの話をしながら作業を進めていきました。

何かの話をしているときに「わたし、鈴木先生ファンなんですよね~」と言うと、「そうなの?わたし、小学校と中学校が一緒だったよ」と驚きの言葉が返ってきました。
「そうなんですか?!同級生ってことですか?」
「鈴木先生が1こ上だよ」
「どんな人だったんですか?モテてました?」
「モテてたかは分からないけど昔から身長が高くて、運動神経が良かったよ。水泳とかすごかったな。いつからバレー始めたのかは知らないけどね」


まさか鈴木先生の幼いころの話が聞けるとは思っていなかったので、おもわずたくさん質問をしてしまいましたが、かなり昔のことだし吉村先生もそれ以上覚えていないようでした。



その日は吹奏楽部は早く部活が終わるとのことだったので真由と遥香と合流して、晩ごはんを食べにファミレスにいきました。

「そーいえば、あずみは毎日学校来てるの?」
「まさか!鈴木先生がいるであろう日だけね。毎日会えるなら毎日行くんだけどなぁ」
「そんなに好きならさ」
「ん?」
「メルアド聞けばいいじゃん」
「ムリムリムリ!!」

真由と遥香は「なんで?」とキョトン顔でした。

「なんでムリって思うの?普通に教えてくれるんじゃない?」
「わたしたちも林先生(担任で吹部顧問)とメールすることあるし」
「林先生は顧問だから連絡することあるの分かるよ?でもわたしはバレー部でもないし・・・。そもそも連絡先交換なんてどこの学校でも禁止されてるはずだよ」
「聞くだけ聞いてみればいいのに~。フランクな人だしいけると思うけどなぁ~」
「アドレス聞くのはハードル高いよ・・・」

真由と遥香は「なんであずみはこんなとこだけネガティブなんだろーね」と笑いました。

「聞くのが嫌なら、あずみのアドレスを渡したら?」
「えっ?!」
「たとえば、合宿に行く直前になにかプレゼントするついでにアドレス渡してみたらどう?そしたら律儀な人だったらメールのひとつくらい送ってくるんじゃない?そっからメールが続くかは別として」
「真由・・・よくそんなの考えつくね・・・しかしそんな上手くいくもんかね・・・」

鈴木先生とメールのやりとりがしたいと思ったことは幾度となくありました。
でもそのたびに「教えてくれるわけないし、心構えをしていても断られたときのショックがやばそう」と思いとどまっていました。






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