ASDなあずと癇癪③
小学校1〜3年生
あずは幼稚園年長からピアノを習っていて、なんとか通っていた…
ピアノの宿題をやるにも本人的には思い通りにならず毎回癇癪を起こし、ピアノ教室へも行きしぶりがあった。
ここまでならわかる。ピアノを習ったことがある人なら皆が経験があると思う。
ただ、癇癪を起こしたあずは
『ピアノを弾きたいのに弾かせてもらえない!』
『ピアノ教室に行きたいのに行かせてもらえない!』
と泣き叫びながら激昂した。
じゃあ行こうよ!と言っても暴れるばかり。
何を言っているの?
あずが自分でやってみたいと言ったピアノ、辞めたいのなら辞めたっていい。しばらく休んでまた習ってもいい。
あずが落ち着いているときにそう伝えた。
あずはピアノは好きだし、続けたいと言った。
でも毎回、宿題に対する癇癪と
行く直前に『行かせてもらえないー!行きたいのに!ひどい!』と言ってピアノ教室への行きしぶりがあった。
意味がわからなかった
行こうと言っているのに『行かせてもらえない』
同じことが小学校に対しても起きた。
まず宿題に対する癇癪。
私は、宿題を一緒にやろうというパターン、褒めるパターン、いろいろやった。
できたら貼る用のごほうびシールを準備した、なんてこともあった。結局一度も使わず、ただのお遊びシールになってしまったけど😅
「宿題なんだからやりなさい」は一番だめだった。
癇癪を起こしても会話が成り立つ日は
『宿題て何?誰が決めたの?やらないとどうなるの?』『この漢字は得意なのに、宿題で何回も書く理由はなんなの?』
と屁理屈を並べ、次第に激昂しその後の癇癪が長引いた。
宿題をちらつかせるととたんに激しい癇癪を起こし、言葉も耳に入らない、暴れまわる日もあった。
この頃の癇癪は3歳頃の噛みつき癖はないものの、攻撃的なのは変わらず、暴言、暴力、物を投げたり、破壊したり…
泣き叫び暴れるだけの癇癪に言葉が加わったのは、私にとってヒントにもなり、難しくもあり、また辛いものだった。
そのうち私は宿題に対してノータッチ、見守るだけになった。癇癪にビビったといえばそうかもしれない。
あずが小学1年生のときにあずに妹が生まれたのもあって、暴れさせるわけにはいかなかった。
それだけではなく、宿題に関して何を言ってもだめだとあきらめた。宿題の「しゅ」の字も言いたくなくなっていった。
葛藤したこともある。癇癪を起こせば宿題をやらなくてもいいということになりはしないか。単なる甘やかしになるのではないか。
宿題を辞めた。それしか方法がなかったのだけど、今思えばそれは結果として正解だったと思っている。
その頃はあずがASDとは知らず、
担任の先生には、あずは宿題をやる意味もわかっていないようだし、宿題を匂わせただけでキレて暴れまくるのでとても家で宿題はさせられない。勉強ができなくなっても本人の自業自得だと思っている。
と話をしに行ったこともあった。
あとで知ったが、その頃あずが宿題を忘れたということで、立たされ、いわばつるし上げのようになったことがたびたびあるらしい。
でも勉強はできて、友達もいて、学校では集団生活も問題なくできて、親も先生も、どうしたらいいかわからなかった時期だった。
そうこうしているうちに、小学3年からあずは登校しぶりが始まった。特大の癇癪もセットで。その頃は癇癪が毎朝で、朝だけではなく一日何度も癇癪を起こす日もあった。
まず落ち着いて。登校したいのなら送って行くよと言っても
『行きたいのに行かせてもらえない!』『ママのせい!』とよく口にした。
そして、言葉とはうらはらに学校へ行こうとはしない。
意味がわからなかった。
さらに困惑したのは、あずは登校してしまえば、帰宅後に、楽しかった!こんなことやあんなことがあった。〇〇ちゃんと遊んだ。行ってよかった。と私にたくさんの話をした。
そして明日も学校に行くのが楽しみだと言う…
それなのに朝になると癇癪を起こして登校しぶりになる無限ループ……
これは登校しぶり…なのか?
「行きたくない」とは言わない「学校楽しかった」と言いながらの登校拒否だった。
それに加えて、元からのぐちゃぐちゃな睡眠リズム。信じられないくらいの寝起きの悪さ、生まれつきずっと続いていたものも激化していった。
あずの登校しぶりのパターンは
①朝寝ていて起こすと癇癪を起こす
②深夜から起きていて登校する時間になると癇癪を起こす
③深夜から起きていて登校とは別のことで癇癪中に登校時間なってしまった
④ ③+②、③から②へ移行するパターン
また、小さいうちは暴れるあずを抱っこやおんぶでなんとか外に連れ出し登園登校していたことにも限界がきた頃だった。
だから本当はもっと早くから登校しぶり気味だったのかもしれない。
不思議なもので、なんとか幼稚園や小学校に連れて行くと、それまでの癇癪が嘘のように、さっと自分で立って自分で教室に入っていった。
そのため幼稚園や小学校の先生たちはあずがとんでもない暴れん坊だとは誰も信じられないようだった。
正直私は、なにそれ腹立つわー、まったく外面だけいいんだから(溜息)と思っていた。
今ならわかる。
あずは自分に自信がなかった。本当の姿を知られるわけにはいかなかった。隠したかった。必死で取り繕わなければならなかった。
本当だったら宿題もやって完璧な優等生がベストだけど、どうしても宿題は無理だった。だって宿題は、優等生でいる必要のない家でやるものだから。
また『行きたいのに行かせてもらえない』という言葉。行く気持ちはあるけど、精神状態をコントロールすることが難しかったのではないか。
『行きたい』も自分だし、『行かせない』のも自分だったのかな。
私にぶつけることで、どうにかしようとしたのかな。
実際はもっと複雑なのかもしれない。
あずにとって信じられないような苦しみだよね。
余談〜
あずの相談に行くと必ず聞かれる。発達障害の身内や親戚はいませんかと。
最新の方法で調べてみたらもしかしたら、そういう親戚はいるかもしれないけど、私も夫も思い当たる身内がいなく…
遺伝てなんなんだろう。遺伝云々じゃなく私の大切な子を見てよ。
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