ASDなあずと癇癪④
小学校3年〜4年
小学校3年の12月、あずにASDの診断が下りた。
まさに癇癪のピーク。
私は地獄にいるんだと、これ以上の地獄はきっとどこを探してもない、そう思った。
あずの通院が始まってもなお続く、誰にも共感されない孤独感。
あずは通院も学校と一緒で優等生を演じようとした。
私には逃げるとか逃げないとかという選択肢すらない。
よく聞く、この子を道連れに…という話は、不思議とまったく考えたことがなかったけど、あずを可愛いと思うこともなくなっていた。
あずの癇癪は理由がわかる場合もあれば、わからない場合もあり、どこに地雷があるかわからず、とても気を張っていた。
7歳年の離れたあずの妹をとにかく守らなければと思っていた。それでなんとか気力を保っていたと思う。
泣き叫びながら、壁や窓や鏡を蹴る、壁に「死ね死ね死ね死ね」と呪いのような落書きをする。
母親である私を叩く蹴る、飛びかかってくる。
そして暴言「死ね!」「殺してやる!」「お前が悪い!」
刃物を出すこともあった。カッター、包丁…
出したものはすぐに隠したので、そういった危険物を出すのは頻度としては多くはなかった。
あまりにも危険で私と下の子どもが別室に避難したときには、15分くらいして戻ると、あずが泣きながら冷蔵庫の中のペットボトルの中身や、牛乳やマヨネーズを部屋中に撒き散らしているところだった、なんてのもある。
危ないので押さえつけることもあった。この頃になると力も強い。暴れてあずの足が私の鼻や口に当たって血まみれとか、逆に私の手があずの顔にあたって、ひっかき傷をつくったり…。
取っ組み合いというやつを繰り広げた。
警察のお世話になることもあって、それはあずに対する虐待だと警察に言われたが、じゃあどうしたらよかったのか。未だにわからない。
虐待と言い放ったわりには、当たり前だけど捕まらなかったのでご安心を。詳細はまた後日。
そのせいであずの癇癪のレパートリーが増えた。パニックになって、窓をあえて開けて
「助けてー!虐待されてるー!殺されるー!」
と叫ぶという……
………どっちが虐待よ?暴力を奮っているのも「殺す」といつも言っているのもあずでしょう?
私はそれに対して「殺したいなら殺せ!」とよく言っていた。
癇癪は昼夜問わず、6時間も収まらないことも多々あった。一日に6時間の癇癪を2回と+1時間程度の癇癪を2回なんて日常茶飯事。
小さい頃からずいぶん叱った。あずが落ち着いているときに、どうしてひどいことをするのか。悪いことだと言った。幼い頃は「ごめんなさい」と言っていた。
小学3〜4年のあずは、癇癪のことを言われることに対しても激しい癇癪を起こすようになっていた。
あのとき、いやその前から今でも、あずが殺したいのは自分だと思う。
その時にはわからなかった。
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