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24.5:最後の対顔(下-2)

 前回までの話。
22:最後の対顔(上)
23:最後の対顔(中)
24:最後の対顔(下-1)
 これまでの話。


 おばあちゃんと母と私。三人きりの時間は、オマケと成り果てた『介護と財産についての話し合い』から父が帰って来たことで終わりを告げる。時間は一九時近くだった。

「今夜は俺が、ばあさんの家に泊まるから。二人はホテルに戻って休んで。チェックアウトとか、後は色々頼んだよ」

 他の人達はどうしたのかと問えば、純子と陽子は旅館で食事、佳子はホテルへ帰り、冨美子さんは「翌日も早朝から仕事があるので」と一六時頃に九州へ発ったと言う。
「話し合いで決まった事だから」と言われてしまえば、母も私も否はない。それに、チェックアウト等々の問題は、ぼんやりと心配していた事案だった。

 お父さんがそう言うのであれば──母と私は一旦父におばあちゃんを任せ、前日も訪れたイオンへ向かった。
 認知症を発症して以来、祖母宅のガスは止められ、包丁や調味料の類も撤去されていると聞いていたのだ。その為か、以前は食器棚として機能していた棚に割引きされた菓子パンや、お菓子が沢山詰まっているのを発見していた。
 いくら何でも夕飯に菓子パンは無い。自分達の食事を買うついでに二人分のお弁当を購入。父とおばあちゃんにそのお弁当を届けてから、ホテルへと帰還したのだった。


 翌日。
 朝食を終え、「斯く斯く然々の事情で父が帰れず、朝食も食べられないのでサンドイッチを作って良いですか?」とホテルの従業員に頼み込み(快くOKして下さいました、有り難う!)、常識的な範囲の量で二つのサンドイッチを拵えた。
 そして部屋で荷物を纏めていたら、なんと父が帰って来たではないか!

「あれ、おばあちゃんは?」
「佳子さんが来たからな、戻って来たんだ」

 佳子伯母さんは東京へ発つ前に、もう一度母親の顔を見てから帰ろうと思ったらしい。
 私は『嫌な予感』を感じた。理由はない。ただ兎に角『嫌な予感』を感じた。それは遠くない未来で的中する。


 祖母宅へ向かうと、そこにはテレビを観る二人の姿があった。
 前日とは異なり、おばあちゃんは母と私を「博志さんのお嫁さんと孫娘」と認識していた。私は、自分が思っていた以上に「誰?」と言われたのが堪えていたらしい。きちんと「孫だ」と言って貰えて滅茶苦茶嬉しかった。

 纏められた荷物に「今すぐ帰るだか!?」と焦るおばあちゃんを宥め、おばあちゃん家の居間でくつろぐ私達。佳子伯母さんと父の話題は、もっぱら昨日の『話し合い』についてだった。
 なんでも、デイケアを依頼する為のお金を、純子と陽子以外が出すことになったらしい。しかも金額は決まっておらず

「アナタ達の誠意を(金額で)表して下さい」

 とのこと。その人が母(或いは義母)を、どれだけ大切で価値ある存在と考えているのか測れる仕組みになっていた。
 この要求の仕方に、佳子は猛反対。
「自分にとって母がどれほどのものか試すやり方が汚い!!」と憤慨するも、純子&陽子の荒ぶる押しつけ攻撃には結局勝てなかったようだ。父も納得いかない様子だったが、姉を助太刀することなく黙りだったのだろうな……と想像が付いた。冨美子さんは言わずもがなである。


 おばあちゃんは変わらずテレビを観たり、新聞を開いたりしていた。
 その背中を、やっぱり恐る恐る撫でながら過ごす母と私。姉が、病と戦う弟を「東京へは何時発つの?」「母は私に任せて先に帰るのよ」と気遣いつつ他愛ない話をしていると、突然電話が鳴り響いた。
 電話の相手は大家さんだった。

『昨日仰っていた玄関扉の鍵が閉め難くなっている件ですけどね、ウチの倅がお伺いして直すということで宜しいでしょうか?』

 宜しいでしょうか? と言われても……。
 玄関扉の鍵が閉め難くなっている件など知らないし、その件を昨日大家さんに仰っていた事実も把握していない我々四人。家主であるおばあちゃんに訊いても、きっと首を傾げるだけだろう。鍵が閉め易くなるのは結構だが、果たして普段は居ない人間が勝手に物事を進めて良いのかしらん。否、あんまり良くないだろう。
 ということで、「一〇頃には行きますから」と宣言していた純子へ連絡を取ることに。
 因みに、その時の時刻は昼近く。
 電話対応したのは佳子伯母さんだった。彼女曰く、純子は陽子と共に商会へ挨拶周りをしていたのだが、商会の人達がなかなか二人を離してくれなくて時間が掛かっているらしい。
 受話器を置いた佳子伯母さんは非常に不満げだった。「どうせ嘘の言い訳よ」とまで断言していた。

 一体どんな会話が交わされたのか分からない。が、「嘘の言い訳」には「きっとそうだろうな」と思った。更に「純子伯母さんと陽子叔母さんは、今日此処を訪れる気は皆無なんだろうな」と察せられた。


 電話から数分後。純子が現れる。
 長女を視界に入れた次女の第一声がこちら。

「あら、アンタ居たの」

 もうまじでこの姉妹ヤダ!!!!! と思った瞬間である。

 脱兎の如く二階へ上がる佳子。仏頂面で電話機へ向かう純子。
 愛想の良い声音で通話を終えた後ろ姿に、父が「陽子は神奈川へ帰ったのか」と訊ねた。純子は苛立った様子で「今は車で待ってて、お昼ご飯を一緒に食べたら帰ります」と返した。

 博志「それじゃあ、自分達は何時頃帰ったら良い?」
 純子「帰りたい時に、どうぞ帰って下さい」(めっちゃ低音ボイス)

 帰りたい時にどうぞ帰って……?

 この発言を耳にして、私達家族はポカーンとした。前日に続いて二度目のポカーンである。
 え、帰ったらおばあちゃん、一人になっちゃいますけど? 我々の至極尤もな疑問にも、純子伯母さんは実に素っ気なく「いつも一人ですよ」言い放った。その声音には『アンタ等の都合はどうでも良い。帰りたきゃ帰れ。心配ならどうぞ何日でも此処に居て面倒を見て下さい』という色が明確に滲み出ていた。最早、一片も隠されていなかった。
 なにゆえ前日「如何しても一人に出来ない」と言って母と私を呼び寄せたのか。
 やはり純子(と陽子)は、只々私達を苦しませたい、その気持ちだけで招集を掛けたのだ。あわよくば、母親の世話を全面的に押し付けたかったのだろう。現に陽子叔母さんは、おばあちゃんの顔を見に来ない。車から降りさえしない。これらが全ての答えだった。

 更にこれだけでは終わらない。
 純子伯母さんは、私の母に何の言葉も掛けなかった。挨拶一つさえしなかった。完全に空気扱いをし、一瞥もしなかった。
 なのに、おばあちゃんと、私にだけはきっちり挨拶をするのだ。おばあちゃんへ挨拶するのは、良い。寧ろ、やらなきゃ駄目だ。
 でも、私に猫撫で声で挨拶する意味とは? 姪だから?
 どんな理由であれ、私はこの時、この刹那、中村純子という伯母が心底気持ち悪く、不気味で、唾棄すべき存在と成り果てた。
 余りの態度の落差に、実の弟である父のポカーン具合が加速していた。

 純子が祖母宅の向かいの住人へ挨拶している間に、佳子が二階から降りて来た。
 その手には旅行鞄があった。

「お母さん、私帰るね」

 東京へ帰ると言う長女に、おばあちゃんは涙した。長女も涙した。
 玄関口でポロポロと泣きながら抱き合う母娘。まるで、今生の別れのような切ない場面である。
 だがしかし、思い出して頂きたい。
 この長女、弟に何と言った?

 ──「母は私に任せて先に帰るのよ」

 切なすぎる場面に貰い泣きするべきなのだろう。私は泣けなかった。それどころか「一人で先に退散しちゃうんだ……」と思った。後々、この日の事を振り返った母も「『私に任せて〜』とか言ったクセに……」と失望したらしい。

 とどのつまり、長女は逃げ去って行き、次女と三女は無言で煙の如く消え去っていた。おばあちゃんの家に残ったのは私達家族だけだった。
 朝の『嫌な予感』はこれだった。


『心配ならどうぞ何日でも此処に居て面倒を見て下さい』と暗に言われても、我々には我々の生活と仕事がある。
 それが現実だ。

 おばあちゃんの家には、一四時頃まで居た。一四時が限度だった。
 父は朝食を沢山あった菓子パンで済ませていたので、拵えたサンドイッチはおばあちゃんの昼食となった。タイムリミットを迎えるまで、父はタバコを吸いに、母は涼を求めて(居間のエアコンは二八度設定に固定されていた)時々外に出ていた。

 私はテレビの音声と雨音を聴きながら、おばあちゃんの隣にジッと座っていた。
 カーテンは閉め切られていた。そういえば、昨日もカーテンが閉まっていたなと思い出した。天井を仰ぎ見て、室内をぐるりと見渡す。雨が降っているとは言え薄暗く、薄茶色掛かった空間。そよりとも空気の流れも無い。滞留して鬱屈とした世界。
 ダンボール箱の中みたいだ──。
 ふと想像した。
「いつも一人」が真実ならば、外の景色さえ見えない締め切られた箱の中で、おばあちゃんは排泄と食事をしてテレビを観ながら、純子達曰く『意味のない行為』を時々繰り返し、呼吸するだけの毎日を送っているのだろうか。

 まるで生きているのに、死んでいるみたいだ。

 無性に、寂しくて虚しい気持ちが胸を強襲した。肺と心臓が押し潰され、喉が締め上げられるようだった。筆舌し難い苦しさだった。
 丸い骨ばった背中に、そっと手を添える。そして先程よりも少しだけ力を込めて、ゆっくりと撫でた。
 おばあちゃんはチラリと私に目をやるだけで、何も言わなかった。


 その後、純子が戻らない状況を不思議がる父は、母と私に「多分戻って来ないよ」とばっさり言われて酷く狼狽え、慌てながら純子に電話を掛けていた。
『三〇分程したら行くから、母を家から出さず自分で施錠させろ』と指示された私達家族は「鍵、掛け難いんじゃなかったっけ……?」と疑問に思いつつ、遂に東京へ帰る旨をおばあちゃんに告げる。

 おばあちゃんはやっぱり泣いた。
 涙を流しながら私達は握手をし、ハグをした。おばあちゃんと父の抱擁は長く、離れ難さを物語っていた。おばあちゃんの小さな背中は震え、背中へ回された細い手は、予想を遥かに超える強さで洋服を掴んでいた。
 元々、別れ際には弱々しくなる人だった。寂しさから、電話さえ苦手とする人だった。そんな寂しがり屋なおばあちゃんを一人あの部屋に置いて行くのは、仕方がない事だと頭では理解していても辛かった。


 昔と同じように外へ出て見送ろうとするおばあちゃんを、
「雨が降ってるから」
「鍵掛けて待ってないと純ちゃんに怒られるよ」
 等の言葉を使って家の中に留まらせ(「純ちゃんに怒られる」が効果抜群だった)、私達はT県T市を離れた。

 これが、おばあちゃんを含め、父の親戚と顔を合わせた最後だった。

(続く)

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