23:最後の対顔(中)

 久方振りのT県T市は、相も変わらず暑かった。

 おばあちゃんを気遣い、宿泊先は大手ホテルの一室を押さえていた。
 駅前に聳え建つそれは決して新しくないけれど、快適に過ごせる空間が十分保証されていた。家族旅行で利用する宿泊施設といえば保養所や民宿ばかりだったので、お洒落なホテルに泊まるという事実だけで、私の心は浮き足立っていた。
 
 ただ一つ誤算だったのは、駅前にあるにも関わらず、周辺がかなり閑散としていた事である。賑わっているのは駅を挟んだ向こう側で、ホテル側は寂れてると言っても過言でないぐらいひっそりとしていた。
 しかも、タイミングが良いのか悪いのか、駅ナカの商業施設が絶賛改装工事中だった。
 朝はホテルの『朝食バイキング』を頂くとして、昼と夜は駅ナカの飲食店を利用しよう! と決めていただけに、デカデカと掲げられた『改装中』の三文字には打ちのめされた。
 仕方なしに着いて早々、食を求めて近くのイオンまで歩く。
 繁華街に足を運んでも良かったのだが、生憎居酒屋のチェーン店だの焼鳥屋だのしか無さそうだったのだ。処方された薬を飲む為、父には酒の肴ではなく食事が必要であった。故に、イオンでお弁当を入手する道を選んだのである。

 因みに母と私は、ツマミになりそうな総菜をしっかり購入した。さけるチーズも買った。ワイン数本と、グラスの代わりにプラスチック製の使い捨てカップも買った。ちゃっかり酒盛りする気満々だった。


 駅ナカが絶賛改装中だった事以外は何事もなく、穏やかに終了した一日目。
「台風が接近していて午後からは大雨らしい。墓参りは午前中……早めに済ませよう」と計画して迎えた二日目は、朝から波乱の予感に満ちていた。

 まず、伯父である長男・貴志の嫁──冨美子さんから「墓地周辺でイノシシが出現し、頻繁に目撃されている。墓参りは控えた方が良い」と忠告を受けた。
 そして、話し合いは一五時三〇分からの筈なのに急遽、次女・純子から有無を言わさぬ口調で「一三時、母の家集合」と連絡が入った。天候の悪さ+イノシシ+慌ただしさを考慮して、墓参りは中止となってしまう。それでも一応手は合わせたいと、墓地のある山の麓まで行った。
 道すがら、父は妙にイライラしていた。そのイライラは純子からの連絡を受けてからだった。私は苛立つ父の姿に、不安と心配の気持ちでいっぱいになったのを憶えている。

 一三時の召集に向かった父を見送り、母と私は駅前を散策したり、お土産になりそうな何かが無いかと店を覗いたりしていた。
 が、一三時三〇分頃。母の携帯に父から電話が入る。

 なんと「話し合いの間、母を見ていて欲しい」と言うではないか。

 おいおい、何だって? おばあちゃんを見ていて欲しい?
 正直「何で私達が?」と思った。
 この「何で」の意味は、「めんどくせ〜」という感情から来る「何で」ではない。認知症のおばあちゃんと、忘れ去られている可能性大の人間(母と私)が一緒に居て大丈夫なのか。長年会っていない人──最早、他人中の他人が傍に居たら、おばあちゃんは不安で堪らなくなるのではないか。という疑問から来る「何で」である。
 しかし、父は電話口で『如何しても一人に出来ないって、純ちゃんと陽ちゃんが言うから』と困っている様子(純ちゃん=純子、陽ちゃん=悪魔……じゃなかった三女・陽子である)。
 確かに。「一人に出来ない」と言われてしまったら、ならば仕方がないかと無理矢理納得するしかない。

 迎えに来てくれた父と共に、母と私は、おばあちゃんの家に向かった。
 着くまでに聞かされたのは
 ①話し合いは、その目的の為に予約した旅館で行われること
 ②私達家族がホテルに宿泊している事実を、陽子が非常に不満を感じ激怒していること
 ③おばあちゃんが人や物事をよく憶えていないこと
 の三点だった。

 ③に関しては「さもありなん」と言う他ない。①については驚きこそしたが、「まあ本人の目の前で介護や相続について話し合うのは、流石のあの人達でも憚られるか」と考え直した。

 けれど、②には「はあ? 意味分からん」と呆れるばかりだった。
 なんでも、陽子は私達家族が、祖母宅に泊まると考えていたらしいのだ。

 確かに、T県T市へ毎年帰省していた頃は、必ずおばあちゃんの家に泊まっていた。それは事実だ。でも泊まれたのは、おばあちゃんが認知症を患って居らず、体力的にギリギリ余裕があったから出来たことである。
 いくら家事を全て担っても、私達が滞在するだけで、おばあちゃんは酷く疲れてしまう。おばあちゃんは疲労が蓄積すると目の下にクマが出来る人だった。だから「ああ、いま疲れてるんだな」と直ぐに分かった。少しでもクマが濃くならないよう観光には私達家族だけで行って、おばあちゃんには一人でゆっくり休んでもらう時もあったのだ。

 でも、認知症を患ってしまっては、そうもいかない。
 現に、おばあちゃんは『人や物事をよく憶えていない』のだ。前述の通り、長年会っていない人間である母と私の存在は、記憶から消えて無くなっていると考えて良いだろう。さすれば、私達が同じ空間に居ること自体が、彼女にとって多大なるストレスになるのは火を見るよりも明らか。
 だから今回、駅前のホテルを予約したのだ。

 なのに「不満」「激怒」ってなんだ。全く持って意味分からん。
 ……ははーん、さてはあの叔母、やっかんでおるな?

 私は内心でせせら笑った。

 陽子が病的なケチであることを、私は知っていた。
 独身時代。カレシと結婚を前提とした同棲を始めるまで「妹だから当然デショ」と宣って、次男(私の父)の家へ転がり込み無理矢理同居。家賃・光熱費・電話代諸々を家主に押っ被せた女である。
 更に子供が産まれたら「お下がり頂戴」と言って、幼き姪(私)の綺麗で可愛い洋服達を強奪。決して裕福ではない次男夫婦が、七五三で着せてやる着物が用意出来ずにいると聞きつければ「一日五万でレンタルさせてやる」と言う厚かましい女なのだ。
 加えて母曰く、貴志の葬式では、サイズの合わないピチピチパツパツの小さな礼服を着用。鞄は明らかに普段使いの物で、珍妙なビラビラで装飾されていたらしい。
 そして声高に「自転車保険に入ったから、事故ってケガしても、相手がケガしても大丈夫。思うがままに、好き勝手飛ばして走っても何も恐くない」と笑顔で言い切る人なのだ。どうか単独事故で頭を強かに打ってくれ。

 そんな悪魔的ケチな陽子は当然、前日入りなんてせず。朝早くからバスを乗り継ぎ、JRを乗り継ぎ、新幹線を乗り継いでまたJRを乗り継ぎ、市電も乗って当日の昼入りを果たしていた。
 至極疲れただろう。
 自分が苦労している間、次男夫婦──と言うより憎き次男の嫁と姪は、ホテルでのんびりくつろいだ挙げ句、土産物を求めて街を歩き、愉しんでいたのだ。

 聞いて、至極苛立っただろう。
 そりゃあ不満だし、激怒するわいな。

 私は「むふふ」と込み上げてくる笑いを抑えるのに必死になった。むふふ。良いだろう、羨ましかろう。ホテルで楽しちゃったのヨ。むふふのふ。

 あの性悪女が顔を歪ませ、猿の如く「ムキーッ!!」と喚く様を想像する──実に愉快。

 あの時の私には、叔母の悪魔が憑いていたに違いない。
 その証拠に「むふふ」と笑った三〇分後。世にも悍ましく不愉快極まりない姉妹喧嘩に巻き込まれ、次女&三女の策略に吐き気を催し、おばあちゃんの憐れで残酷な生活環境に涙するのである(あの時間は、悪魔に取り付かれた愚かで弱い心への罰に違いないのである。絶対にそうなのです)。

(続く)

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