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22:最後の対顔(上)

 おばあちゃんの家に毎年足を運んだのは、高校二年の夏までだった。
 その時だって、ほぼ〇泊一日だった。私が通っていた学校では「部活は二年生まで。三年生は受験に集中」と決まっていたので、高校生活最後の部活を悔いなく終えたい身としては、あまり長く祖母宅に滞在するわけにはいかなかった。「部活の為に盂蘭盆には家族だけ帰省、自分は留守番する」と決めた部員に対する申し訳ない気持ちもあった。
 だから「本当は自分も帰省するべきじゃないのでは」と思ったけれど、部長の「気にせず行ってきて」の厚意に甘えたのである。それでもやっぱり後ろめたくなって、ほぼ〇泊一日なんて弾丸帰省になってしまった。……あれは本当に、我が儘を通した無茶無謀な計画だった。今更ながら反省している。
 決して近くないのに娘の我が儘に付き合ってくれて有り難う、お父さん、お母さん。


 高校三年生から先は、受験だの学業だの、就職だのを理由にして一度も祖母宅に行かなかった。両親の仕事も忙しく、父に至っては持病の状態も思わしくなかったから余計に遠退いた。
 おばあちゃんが認知症になった知らせを聞いて、気にならないわけでは無かったけれど。でも、自分達には自分達の生活もあって。それに必死だったから。改めて「帰ろう」という気が起こらなかった。二〇一一年に発生した東日本大震災もまた、帰る気を遠退かせる小さな枷の一部でもあった。

 しかし結局、私はおばあちゃんの家を、数年振りに訪れることになる。
 それは七年前──伯父である長男・貴志が逝去した同年。八月の終わり。

「認知症が進行した母親の介護と遺される財産について、姉弟で話し合おう」と、次女・純子から次男・博志──私の父に連絡が入ったのだ。

 出発予定日の二週間前、母からそれとなく話を聞かされて「うわ、行きたくないな」と思った。
 行きたくない理由は様々だ。仕事もあったし、単純に遠いから少し面倒だった。何より『姉弟で』ということは未来永劫関わりたくない悪魔──叔母である三女・陽子と顔を合わせる可能性があるのだ。自ら進んで精神をゴリゴリと削り、不愉快な気分と苛立ちでエネルギーを浪費する趣味を私は持ち合わせて無い。だから、心底「行きたくない」と思った。
 母からそれとなく聞かされた数日後。父からも行く目的を含めて話を聞かされた。
 やっぱり行きたくなかった。
 第一、親戚付き合いが水素よりも薄くて軽い嫁と孫(つまり母と私)が一緒に行って何になる。母は『赤の他人』であるし、私も『孫』だけれど会合のテーマはあくまで「母親の介護と財産について」。所謂「家族の問題」なのだから『孫』の存在は不要である。よって、母と私が行く意味は皆無! 父一人居れば、きっと彼方さんだって十分だ!!
 ──と考えた。そして、実際に主張した。祖母不孝であり父不孝でもあると理解していた。が、如何しても悪魔に会いたくなかった。私はどこまでも自分本位な女であった。
 娘の主張に、母は賛同してくれた。言葉にはしなかったが、母もまた悪魔と関わりたくない顔も見たくないと思っていたのだ。
 意外なことに、父も同意を示した。まあ、目では「付いて来て欲しい」と主張していたけれど。口には出さなかった。

 ようし、これで行く必要が無くなったぞ。わーい!
 内心で諸手をあげて喜んだ数日後。出発一週間前。

「大変だけど、付いて行っても良いんじゃない?」

 と、告げられた。告げてきた相手は母だった。まさかの裏切りに狼狽え、荒ぶる私。
 はー? やだやだ何で!? の反発に、母は至極穏やかな口調で「あなた、伯父さんのお葬式に出席しなかったでしょ」と指摘する。
 そうなのである。
 私は、伯父の葬式に出席しなかったのである。
 出席しなかった理由も様々あった。まず、私にとって伯父は『ミカンの人』という印象しかなく。実際に会ったことも無ければ電話で話したことも無かった。そして葬儀は伯父家族と、伯父の兄妹だけで済ませると言われ、陽子の娘──私の一つ下、最も歳が近い従姉妹──も出席しないという情報から香典だけ託す形となったのだ。

「伯父さんのお墓参りに行く良い機会だし、何より、お父さんも具合良くないじゃない。『数少ない遠出』と考えて行くのも良いと思う。それに、おばあちゃんに会える最後かもしれないよ?」

 親族との折り合いの悪さ故、行けば百パーセント嫌な気分になるのが分かり切っている人から“そう”言われてしまっては不平など口に出せる筈もない。
 しかもこの頃既に、父の体は癌に蝕まれつつあった。だから『数少ない遠出』の表現は、私の心に深く刺さった。更に「おばあちゃんに会える最後」という台詞も、「さもありなん」と思わせた。この先の未来で、おばあちゃんに会える日があるだろうか。否、ない。

 ならば会っておこう。

 プラスして「行くだけ行って、実際の話し合いには欠席すれば良い」の一言も、おばあちゃん家に行く気になった要因だ。確かに、話し合いに出なければ悪魔と顔を合わせずに済む。

 職場に「有給で此処から此処まで休みます」と伝え、父に同行する旨を伝えた。
 父は酷く安堵した様子だった。やはり途中までで構わないから付いて来て欲しかったらしい。
「姉弟の話し合いには付き添わないよ?」と念押ししても
「うん、良い。それで良い」と頭を縦に激しく振るだけだった。
 どんだけ一緒に来て欲しかったんだよ、と苦笑いした。けれど、不思議と嫌な気はしなかった。寧ろ、ちょっと愉しみさえ感じていた。

 こうして私は、久方ぶりの祖母宅訪問を決めたのである。

(続く)

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