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好きこそものの上手なれ

何かが好きで好きでたまらない人のことが、たまらなく好きだ。

そういう人たちは大体“プロ”と名がついていて、近くにはおらず、画面の中や書籍の中で活躍している姿を眺めることになる。

ずーっと絵を描いていても飽きない人。

ずーっとピアノを弾いていても飽きない人。

ずーっと走っていても飽きない人。


(自分はギターを弾くけど、せいぜい30分くらいかなぁ。コードをかき鳴らしたり、演奏めいたものを行うのは。一日中は無理)

周りから見れば“努力家だ”と賞賛の対象にされることが多いけど、彼ら彼女らは“努力だ”と思ってやっていないらしい。

それが「好き」だから、気づくとやっている、らしい。

他者はそれを“努力”と名付け、自分たちから遠ざけようとする。「あの人は違うよね」って。

手塚治虫も、死ぬ寸前まで漫画を描いていたらしい。

「締め切りに追われてたからじゃないの?」という見方もあるかもしれないけど、おそらく、漫画を描くのが「好き」だから描いていたんだと思う。

“好きこそものの上手なれ”という良い言葉があるけど、大体、みんな“自分が何が好きか”すらわからずに人生の時間を過ごす人が多いように感じる。

「好きなこと、やりたいことを探しなさい」っていう言葉をよく見かけるんだけど、好きなものは探しちゃいけないよ。だって、好きだったらもうやってるんだもん。

「自分が何が好きか気づきなさい。思い返してみなさい」くらいだったら、あーどれどれ、とか言って思い腰を上げて自分の1日なり1週間を振り返ってみることができる。

案外、「そいうや、俺コンビニのカップラーメンは全種類制覇してたな。新しいものは無意識にカゴに入れてしまってた」とか、「洗剤は全種類試してこだわりのものだけを使ってる」とか「よく考えたら、今月映画20本観てた」とか気づけるし、

些細なところでいうと、「道路を走る車のナンバープレートを見るのが好きな自分」とか、「散歩しながら建物の外観を見るのが意外に好きな自分」を発見できるかもしれない。

意外と、“自分が好きでやっていること”って、あくまで自然に、無意識に行っていたりするので、自分自身が気づいてなかったりする。

他の人から見ると「あんたスゲーよ…」、「普通じゃないで…」とか言われる部分が必ずあると思う。

そういうの、大事だよなー、って最近強く思う。

“自分の好きなもの”に敏感になって、しっかりスポットライトを当ててあげる。

そうすると、何気ない日常が、内側から輝いて見えてくるような、そんな気がするんだな。

ちなみに、最近自分が発見した小さな“好き”は、“ゴミ袋をまとめてキュッと縛る時の感覚”です。

アレ、たまんないよね。


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