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音楽に対するメンタル的なブロックがあった話

日本の住宅事情だから仕方ないが、防音室でもない限り、練習している音は外に聞こえる。私の母はとてもそれを気にしていて、練習時間は「夕方まで1時間」だった。

「自分は気持ちよく弾いてるかもしれないけど、他人からしたらただの騒音だから。特に練習なんてそうでしょう?」

が口癖だった。

うん、その通りなんだよな。実際ね。周りの人は「このくらいの時間なら」と、我慢してくれているのだから。。はっきりそう言い渡すことで、周囲の人から守ろうとしてくれたのだと思う。

小学生の時、ピアノの先生が「将来は音楽学校へ…それ用の先生のところに紹介して、うちで下見をして…」というような話を時々されることがあった。私は妙に冷静なところのある小学生で、クラシックピアノにおける自分の実力はわかっていた。実際、先生も、どこかには引っかかるだろうくらいだったであろうと思う。

それでも音楽が好きだったから進学できたらいいなと思っていたが、当然のように親からは反対を通り越して「何を夢のようなことを言っているのか」と嘆かれた。

中学生の時は担任の先生の前でそのように言われ、帰り道に、中学生にもなって音楽の仕事したいなんて夢みたいなこと言うなんて情けないしはずかしい、と説教をされた。このときの担任の先生はそんな母の様子をじっと見て「僕は応援します。それが彼女の夢なら。僕の友人にも音楽方面に進んだものがおりますので情報を得ることもできますから」とはっきりいってくださった。

まあ、そうはいっても、先立つものはお金。経済的にも厳しいことはわかっていた。学費の手前のレッスン代から。父からすれば子供は自立して自活するのが当たり前。高い学費やレッスン代を払ったところで、いちから全部自分の生活を組み立てられるのかを気にしていた。母からすれば、周りのお友達が受けられるであろうレッスンや留学も、我が子は我慢しなくてはいけない。きっと惨めな思いをする。そんな思いがあった。

私に投げかけられた言葉は不適切だとは思うが、そういう事情があったことはわかるし、誰も責められないよなぁとは思う。

一方で、言葉は変なブロックとなって長く私の中にあった、音楽をやることに対する抵抗のようなカタチで。チャンスをみすみす逃したこともあれば、練習を優先することに後ろめたさがあったり、色々な面で顔を表した。

そんなブロックの存在に気づいたときに、そういうことか、と、ブロックが柔らかくなっていったようにも思う。そして、前述の「根本のところにあったであろう心配や気づかいが、不適切な言葉になってでてきたっぽい現象」に気づいたことと。

実際はわからんけど。思い通りの進路に進ませたかっただけかもしれないし。でももうそんなのどうでもいいんです。

自分のブロックが柔らかくなって、音楽に対して少し開いていけそうな予感がする。そんな感覚を覚えておきたいので書いた。


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