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「優しい人」って「諦めた人」

先日、こんなツイートを目にした。

「本当にその通りだなあ」なんて、私は思ってしまった。

私が仲良くしている周りの人には「優しい人」が多い。

「優しい」という言葉には色々な意味合いがあるけれど、ここでは「相手の話に耳を傾けられる」とか「感受性・共感性が高い」っていう、意味合いだ。

自分の意見を主張するよりも、相手の意見を尊重しようとする。時には本音をぐっと飲みこんでまで、自分の心を犠牲にしてまでその場の「空気」を守ろうとする。

だから、他人から見たらとっても「優しい人」に見える。何も声を荒げないし、文句を言ってくることもしないから。感情もいつも一定のまま。

でも、それが自分自身に対しても「優しい人」なのかと言われれば、そうじゃないんだろう、と思う。

生きていくと「今、自分の意見を押し通しても無駄だなあ」みたいに感じる場面が増えていく。声を大にするのが得意な人がこの世の中には沢山いて、戦っても仕方ないなあ、と思ってしまう。

残酷かもしれないけれど、他人は「変わらない」生き物だ。

どんなに自分が「こうしてほしい」と思ったとしても、思い通りになることは少ない。それが嫌だと思うなら、結局は自分が折れるか、もしくはその人の前から去るしかなくなる。

そんなことを繰り返しながら、彼らは「諦める」ことを学ぶ。

何も、初めから「諦める」ことを選んだわけじゃない。

本当は、諦めたくなんてなかった。

力の強い者に潰されて、現実に絶望して、自分の心を守るために黙ることを覚えて、他人に期待しないようにして、そうして「優しい人」が出来上がっていく。

期待しないように、希望を持たないようにすると、不思議なことに他人に対して「怒り」を感じなくなる。最初から期待していないのだから、裏切られても、悪く言われても「まあいいか」と思ってしまう。

そんな姿を見て、何も知らない人は「心が広いんだね」と言う。

でも本当は、他人に期待しないのは、とても虚しいんだ。自分の弱い心を守りながら生きていくためには、こうするしかなかった。けれど、「これで良かったのか」「間違いなんじゃないか」と、何度も思う。

結局、誰も信じないことは「歩み寄ってくれる誰か」を傷つけているんじゃないか、と。全然優しくなんかないんじゃないか、と。

でも、もう強がらなくていいよ

誰かに期待してもいいんだよ

「こうしてほしい」と思うのは、きっとわがままなんかじゃないんだ。

押し殺したあなたの気持ちを、そっと抱きしめよう。

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