うまれた日
※東日本大震災の内容を含みます。苦手な方は、そっと画面を閉じて、深呼吸してください。
▶︎「ながされた日」の続きです。
ボランティア、と聞くとなんだかむずがゆかった。
上から目線のような気がして。
そんなわたしが、うまれて初めて、ボランティアに参加することになった。
きっかけは、mixiの写真のコミュニティだった。
大学生のときに受けた学芸員課程の中にフィルムカメラを扱う時間があった。その時からカメラに興味を持ち、トイカメラ(HOLGA)で大学の隙間時間に空や植物を撮影していたので、mixiの写真のコミュニティにも入っていた。
そこに、助けてください、と書き込みがあった。
写真を助けてください。
すぐに書き込み主に連絡をしていた。
わたしにも出来るかも、と思った。
流れてきた土砂をスコップでかき出す力作業はできそうにないけれど、これは、出来る。やりたい、と思った。
これがわたしの人生の最初の選択、わたしらしさを作った大きな一歩になったと思う。
災害ボランティアのほとんどが、力作業だった。まずは住居に流れ込んできた土砂を片付けなければ、何もできない。そしてそれはひとりではできない。大人数が要る。
それとは別に、助けを求めてきたのは、写真を助けるボランティアだった。
広範囲から流れてきた土砂の中からたくさんのアルバムが拾得物としてボランティアセンターに届けられていた。最初は、自衛隊の方々からだったそうだ。歩いていると、田んぼの中に埋もれた写真を見つけた。きっと、持ち主が探すだろう、と思ってくれたのだと思う。この写真が、これから必要になるということを、きっと分かっていたのかもしれない。何か直感的なものか、経験的なものかは分からないが、これが大切なものであると分かって、日々届けてくれていたそうだ。
けれど、その先をするひとがいない。
海水に浸り、泥のついた写真を洗うひとがいない。
細い筆で、水を張ったトレイの中で写真についた泥を洗い落とすきめ細やかな作業は集中力と判断力と技術が必要で、技術は長期的にボランティアをするひとが必要になってくる。
その書き込みがあったのはゴールデンウィークを終えようとしたくらいのときのこと。
地方からゴールデンウィークにボランティアに駆けつけてくださっていたが、ゴールデンウィークを終わると皆地方に帰ってしまう。せっかく技術を身につけたひとがいなくなってしまう。
1枚1枚水に浸し、筆で泥を落とし、写真を干す。水を変えて、また別の写真を洗う。時間がかかる。アルバムはたくさんあるのに、ひとがいない。時間が経てば経つほど、気温や湿度で写真の状態が悪化していく。
助けてください。
その人は、きっと、わたしよりももっと先に、写真の可能性を知っていたのだと思う。
これから先、写真が必要になってくる理由。
ただ単純に、彼は、写真がかわいそうだからとも言っていた。このままにしておけない、と。
その人は繊細で不器用で言葉足らずだったから、周りに勘違いされることもあったし、敵も自分で作っていたし、周りに苛々も伝わっていた。それだけ写真に対して情熱を持っていたんだと思う。
たくさん悩んでいたし、決断しなければいけない立場だけど、何の権限もない。彼も被災したひとりで、とても辛かったと思う。
週に3回、多いときで4回ボランティアに参加した。
自宅から現場まで片道2時間半かかった。
バスに乗って地下鉄に乗って電車に乗って歩いて30分。
ボランティアをしている間、写真プリント屋のアルバイトも始めた。写真が好きだったこと、ボランティアに何か役に立つかも、と思った。
洗浄した写真の展示もした。
写真の修整もした。
断片的に残ったアルバムに書いてあった幼稚園に電話をして、持ち主と話すことも出来た。
写真を探しに来る人の手伝いもした。
ふらっと立ち寄ってお話がしたいお婆ちゃんの話し相手にもなった。
たくさんの写真を探しに来る人がいた。
家が流されてなにもなくなってしまったけれど、大切な人もいなくなってしまったけれど、まだなにも落ち着いてないけれど、写真を探しに来るひとたちがいた。
写真が見つかって笑いながら泣くひとたちもいれば、写真が見つからず泣きながら帰るひともいた。
写真は、思い出を引き起こすツールだと思う。
写真を見れば、そのときの匂いやそのひとの声、仕草、そのときの気持ちを思い出すことができる。1枚の写真で、このときはああだった、この後こうだった、と周りと懐かしく話すことが出来る。今はもう会えないひとと会うことも出来る。
写真は、明日を生きるためのちからになると思った。
辛いことがあっても、楽しかった思い出を思い出すことが出来れば、きっと明日も生きていける。思い出を思い出すために写真はある。
じゃあその楽しい思い出を、作ろう、と思った。
見つからなければ作ればいい。
ないのならこれから作ればいい。
辛いことを乗り切れるだけの思い出を作って、それを思い出せる写真を撮ろう。
それが、わたしがカメラマンを目指すきっかけだった。
良い写真とは、なんだろう。
カメラマンになったときからずっと問いかけ続けた。
構図にはまっている写真が良い写真なのか。
色味がきれいな写真が良い写真なのか。
カメラ目線が良い写真なのか。
自分が良いと思う写真が相手にとっても良い写真なのか。
わたしはすべて、ちがうと思っている。(あくまでも個人的解釈です)
ただきれいなだけの写真は誰にでも撮れる。
誰が撮ったか分からないような写真ではなく、わたしにしか撮れない写真を撮ろう。
この写真撮ってくれたひとさ、とか、この写真撮ったときさ、とか、写真を撮った時間を楽しく思い出してもらえるように、楽しい時間を作ろう。
もちろん、構図や露出、色など技術的なものは当然。
けれど一番大切なのは、そのときめいいっぱい楽しんでもらうこと。そしてそれを思い出せるように表現すること。
写真の意味は、そこにあるとわたしは思う。
いろいろあって、ボランティアの経験はわたしも深く傷つくことになった。
見過ぎてしまった。
知り過ぎてしまった。
津波で飲み込まれた場所につれて行ってもらったときは涙が止まらなかったし、あのとき見た光景と匂いと風はこの先も忘れられないんだと思う。
伝えられず隠されたことが、他の人のくちから聞くことの怖さを知った。
じぶんの感情と使命感の葛藤を初めて経験した。
知らない方がきっと楽に生きていけたかもしれないとも思う。
知らなくてもいいこともある。
何度も思い出して泣いた日もある。今でも震災関連のことを見聞きするには身構える。
けれど、得たこともある。
そこで知り合ったボランティア仲間とは今でも繋がりがある。
絆といっていいのかわからないが、特別な時間を過ごした特別な関係だと思う。
特に深い話をするわけでもなく、細かく連絡を取り合うわけでもないけれど、なんとなくどこかで繋がっていて、連絡をすると長い付き合いの友人のように返事をしてくれる。
今年でもう9年になる。
来年は地元で過ごせるといい。
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