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閲覧注意『宗教と信仰』わたしの場合 第一話

 気を付けて読まれた方が良いだろう。幾分イデオロギッシュな書き口となることは避けられないか。とは書き始めたものの取り立てて様々な宗教や信仰の解説を試みようとするものではないが故、その辺は力を抜いて読むこともできるだろう。要は、宗教や信仰に向き合う上においては、こうあるべきとする、なんともシャラクサイ、わたし流のイデオロギーが顔を覗かせることになる。気分を悪くされた方には、ここでのっけからお詫びをしておくので、バックを踏んで欲しい。

 そもそも、わたしが様々な宗教を勉強する切っ掛けになったのは、海外へと出向く機会が増えたことによる。一番出ていた時代が、31歳からの6、7年だったろう。特に最初の三年ほどは月の内20日以上~24、26日は海外に出ていた。多い時は月をまたいで飛んでいた。三年も過ぎた頃には落ち着き始めた。それでも、月に一本、十日以上は飛んでいたろう。
中には、何度か『ここで終わりか_________』と覚悟を決めざるを得なかった場面もあった。 まぁ、その辺からのんびり書き進めておくとしようか。

■イスラーム原理主義勢力とのニアミス

 エジプトのルクソールは『ハトシェプスト女王葬祭殿』と云えば、後世にルクソール事件として名を留めた凄惨な事件であったことを思い出す御仁もおられるかもしれない。詳細は下のウィキペディアのlinkを眺めてもらえばいいだろう。

 冗談でも、嘘でもない。この事件___________私はニアミスをしている。コースのスケジュールが違っていれば、わたしは今、ここには居ることは無かったかもしれないのだ。センシティブな話になる故、深くは書かぬが、わたし達のバスは、この事件の起きる一日前の午後にここを訪れている。
 事件では日本人団体旅行者10名程が亡くなっているが、その中には当時の私と同じツアコンも含まれていた。わたしの記憶では、日本の某最大手旅行会社の企画したツアーだったと記憶している。
 わたしはこの事件のことを「アスワン」で聞くことになるのだが、途中からツアーバスの護衛に軍が就いた物々しい旅となったことを今でも覚えている。今から遡ること26年前。わたしがまだ34歳のやんちゃ盛りだったころである。お客様も随分不安がっておられたが、アスワンまで下るとそこからはコース通り、カイロまで空路で戻るしか手は無かった。
では、ここで終わりましょうというわけにはいかなかったのである。
 わたし達は翌日、無事カイロまで戻り、滞りなくツアーを終えられたが、ルクソール入りを予定していたツアーのすべてはキャンセルとなっていた。

 何運か知らぬが__________命拾いはした。命を落とされた皆様にはこの場を借りまして哀悼の意を示し、心よりのご冥福をお祈り申し上げます。

 あと、チュニジアの砂漠で迷子になったことがあるのだが……それはまたの機会に取っておこうか。

まぁ、そんなこんなで、頻繁に海外に出るようになってから、私の中においては宗教や信仰が身近になったのだが、主に、画、伝統工芸、建築の勉強をしようとすると「宗教の壁」「信仰の波」に行く手を阻まれることになる。
イスラーム原理主義勢力という言葉自体、あの時に覚えた言葉だったはずだ。なんとなく、シーア派、スンナ派(スンニ派)などという言葉ぐらいは知ってはいたが、具体的にはさっぱりだったことを思い出す。

 これはやばい、しっかり勉強しなければ、お客様にご案内が出来ないと覚醒したのが、スペイン旅行が流行り始めてからだ。行っては帰り、帰りは行ってを繰り返していた。この頃、随分とバルセロナのピカソ美術館を訪れたのだ。
 当時のスペインへの旅行は、スルーガイドと云われるガイドがついていなかった。したがって、バスの中ではツアコンが、観光地の案内もしなければならなかったのである。
 特に難しかったのがスペインの南部、俗に云う処の「アンダルシア地方」だった。ご存知のように、レコンキスタの舞台となった地だ。
8世紀初頭から15世末にかけてのキリスト教とイスラーム教の覇権争いと書けば乱暴なようだが、概ね、そんなところだ。
 イスラーム支配が続いていた町に建てられたモスクや寺院が、キリスト教の教会として転用されたり、その逆もあったり_________。
コルドバの「メスキータ」などは知られたところだろう。因みに、メスキータとはスペイン語で「モスク」のことである。
キリスト教徒による支配が続いた折には「聖マリア大聖堂」と呼ばれていたが、現在では、聖マリア大聖堂を通称して「メスキータ」と呼んでいる。

兎に角、芸術美術、建築を学ぼうとすると宗教と信仰が付いてまわったのである。
 ただ、この頃にわたしは基礎的なことを学べたことは後に大きな助けになった。この頃の日本は「インバウンド」という言葉が、今の様に一般化してはおらず、外国人観光客を市場化しようとする動きは無かった。

むしろ、現代の『鎖国』路線をひた走っていた時代なのでありました。

つづく

※拙宅には、和訳のコーラン(岩波)と聖書もあるが、これらは写真に写すものではないが故、サムネイルとしてこういう場所であげることは無い。
 この辺りは、信仰を持たれる人々への配慮として、身に着けておくべき一つのリスペクトの姿勢であると考えておいた方が、身を助ける。

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