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『異端の系譜は紡がれるのか』私とサルバトールムンディとの12年

  外から来てスキを押してくれたあなた。あなたはだぁれ ? 有り難う。わたしの好きなやつですう(笑)

今からちょうど一年前2021年12月の末。サルバトールムンディを纏めた研究ノートをPDFでアップしている。10年分の成果だった。お陰様でそれ自体またしても日本ではじめてのことだったが、その後、2022年春になってから関東の大学で教鞭を取られる先生の手によって学術的な立場から観たサルバトール・ムンディへの一考察がリリースされた。先生達の書かれるものは原理原則・立場ありきであり、エヴィデンスが伴わなければならない。従って、美というおよそ個人の価値観や感性に委ねられたところから話を進めることは出来ないという不自由さがある。ある種気の毒にも思えるのだが学問とはそういうものなのだろう。ベン・ルイス著「最後のダ・ヴィンチの真実」上杉隼人訳は良かった。これは非常にふり幅も広く勉強にもなった。まぁ、この中にもチョットした伏線があるのだが。

 思えばここに至るまで10年以上の歳月が流れており、にも拘らず、わたしは未だに『サルバトール・ムンディの小説作品』を遺せないままでいる。どの道、小説の中でわたしがこれと出会った経緯であり、これまでの変遷や袖をすり合わせた人々のことは書こうと思っているからして、ここで殊更に詳しく書くことは無いものの少し焦りが出始めているというのが正直なところだ。なんとか世界中の人々に読んで頂ける作品として書き上げたい。そのためにはまずスタート地点に立たなければならない。このことが、わたしがものを書き始める動機づけとなっているのだから。

 先日、わたしの管理するブログにたくさんの足跡が残されていた。概ね嫌な感じのする足跡ではなく、多分、先日ここでチラ見せしたサルバトール・ムンディに関する原稿からお運び頂けたであろうことが読み取れたことは感謝申し上げなければならない。

 一つだけここで申し上げておきたいことは、これを題材とした創作物は"わたし"にしか書けないと頑なに思い込んでいることであり、それは全くもって不遜であり勝手な思い込み、独善との自覚はある。
 しかし、有体に申し上げるならキリスト教を信仰する人々にとってこの画をここのようにバラバラにするメンタリティーはありとは考えにくい。
 救世主・キリストと思い込んでおられる人々にとって、この画を四分割にするメンタリティーは不敬であり、異端の所業と落ち着けることは当然と考えることは不思議でもなんでもない。

 キリストじゃないかもしれないよね。
 それはキリスト教徒からは云えない。
 わたしの中のダ・ヴィンチがキリストではないと云っていると云えれば楽なのだが、精々がキチ○イ扱いされるのがオチだろう。

救世主・キリストと眺めたい人々は眺めればよい。
わたしは人本主義的ところから作者に寄り添う。
 何故なら、この画が"教会"というパトロンからの依頼ではなく、個人の依頼によって描かれたものであるからに他ならないのだ。
当時の芸術家を取り巻いた「制限と許容」というしばり。
その中から発信を試みたダ・ヴィンチの抱える人本主義というアイデンティティーとリアリズム。

わたしにとってこの画はダ・ヴィンチの人間愛そのものに見えて来るのである。

 さて、2022年も今日を入れて4日となりました。
本当に温かく見守って頂けました皆様には改めて御礼申し上げます。
2023年が皆様にとって飛躍の一年となりますことを心よりお祈り申し上げます。
世一  拝

サルバトール・ムンディ(救世主)四分割・俺流解析画像


サルバトール・ムンディ(救世主)対角線のセットアップ・俺流解析画像


サルバトール・ムンディ(救世主)・俺流解析画像


モナ・リザとサルバトール・ムンディの近似性・俺流解析画像


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