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2度社会のレールから落ちかけて今思うこと

「よっぽどしんどかったら体がストップをかけるはず」

とても活動的で野心に溢れる内定先の同期はこう言った

私はそれに対してそれができる羨ましさと共に
心身がストップをかけるまではやってほしくない

心配と不安と様々な思いからとても強くそう思った

きっとそう思った背景には私の個人的な経験がある
それは2度社会のレールから落ちかけたことだ

1度目は高校1年生の時
2度目は大学2年生の時

その当時のことを思い返して
今の立場から言えること 思うことを書き留めていきたい

初めての大きな挫折

私が初めて社会のレールから落ちかけたのは高校1年生の9月だった

夏休み明けの9月から学校に行けなくなった

その理由として簡単に言えば
「習い事、学業、部活動に関する悩み」があった

分けると次のような感じだ

・満足していた学業の成績が残せなくなった
・ある程度満足していた部活動が苦痛になり始めた
・結果を残せていた習い事で結果を残せなくなった

これらに共通して言えるのは
全てにおいて割ける時間が中途半端になり 結果全てにおいて自分が求めている水準を満たせなくなったことにつながったことだろう

野心的に過ごし「こんなものじゃない」「まだいける」
その気持ちと現実のギャップが生んだものだ


特に習い事には自分のアイデンティティすらも見出しており
結果が振るわなかったことは極端な話自己の価値を否定されたも同然だった

学業に関しても小学校の時は右に出るものなく
その自信を胸に県内の中高一貫の中学校に進学した

だが高校に進学し学業がうまくいかない自分に対して
漠然と理想と現実のギャップからくるしんどさが募っていった

部活動に関しても同様だ

高校に進むまでうまくいかなかったことがほとんどなかった私にとって
漠然とうまくいかない現実を受け入れることは苦痛だった

うまくいかない現実に対して改善するために起こした行動は
その3つを全てこなすことの難しさを私にさらに突きつけるだけだった


それを経て私は心の休養を必要とする状況に陥った

正直不登校の時期は高校に戻ることができると思っていなかった

それほどに当時の私は心がボロボロだった

だけど周りの支えや関係を背景に戻ることができた
今でもそれは感謝しているし
私という人を大きく形成していると思っている

結果高校1年生の時に出席があと1時間足りなかったら留年していた

高校で社会のレールから落ちかけた人が
今大学院で過ごしているのだから不思議だなとも思う

(↓当時の自信を取り戻したいと思っている話↓)

2度目の脱輪

2度目に社会のレールから落ちかけたのは
大学2年生の6月だった


私は5月に適応障害を診断された
大学から離れろとお医者さんに言われた


私が大学にいるだけで動悸と大きな不安感に襲われていたこと
大学にも少しずつ行けなり日常生活に支障が出てきたこと

それらがお医者さんの言葉の背景にあった

しかし大学から離れるということは
4年での卒業を諦めろということと同義であった

私は1年の時から大学という環境に適応できず
1年で10ほど単位を落とした

そこに1学期20単位ほど捨てろというのだから
そこからフル単じゃないと4年での卒業は難しいという意味だ

私はそのお医者さんの命に反抗した
まあ 4年で卒業したいと思うからな

しかし命に反する私をよそ目に状況は悪化した
6月にはまともに大学に行けなくなり
7月には別の症状で入院という強制隔離となった

この状況を前に当時の私はどうだったのかというと…

4年で卒業することが難しくなった現実は
卒業に対する意欲をなくし
大学でうまく過ごす自信をなくし
これからの人生を悲観的にするものだった

一方で未来の私の視点から言えることとして…
偶然とは言えこの状況に陥ったことに心から感謝している

強制隔離がなかったら適応障害からの回復が遅れてはずだからだ

更には大学に戻れていなかったかもしれないと考えている

社会のレールから落ちるという「最悪の事態を避けられた」
私はこのように評価している

事実3ヶ月の休みを経て私は秋学期から大学に復帰した
その後単位をほとんど落とさず4年で卒業した

正直4年で卒業することは諦めていたし
未来に対しても悲観的だったけど
復帰してからの自分の頑張りは素直に褒めたい

それも最悪の事態になる前に休むことができたからだと考えている

今の私に残るもの

レールから2度落ちかけて私に残っているものは何か

それはいいことも悪いことも合わせて3つある


1つは環境の変化を恐れるようになったこと
これは主に大学の脱線と関係する

身の回りで人や境遇などの環境変化があった時
またはこれから起こるとわかっている時
私は過剰に反応を見せる

その理由として当時の自分と重なるからだろう

未だに私は1度人生のレールから落ちかけた要因である変化に対して恐怖心を抱いている

2つ目は自分を客観的に評価すること

自分にできることできないことをちゃんと弁えている自信がある

高校の時の挫折はこれができていなかったから起こったことだとも思っている
根拠を持って客観的に自分を見ればそれら3つを両立させることは無理だったはずだ

根拠もなく自分の力を過信すればギャップや失敗などから辛い目にあうのは自分だ

客観的に自分を評価するというのは自己防衛につながると言える

3つ目は1つ目と2つ目を受けたもの
それは直感的にヤバいと思ったら休むということ

2度の経験を経て私は回復に時間を要するほどボロボロになることだけは絶対に避けたいと思っている

そして特に2度目の経験から大事になる前に休むことの大切さを学んだ

努力することは否定しないししんどいことに挑戦することも否定はしない

だけどそれが結果として心身大きく疲弊し
元通りになるのに莫大な時間を要することになるのは良くないと思っている

自分を守るために心身を休ませることは大切だと考えている

それって贅沢なんだろうな

3つ目に述べた大切にしていること

これはきっと社会人になって制約が増えると難しくなるんだろうな

と考えている

動ける時に動き休みたい時に休める

これが実現できているのは学生という立場で助けられている点は今大きいはずだ

「落ちかける」でとどまって欲しい

私は2度人生のレールから落ちかけた

もう繰り返したくないとは思っているが
3度目があるかもしれないとも思っている

でも私は何よりそうだったとしても
「落ちかける」でとどまることが大切じゃないかと思う

「落ちる」とは大きな違いがある

それは復帰・回復の観点からだ

具体的に2つの理由から評価できる

社会のレールからほぼ「落ちた」と評価していいと考える高校の挫折経験を1つ目にあげる

数年という長い時間をかけてこの挫折から回復したと思うからだ

当時「落ちた」人であった私は

感覚として回復の仕方を見失う
それまでのやる気も無くなった感じになる
自暴自棄になるなど

それまで積み上げてきたものを台無しにしてしまった
そして回復に時間を要し復帰も困難になった


2つ目の視点として2つ目の大学時代の脱線が挙げられる


前でも少し触れたが私は大事になる前に休むことで回復し
その後の活動における影響を最低限に抑えることができたと考えているからだ

私は経験上「落ちる」とそれまでの積み重ねをほぼ無に帰し
回復までに多大な時間を要すると考えている
(全員が全員こうなるとは思っていないがどうしても自分と重ねてしまう)

ボロボロだったとしても
ちょっとの空白時間があれば
周りの支えがあれば
レールに戻ることができる

その状態がわかるように常に自分を理解し管理する必要があると思う

さいごに

途中で述べたように全員が心身しんどい時に私と同じようになるとは思わない
なんなら羨ましいことにしんどいと思うことなく過ごせる人もいるだろう

頭の中ではこのように思っているが
冒頭で述べたような

「よっぽどしんどかったら体がストップをかけるはず」

そう思い込んで過ごしている人に怖さを感じる
自分と同じ経験をして欲しくないと思う

これらは余計な心配なのかもしれない

心身健康であればそれまでの積み重ねが守られ
もしもの時はやり直しが利きやすい

そう思う私としては夢や目標を持っている人ほど
自分を大切にして欲しいと思わずにはいられない


【余談】
これまで双極性障害の話やうつの話をしたことがあった
(気分循環性障害を診断されたのは大学3年の時)

それらの背景であり私の思考に大きな影響を与えた
これらのエピソードは文章として残したい思いが強くあった

だからこそ文章量としては過去一で人に読んで頂く分量ではないが
これをnoteに1度したのは大きな出来事であると感じている

これを文章化したのは私にとって人生の転換点と言える出来事が今日あったからだ

その決断は大きくやはり最後の方で述べた考えとは切っても切れない

そんな決断をした日だからこそ書き留めたいと思い更新した

もしこんな自己満足に近い文章にここまで目を通してくださった方がいらっしゃれば心より感謝申し上げます


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