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求めているものは「圧倒的な自信」という話

最近私の様々なことにおける原動力は「不安」と言う感情にあると考えている。

私が行動をするのは「不安」をなくしたいと思っているからだ。

例えば、最近取り組んでいる内定先から提供されているe-Learningに取り組むのは、入社後の失敗や挫折を1つでも減らしたいと言う「不安」からきていると私は考えている。

抱えている不安はどうすればなくなるか。

私は自身の経験をもとに「成果」や「自信」というものが「不安」を取り除く1つの鍵であると考えている。

その考えについて今回は書き留めていきたい。

2種類の「不安」の取り除き方

私は「不安」をなくす方法について、2種類に大別されるのではないかと考えている。

1つは「不安」に対処するための行動をしていると言う「過程」の事実によって安心感を得、不安をなくすと言うもの。
結果ではなく過程から「不安」を取り除くもの。

もう1つは「不安」に対処するための行動を通して身につけた力によって、「不安」の根本に存在している問題を排除すると言うもの。
過程ではなく結果、例えば自身の成長などを変化を通して「不安」を取り除くもの。

やはりこの2つの大きな相違点として挙げられるのは、「不安」の源を根本的に解決できているかと言う点だろう。

前者は根本的な解決ができていない。気休めな側面が強く、私は麻酔のようなものだと考えている。

一方で後者は根本的な解決ができている。

私が考える「不安」の取り除き方

私が考える「不安」を取り除き方は、上で述べた2つの方法を併用することだ。

ゴールは「不安」の根本に存在している問題を排除することに設定する。

しかし、それだとゴールを達成するまでの「不安」に対処できない。
そのため、ゴールを達成するまでに抱えている「不安」は、行動しているという過程から得られる安心感を通して軽減を図る。

言い換えると、抱えている「不安」を誤魔化しながら、抱えている「不安」の根本に存在している問題を解決するために行動する。

そして、私は一連の「不安」を取り除くことの繰り返しが、
「不安」をなくすという短期的な結果だけでなく、
自分を「不安」から遠ざけてくれるようになる
という長期的な結果ももたらすようになると考えている。

「不安」を取り除くことができたという「結果」やそれを経た自分自身の「成長」を通して、「自信」が生み出されると考えているからである。

「圧倒的な自信」から作り出される自分

「不安」から自分を遠ざけるものとして「自信」を取り上げた。
題名に戻ると私はその中でも「圧倒的な」自信を求めている。

私がなぜ「圧倒的な自信」を求めているのか。

その背景は、私自身の経験に基づいた考えである。
冒頭で軽く触れた通りだ。

私は今、こんな不安に付き纏われている身だが「不安」とは縁がなかった時期がある。

「圧倒的な自信」を持っていた時の自分である。

・この分野なら負けない。
・周りから期待されている。
・自分が所属しているコミュニティーでは自分の名前を知らない人はいない。
・自分が望むことは実現につながる。

このような思いを持っていた時期、そして環境に身を置いていた時期がある。

そんな時期は「不安」とは無縁の過ごし方をしていた。
今の自分が目指している姿である。

そしてこんな自分を作りだしていた背景を考えた際、そこにあったのは確かな「成果」や「結果」であった。

・勉強はクラスや学内で負けない
・習い事の大会などで1番の評価をもらう

「成果」や「結果」のごく一部を抜粋した。

とてもシンプルだが、その成果が「不安」とは無縁の生活を実現させたどころか、無意識に自分が実現したいことに関われる過ごし方につながっていた。

その経験を持っているからこそ、私は「不安」をなくすために「圧倒的な自信」が必要であると考えている。

そして私が上記で述べた不安の取り除くための行動(=「不安」に基づいた行動)が、自身の「圧倒的な自信」につながると考えている。


「不安」との付き合い方を模索する

ここにきて私が「不安」を取り除こうとする背景に触れる。

私の場合は、私の健康を守るため。である。

しかし、不安を取り除くということは果たして可能なのか。

例えば、当時「圧倒的な自信」を持っていた私が「不安」を抱えていなかったのは、自身の成熟度が関係していて、不安を一度知ってしまった今の私はたとえ自信を得ようが、不安を抱えずにはいられないのではないか。とか。

そして、そもそも上記で述べた、「圧倒的な自信」につなげるための一連の行動は大変な長期戦になることも検討がついている。

どれだけ「結果」や「成果」を得らればいいのかわからない。

そうなると自身が不快に感じる不安を1つでも減らす行動をしつつ、「不安」とうまく付き合う道を探すのがいいのではないか。

「不安」とうまく付き合うことによって、
程よい「不安」がある。

「不安」に基づいた行動をする。

自分の成長ができる。

という、自己成長サイクルができるのではないか。(そんな都合のいい「不安」の量が維持できるかは不明だが)

「不安」自体は悪いものではないかもしれない。

・「不安」をいかにエネルギーに変えられるか。
・そして自分が抱えている「不安」の量をいかにコントロールするのか。

この2つが大切なことなのかなと今の私は思う。



【余談】
ワクチンの2回目接種してたりで更新ができてなかったですね。

個人的に副反応で出た熱自体が久しぶりだったんですよ。
それがだいぶしんどかったので、実際に患った場合それ以上に肉体的かつ精神的にしんどい思いをする可能性があると思うと、それだけで接種してよかったなと個人的には思いました。

あと、今回に関係する余談について。

これ実はたまたま他の人と最近した話を文章化しただけです。
最後の方は加筆したけど。
でも書き始めたのは、話した1日前とかで順番は逆なんですよ。
書き終わるまでに人と話すとは思ってなかったな。

でもおかげで考えがよりまとまった気はしましたね。感謝。

最近他で忙しくしてるんですけど、週2更新はしたい…。

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