張り続けた糸は、いつか必ず切れる
「何かスゴいタイトル付けてない?」と思う方もいるかと思います。
これは僕がこのnoteを始めようと思ったきっかけである出来事についてです。
1番最初の自己紹介の際にも表記したのですが、僕は人に笑ってもらうことが大好きな人間です。いじられキャラというものが、僕にとって非常に心地が良いものであるのも、それが1番の理由です。
ただ人に笑ってもらうことが大好きな反面、自分の奥底の奥底にある本音というものを、家族を含めて今まで誰にも話したことがありませんでした。僕は俳優を目指している身なので、お芝居に関してのことでは本当に心から自分が感じたことを話しますが、それ以外の本音は一切口にした事はありませんでした。それを話してしまうことで、僕に抱いている印象が変わってしまうことをとても恐れていました。それが良い方向に変わることであったとしても、僕自身はそれを良いことだと思えませんでした。「変な奴」「滑稽な奴」と思われていた方が、自分の気持ちも楽だし、皆に変な心配をかけたり、気を遣われたりする事はないだろう。その方が自分も含めて楽しい時間を過ごせるだろうと思っていたからです。
だから僕は、皆が抱いているであろう『東像』を絶対に壊さないように、何を言われてもやられても、純粋なバカであり続けようという、だいぶカッコつけた言い方をすれば、覚悟を決めました。絶対にこの覚悟は墓場に行くまで守り続けるぞと思っていました。
ただ、そうやってだいぶカッコつけて決めた覚悟も、そう長くは続きませんでした。人生80年だとか、長ければ100年というような今の時代です。たかが23年と少ししか生きていない、ましてや大して心が強くもない奴には重すぎたのです。純粋なバカというバリアは、もう限界に近付いてきていました。
2021年。今年に入ってすぐから、謎の虚無感に僕は襲われていました。何をやっても満たされないし気も紛らわせない。やらなければならない事はわかっているのに、全く気力も出ず、無理にやろうとしても頭にも心にも何も入ってこないし響かない。そんな状態が続いていました。
どうにか自分が張っている純粋なバカという『東像』の糸がほつれたり切れたりしないように、いつも以上に騒がしい滑稽な人間であろうと頑張りました。たかが自分ごときのせいで、誰かに心配そうな顔をさせてたまるかと思って、異常なほどバカな奴であり続けました。
しかし虚無感はずっと消えず、むしろ日に日に強くなってきていました。それもそのはずですよね。既に糸は切れる寸前までほつれていたのですから。そんな状態なのに無茶をするとどうなるか。心を守るためのバリアなんてものはとっくに砕けてしまって、ダメージを軽減すること叶わず大きなダメージを直で負っていました。ほつれすぎてほんの少し触れただけでプツッと切れそうな糸を交換することも補修することも出来ず、2ヶ月間糸が切れないようにだけ気をつけて過ごしました。
2月28日。このnoteを始める1日前。この日、ついに糸が切れました。絶対に心配させたくないと思っていた人たちの前で、引いてしまうほど思いっきり泣きました。とめどなく出てくる涙を止められず、話したくない奥底にある本音をその人たちに吐き出すことも止めることができませんでした。「あ、俺、完全に終わったな」と思いました。
だけどその人たちは、そんな僕でさえも優しく受け入れてくれました。ボロボロの僕を慰める言葉と、これまで糸をピンと張り続けてきた、切れたらどうなるかわかったはずなのに、また新しく糸を張ろうとする僕を諭す言葉をかけてくれました。それを聞いて、さらに涙が止まらなくなりました。こんなにも人の優しさは憎たらしく、しかしそれ以上にとても温かいものなんだと思いました。
「全てをさらけ出せる人たちが初めて出来た」
その事実を認識すると、憑物が取れたような感覚が全身に広がって、身体だけではなく、心もとても軽くなりました。
今思えば、僕はずっと誰かに助けて欲しかったんだと思います。自分勝手な覚悟で縛り続けていた自分を、SOSの出し方が分からずにボロボロになっていた自分を、どうにかして救って欲しいとずっと思っていたんだと、今回の件で思い知りました。
張り続けた糸は、いつか必ず切れます。
もしも僕と同じように、何かの糸を張り続けている人がいれば、そしてその糸が切れかかっているのならば、自分が1番心配をかけたくないと思える人たちを頼ってみてください。
その人たちは、きっとあなたを救ってくれます。
ここまで読んでくださった皆様、長文にお付き合い頂き、ありがとうございました。
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