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コロナとNew NormalとNew 差別

コロナが世界中に広まり、カナダの各所でロックダウンが始まってから4カ月が過ぎました。徐々に、自粛解除が進められ、所々で、いつもの生活が垣間見れるようになってきました。

時間が経てば経つほど、研究が進み、コロナに関する情報が出てくるようになしましたが、対応として一個人が出来ることは「インフルエンザへの対策をもうちょっと厳しくした感じ」、と捉えています。

手洗い、うがいの徹底。3蜜を避ける。具合が悪かったら自宅待機。これだけ。個人的には出来ることをして、後は”生きる”しかないと思います。ずっと閉じ籠っていて、何もしなくても時間は過ぎ、人生は短くなるばかりです。生きる事自体、リスクは伴います。完全に安全な環境で生きるなんで有り得ない。お年寄りなど高リスクの方々は心配する一方、残りの人生を一人で家に閉じ籠って過ごすのも楽しみが減り、苦痛なようです。4カ月、ほぼ誰とも会わずに籠っている人も居ます。それも健康的ではないと思います。

ワクチンも、まだまだ出来上がるには時間がかかるようで、2020年内にワクチンが準備できる期待は薄まるばかり。自粛による二次的悪影響が大きくなっています。大きな物では経済的打撃と医療関連の問題です。予算の問題やコロナ対策の為に手術や検査の遅れが生じ、それによって病状が悪化したり、死者がでたりしています。それと同時に、コロナ患者への対応の流れができ始めたからか、コロナ感染からなる直接的な死者数の伸びは緩まってきています。

自粛解除が進んでいるとは言っても、経済状況や医療環境へプラスの作用があるほどは進んでいません。コロナの為の自粛が長引けば長引くほど、人々の分断が進んでいるようにみえてなりません。

例えば、一般的にコロナ対策として3蜜を避けるため色々なことが禁止されたり、禁止行為への罰則などが設けられるようになっています。マスクをしない人への目も厳しくなっているように感じます。行政によってはビーチに足を踏み入れただけで逮捕となるところもあります。その反面、抗議行動(プロテスト)といえば、大人数で集まることも可能だし、集まる場所もあまり問題にされません。抗議行動(プロテスト)の為なら、マスクをしていなくても叩かれないなど、可笑しな状況もよく目にします。その行動への理由が抗議行動(プロテスト)なら、何でも許されるのでしょうか?

病気を広めないために沢山の人が努力をしているなかで、抗議行動(プロテスト)の自由をかざし、その為ならコロナ対策の禁止行為も違法行為も許されるというのがNew Normalなのでしょうか?好き放題する人は好き放題し、慎重にルールを守る人はルールを守って生活し続けるしかないのでしょうか?

どうにも納得がいかない、というのが私の真情です。

この行動理由が、正しいかどうか、科学的根拠があるかどうかよりも、その時々の大手メディアにより上げられていればオッケーという流れに恐怖を感じるのは私だけでしょうか?

日本でも政権によってメディア操作がされているのは顕著に出ていますが、北米でも、それは同じなようです。大手メディアと政権との繋がりは、深く、事実に基づくか否かよりも、政権擁護になるか否かで報道されているようにも思えます。政権や大手メディアの作ったシナリオに合っていれば、根拠の在り無しに関わらず、裏付けがなくても報道されている事が多々あるようです。(いくつか、それによる裁判なども起きています。)

見出しで左右されず、裏付けがあるか否か。報道される内容が都合よく編集さていないかなど、受け取る側が気を付けて確認していかなければならないと思います。報道を100%間に受けないというのもNew Normalなのかもしれません。

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