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陶酔 『アデル、ブルーは熱い色』(2013)より

私がこの映画を観たのは半年ほど前のことなのですが、ふと思い出すことがあったので、この気持ちを書き記しておきたいと思います。

この作品は2013年に製作された、アブデラティフ・ケシシュ監督によるフランスの映画です。


ヨーロッパらしい、フランスらしい、哲学に軸を置き展開する、非常に文学的な芸術作品だと感じました。とても美しくもリアルだった。

私的解釈で簡潔に述べると、美大生に哲学の手ほどきを受ける文学少女が描かれています。

主人公のアデルはあと少し何かが違えば、爆発的な何かを創り出す力を持っていると強く感じました。

そしてその力はとても大きい。なぜなら彼女はめちゃめちゃに貪欲だから。

しかし彼女の置かれている状況は経済力に欠けています。幼い頃から安定した生活を送る力を早く身につけることを求められていたのでしょう。

エマと出会い、アデルは全く異なる世界を垣間見せられたことと思います。

すごく魅力的な世界だったんだろうなぁ

しかし現実に戻らなければならなかった。

本編を見る限り、エマはアデルの境遇に歩み寄るべきだったのではないかと考えざるをえません。

エマの自由な生き方は魅力に溢れていて大好きだけれど、なぜあんなにアデルに歩み寄らなかったのでしょうか。

自分自身の経済状況がアデル寄りだから同情してしまっているのかも、しれませんが。

自由に生きられるものなら自由に生きたい。哲学してたい。芸術に生きる人を眺め、研究しながら生きていたい。

そう願えば願うほど、美しさに酔わされ、魅了され、失う怖さと切なさを感じるのです。

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