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もつべきトラウマ 幼い自分のこわいもの

心身に支障をきたしたり、その後の人生が悲観的になるような、立ち直れなくなるような、そんなトラウマは経験してほしくない。

でも、「これこれ!トラウマなったやつ!笑」というレベルの体験は持っていると大切な財産になると思っている。
※これは本来のトラウマの意ではないが、我々は日頃このような使い方をしている。


幼い頃に観ていた教育番組のあるコーナーだけが怖かったとか、
その曲を聴くとなんとなく怖くて泣いていた、などというもの。

ネットを徘徊しているとこのような書き込みが無数にあり、それを多くの人が経験しているのがわかる。

子ども向け番組でどうして怖いものを見せるのかという意見もしばしば目にする。

しかし私はこのような
「幼少期の自分からみた怖いもの」
「正体はわからないがなんだかとってもゾクゾク怖いもの」

は人間の本質に触れるうるものであると思っている。それゆえ通るべき道なのである。


人は何処から来て何処へ行くのか
自分を形づくっているのは何であるか、記憶だろうか
この世で生きるためには何を恐れるべきか
この世での死より恐れなければならないものはあるのだろうか…


怖いものの存在は大きい。

なぜトラウマとして我々の記憶に残らなければならないのか。
それは単純に、そうでもしないとすぐに忘れてしまうからではないか。

※これはまた別の記事で書きたいと思っており省略するが、子どもの頃の記憶がない人が多いことに気づき驚いている最中である。


つまり、感性の鋭い幼少期の感覚は人間にとって重要なものであり、それを忘れずとどめておく手段としてトラウマという形になっているのではないかと私は考えてみる。

そしてそれを持っていることはきっと人として生きていくために意味をなす大切な財産になると信じている。

普段はそんなことは忘れて生活しているが、何かの拍子に、何か重要な意味のある場面で、その記憶が引き出される。そうすることで人は表面的なものに惑わされず強く生きていゆける気がするのである。

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