東京探索記 12 目黒雅叙園にて
閏年の2月29日、4年に1回だからというわけではありませんが、目黒にあるホテル雅叙園の「千年雛めぐり ~平安から現代へ受け継ぐ想い~」へ行ってきました。
今回は4年ぶりの開催ということです。コロナ禍のころは見送られてきたのですね。
雛飾りの展示は雅叙園内の東京都指定有形文化財の「百段階段」で行われていました。
といっても階段に朱の毛氈を敷いてその上にお雛様を並べるのではなく、階段途中にある7つの部屋、それぞれにテーマがあり、それに沿った展示が行われています。
屋敷雛、吊るし雛、ミニ雛、猫雛、鞠雛、現代雛、享保雛が各部屋にわかれて展示されていました。個人的にはそのなかでも屋敷雛が壮麗でした。
ところで、「百段階段」とは?
百段階段は、昭和10年(1935年)に建てられた木造建造物で、雅叙園が建つ目黒の斜面地に沿ってつくられた7つの部屋をつなぐ階段です。
段数は99段(んんん?100ではないの?)
それでは下から各部屋を見ていきましょう、と言いたいところですが、雛人形やそれらにまつわる歴史的背景を語るには知識がないので、ここは特に印象に残った雛飾りに特化して、個人の印象・感想をお話したいと思います。
それでは最も印象深かった屋敷雛について。
今回展示されていたのは、福岡飯塚市に伝わる屋敷雛です。
展示されている部屋に足を踏み入れると、
一面、まるで小さな子供がお人形をまき散らしたかのような光景。よく見ると池あり、太鼓橋あり、塔あり、館あり。そしてそれらの舞台上に多く種類の人形がそこかしこに並べられています。
それはまるで平安絵巻の世界。
ちょうど今年(2024年)はNHK大河ドラマも平安時代を舞台にしていますが、そこに出てくる藤原氏などの貴族やその家来たちの衣装と同じような服装をしています。
福岡県飯塚市になぜこのような立派な屋敷雛があるのか?
飯塚市は筑豊炭鉱で栄えた町でした。
その筑豊の炭鉱王、伊藤伝右衛門の屋敷で座敷いっぱいに飾られていたのがこの屋敷雛です。
2,300坪の面積を誇る邸宅の一室、相当な大きさだったのでしょう。当時の栄華が感じられます。
展示されている雛人形の壮麗さをここまでは書いてきましたが、この部屋の見事さは屋敷雛の壮麗さだけではありません。
部屋の壁、天井には平安絵巻、王朝絵巻の世界が広がっています。これらは平面ではなく、立体的に描かれていて近づくとその大きさとともに迫力を感じました。
では再び百段階段について。
冒頭で百段階段の実際の段数は99段であることを書きました。なぜ?
百段階段が100段ではなく、99段な理由。それは階段を上りきったところに解説がありました。
簡単にまとめると、
「百は完成した形を表す。完成したということはそれ以上の発展は望めずあとは衰退するばかり。そして完璧な状態は長く続かないという考え方からあえてひとつ減らして不完全にする。そうすることで未完成にして伸びしろを残す」
ということだそうです。
屋敷雛のある部屋中心にここまでは書いてきましたが、
ほかの部屋についてもその装飾の細部にわたるまでの精巧さは、現在ではここまで手間のかかる細工はできないでしょう。
よくぞ焼けずに残ってくれた、というしかないです。
平日でしたが、大勢の方が来られていました。その中でもやはり着物がこういう場所には似合いますね。
そして最後に。
戦前の目黒雅叙園の鳥瞰図。建物はいまのものとは異なりますが、目黒川と雅叙園の位置関係などを考えると、おそらく百段階段は左上の崖の森の緑にくっつくように建っている建物(くねくねしたような)と思われます。
絵の右下のほうに近づいてよく見ると「東部軍司令部許可済」とあります。鳥瞰図、地図の類は国家防衛上、機密事項だったのですね。
この展示はホテル雅叙園東京にて3/10まで開催されるそうです。
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