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東京路地紀行 25 墨田区京島

東京都墨田区には路地がたくさんあります。その中でも規模が大きいのでは、と思うのが京島です。

東京最大の路地と言ったら?または東京三大路地と言えば?ということを聞かれたら、順位はともかく3位以内に必ず入りそうなのが、墨田区京島にひろがる路地だと思います。その京島には1丁目から3丁目までありますが、そのすべてが路地地帯で成り立っている、というのも珍しいです。

行き止まりの路地。素敵だな、と思いながら足を踏み入れるとその先はドンツキ!よくこのトラップに引っ掛かります。でもそういう路地には昔から変わらないもの、お宝と呼んでいますが残っていたりします。

戸外に置かれた洗濯機、木製の物干し台。そして自前のアーケード?
見どころたくさんのこんな路地奥がたくさん(^^♪


京島の名の由来
京都の京(みやこ)に関係する地名なのか、上品そうだなあ、
とか一瞬思ってしまうかもしれませんが、命名の由来は極めて普通です。
の向で「京島」…
あっ、なるほど…わかったようなわからないような(^-^;

京島の魅力とは?
私にとってはそれはやはり路地だらけの迷路の街というのにつきます。
木造の長屋があちこちに今でも残っています。
大正時代からの建物もあるそうです!
もちろんどこもお住まいの方々がいらっしゃる現役住宅。
それが何と言っても重要。ゴーストタウン、廃屋廃墟ではなく、
今も使われている現役の迷路街!

なぜこういう街づくりになっているの?
東京の下町といえば、昭和20年3月の東京大空襲で焼け野原に…
と思うのですが、この一帯は空襲被害が少なかったとのことです。
なぜだろう?町工場が少なかったとかあるのでしょうかね。
でも京島よりは北にあり、京島よりも住宅地化が進んでいたと思われる
旧玉ノ井は空襲で焼けてしまったんですよね、
不思議…違ったかな??


さて、町探検は、東武鉄道曳舟駅からスタート。東武鉄道と京成電鉄の両曳舟駅のあいだは再開発が進み、タワーマンションが建っていたり、道も広く整備されています。一方で東武の曳舟駅前にはまだ少しながら昭和の風景が残されています。そんな風景を横目に京成の曳舟駅も通り過ぎて京島地区へとはいっていきます。

「2Fビリヤード」の看板がいいですね。昭和の頃はビリヤードをやっていたな
半分錆びついたポールが横丁の入口を示している感じですね
防犯看板。
アパート用の防犯看板があるのはやはりアパートが多い土地柄ですかね
駅そばに残っていた物件。いずれは周辺再開発で消える運命…


京成鉄道の高架をくぐると街の雰囲気はがらりと変わり、昭和の息吹をそこここに感じる町並みになります。

この風景のようにトタン家屋とタワーマンション。昭和と令和、2つの時代が並走している姿が普通に見られます。

京島のそこかしこでスカイツリーが大きく見えます。都心と違って空が広いからよく見えます。

ところで、写真から感じられる陽射しの強さ、そして道端に咲く夏の花。なにか違和感がありますよね。訪れたのはほぼ6ヶ月前、夏至の近辺のころです。なので、明るさいっぱいなのです(^^)/


少し広い道に出ると、もう廃業した古い店舗の建物が3軒。ここは以前に訪れた時も仲良く並んでいました。しかし今回(2023年6月)訪れると貼り紙が。翌日から解体だそうです・・・( ;∀;)
この店舗跡のの向かい側もすでに更地になっており、新しいマンションなどが建てられていくのでしょうね。

再び路地にはいります。
平屋、トタン、そして洗い場。懐かしいタイルの柄です。

トタンの外壁と木製の物干し竿の支柱
渋い平屋家屋
反対側にまわるとスカイツリーが見えてきます。これは昭和と平成のコラボ
この緑色の柄タイルは懐かしい。何と呼ぶのか知らないけど
いろんな色のトタンがあります。これは薄青色とでも呼ぶのか

今となっては普段は見かけなくなった懐かしいものがまだまだ残っている京島の路地です。ここはほんの一部、さらに奥地へ足を踏み入れていきましょう。




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