東京路地紀行 2 港区高輪
港区高輪といえば、皇族邸があり、かつての宮家は高級ホテルに生まれ変わり、そして高台には高級住宅が立ち並ぶ街。路地とは縁のなさそうに思える高輪ですが、古い町で古い寺があり昔からの路地があります。それもいくつも…
では、まずは高輪1丁目へ行きましょう。
三田聖坂から続いてほぼ南北ににはしる二本榎通り(*1)が高輪の背骨にあたり、この通りを中心に海側と内陸側にひろがる斜面地と低地が広がっています。高輪1丁目の路地は、内陸側の玉名川(*2)の流域にあたる低地に広がっています。
スリバチ地形的歩き方でいくとここには二本榎通りから坂をくだってはいっていくのが、谷底へ、という実感が湧いてきます。短い階段をおりるとそこには昭和時代そのままのような路地が、さあたくさん迷って楽しんでください、と言わんばかりの迷路となって縦横に小径をはしらせています。
1軒ずつゆっくりじっくり見ていきましょう。するといまも使える井戸があり、懐かしい鉛筆会社の琺瑯看板があり、それはこれまた懐かしい塵芥箱の蓋の役割も果たしています。そして昭和の雰囲気を残す路地ならではの軒先の洗濯物、物干し用の柱がアスファルトの地面から生えていて、道路かと思ったけどここは私有地なのかと混乱してしまいます。
こんなふうにこれでもか、というくらいに古いものがそろっていながらもここは現役の家々が立ち並ぶ、生きている路地空間です。
高輪にはいくつかの路地が点在していますが、この1丁目の路地はその中でも最大規模です。古いお宅をうまく使っていたり、建て直しの住宅もみられますが、これからも残ってほしい路地です。
(*1)二本榎通りは古代東海道と言われている (出典元:「東京23区凸凹地図」 皆川典久監修 昭文社)
(*2)玉名川は高輪の黄梅院、円真寺付近を水源として古川へ合流する川でいまは全面暗渠となっている (出典元:「東京23区凸凹地図」 皆川典久監修 昭文社)
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