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レモンジャ武蔵

2003年放送の大河ドラマ「武蔵」がDVD化されるとか。最近の大河ドラマは放送翌年にはもう全話DVD化されて発売されることが殆どなのに、20年も経ってからのDVD化?
まあ、それはともかく私にとっても少なからず関わりある宮本武蔵について妄想しながら、甘酸っぱいジャムを作った記録。


材料

レモン 2個
蜂蜜  適量

以上。
レモンは和歌山から取り寄せた国産レモン。今回、皮は使いませんが、もったいないからレモンピールにでもしなはれ。作り方は以下参照。

ただ、輸入レモンを使う場合は絶対に皮は捨てて下さい。輸入物はワックスとか防腐剤が塗られています。場合によっては発癌性があるかも?

件の大河ドラマ「武蔵」ですが、第一回の放送後に訴訟を起こされています。起こしたのは黒澤プロ。世界的に有名な黒澤明監督映画の「七人の侍」に第一回目の展開が酷似しているとして、著作権侵害の訴訟。
最高裁まで争われましたが結局、黒澤プロの請求は棄却。著作権侵害には当たらないという理由は「芸術的完成度がまるで違う」ということ。
つまり「七人の侍」に比べると「武蔵」は遥かに完成度が低いと言われたようなもの。


果肉のみを取り出す。

主演の市川海老蔵(当時は新之助)とお通役の米倉涼子は当時、交際していましたが破局。お互い、別の人と結婚。もし二人が結婚していたら、ビッグカップル出会いの作品として話題になったかもしれませんが、そうはならなかったことで、何となく触れることが憚られる作品になった?
最初からケチが付いた作品というだけではなく、はっきり言って面白くないからDVD化は見送られていたのかも?
吉川英治の「宮本武蔵」原作とうたっておきながら、クライマックスである「巌流島の決闘」後もダラダラと話が続き、山場というものが感じられない。宮本武蔵に思い入れある自分としても何だかガッカリ。DVD化されても再度、見たいという気は起こりません。



レモンの果肉のみを蜂蜜と共に煮込む。

以前、自己紹介めいた記事で、特技は古武術と書きました。↓

実は宮本武蔵の兵法、二天一流を少しばかり稽古した過去があります。諸事情により、今はグループを離れています。
吉川英治の小説「宮本武蔵」を読んで感動したからであり、その真髄に触れてみたいと思ったからでした。

木べらで潰しながら煮詰めていく。種は取ってぬ。

天正十二年(1584)生まれと言われる宮本武蔵ですが、天正十年生まれという異説もあり、更に生まれた場所も播磨?美作?とはっきりしない。
無理もないかもしれません。宮本武蔵は戦国の覇者でもなければ、多くの絵や本を残した文化人でもない。一介の兵法者、剣術使い。
歴史に大きな爪痕を残したとは言えない。それでも大概の日本人が名前位は知っているのは吉川英治のおかげ?
父親は新免無二斎。当理流十手術という兵法の達人。その影響から息子の弁之助(後の武蔵)も兵法に興味。或る日、父が小刀で木を削っているのを見て、その手付きでは兵法も覚束ないとかいう風な生意気を抜かす。すると無二斎は持っていた小刀を息子に向けて投げたといいます。刺さったらどうすんだ?さっとかわした弁之助はそのまま家出。
殺伐とした親子。狷介と言うべき性格だった無二斎。後年の武蔵にもそんな風が感じられます。


十分に煮詰まったら、冷まして瓶に詰める。
レモンジャ武蔵

12歳の時といいますが、武者修行の兵法者、有馬喜兵衛が弁之助が住む集落近くに高札を立てました。
剣術自慢の者なら、誰とでも勝負するという文言。それを見た弁之助、高札に墨で黒々と自分が勝負を望むと書き込んで、日時を指定。
当日、やって来た弁之助がまだ少年なので拍子抜けした喜兵衛、子供の悪戯だから、誤れば許してやると言いましたが、弁之助は問答無用で木刀で打ちかかり撲殺。決闘デビューを飾る。
吉川英治の小説では武蔵の幼名は「たけぞう」になっています。実際は弁之助です。いつ頃から「武蔵」と名乗ったか?はよくわかりません。宮本というのも在所の名前で、本当の苗字は「新免」これは主君、新免伊賀守から無二斎が賜った苗字だとか。
その後、16歳の時に但馬国で強力の兵法者、秋山という者と行き合い、これにも勝利したと、自著の「五輪書」で述べています。


パンに塗ってもよし。

レモンの程よい酸味が生きている。蜂蜜の甘味との見事なコンビネーション。
正に甘味と酸味の二刀流。
レモンのビタミンCやペクチンをしっかりと頂けます。
今、思いついたがお湯に溶かして飲めば、ゆず茶ならぬレモン茶として楽しめるのではないか。試してみよう。

17歳の時、関ケ原の合戦に一兵卒として参戦。敗れた西軍、宇喜多家の陣にいましたが敗戦。その後の場面から吉川英治の「宮本武蔵」は始まっています。しかし、実はその時、武蔵は九州に居たという話があります。
九州の関ケ原と言うべき戦、黒田如水の九州席巻に参戦していたという話。
この説では黒田家の陣中、つまりは東軍に父親の無二斎と共に加わっていたとか。
後年、武蔵は九州との関わりを強く持つことになります。そこから考えても、九州で東軍側に居た可能性が高いのではないかと思えます。

ようやく吉川英治「宮本武蔵」の冒頭にまで来た。
思い入れある人物なので、まだまだ武蔵については書きたいことも多いので、不定期に続きを書くことにします。大河ドラマならぬ大河妄想料理ということで、レモンジャ武蔵をご馳走様でした。

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