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ブー丹波哲郎

「人が死んだら、どこへいく?」
エマダツィという青唐辛子のスープを知る。ブータン料理らしいが、私が住むド田舎にそんなハイカラな料理を出す店はねえ。ということで、いつものことながらないなら作ってしまえ。
「た、た、丹波でルンバ」と嘉門達夫の歌声が脳内に。
ブータンバということで昭和の快優を妄想しながら、勝手に和風アレンジした自己流ブータン料理を作った記録。


材料

ジャンボししとう  4本
唐辛子       1本
玉葱        半分
生姜        半欠け
大蒜        1欠け
ピザ用チーズ    100g
豆乳        200ml
出汁つゆ(二倍濃縮)25ml
水         20ml

大正十一年(1922)東京府、新宿に20万坪の土地を所有する名家、丹波家に誕生した正三郎が後の丹波哲郎。
祖父は東大名誉教授、兄二人は東大へ、他にも親族には日本画家とか学者が多いインテリ一族でしたが、正三郎は勉強がそんなに得意ではなく、コネで中央大学に入学。
大東亜戦争真っ只中だったので学徒出陣。
軍隊では態度が大きいと言われて、普通より三倍増しで体罰。
鉄拳制裁を加えていた上官は川上哲治。後にV9を成し遂げた巨人軍監督、赤バットの川上。
航空隊所属だったので、特攻隊に行かされる可能性もあったが無事に復員。
復学後はGHQで通訳のアルバイト。ところが英語はあまり話せず、トイレに隠れることがあった。


ししとうのヘタと種を取り、半分に切る。

団体職員として就職。その頃に北一輝の従兄弟の娘、貞子と結婚。
したにも関わらず安定した職を捨てて俳優になる夢を追いかける。
新東宝に入社。ここで芸名が丹波哲郎となる。またしても態度が大きいと言われてなかなか仕事がない。それでも『殺人容疑者』でデビュー。
300本以上の映画、テレビドラマや007等の外国映画にも出演。
俳優として不動の地位を得る。
しかし俳優としては致命的な弱点が二つ。
セリフを覚えない。遅刻魔。
「どうして家でセリフを覚えてこないんだ」
と言われると、
「俺は仕事を家庭に持ち込まない主義だ」

陣内孝則主演の『結婚してシマッタ!』というドラマで、何故か暫く沈黙した丹波が、
「君の心に大きなクエスチョンマークが見える」と言った場面があったのを思い出す。恐らくセリフが出て来ず、アドリブだったのではないか?


唐辛子の種を抜いて輪切り。

何度も遅刻するので怒った監督は丹波を無視。
「おはようございます、丹波哲郎です」
構わず挨拶。監督がそっぽを向くと、わざわざそちらに顔を向けて
「おはようございます、丹波哲郎です」
こんなことを五回。しまいには監督は笑い出した。
007で共演したショーン・コネリーも連日の遅刻に堪り兼ねて文句。
それでも丹波と打ち解けて東京の丹波邸にお忍びで遊びに来たとか。
憎めない人柄だった?


玉葱を薄切り。

最愛の妻はポリオを発症。33歳という若さで車椅子。
「なってしまったものは仕方がない」と言って貞子は前を向く。クヨクヨしない強い女性。
丹波は献身的に支えて、地方ロケがない時は極力在宅。妻との時間を大事にしていた。
のですが愛人と隠し子発覚。
記者に問われると
「そんなことはタクシーの運転手さんでも知ってるよ」
あっさり認める。もはや隠し子ではなく隠さない子?


大蒜と生姜を摺り下ろす。

代表作はやはりGメン75。
ボスである黒木警視を演じた。
この時も共演者の役名を覚えられず、蜜柑に書いていたら食べられてしまったとか。
番組オープニングで陽炎が立つ滑走路を出演者が横一列に並んで歩く場面の撮影前日、丹波のみが木更津に缶詰。家に帰したら遅刻する恐れがあったから。
運転中、警察に止められた時
「Gメンだ。御苦労さん」と言って通り過ぎようとしたとか。
大物感ある逸話多数。
若い頃は態度がデカイと言われていた丹波ですが、自身が大物になった時には誰に対しても態度が変わらず、気さくに話してくれると、正にボスのような存在として慕われた。
思うに監督とか先輩とか偉ぶりたい人にとっては誰に対しても態度が変わらない丹波は生意気に見えたのでしょう。


材料をすべて鍋へ。

後年の丹波哲郎を語る上で外せないのが霊界研究家としての一面。
知り合いの俳優が癌を宣告され、死の恐怖に怯えて錯乱状態になったのを見て、死が恐ろしいのはわからないからだと考えて、死後の世界研究。
自らを霊界の宣伝マンと称して、講演やテレビ番組で積極的に霊界の話。齢を取ってから始めたように思われ勝ちですが、若い頃から興味があったらしく、キイハンターで共演した千葉真一によると待ち時間にもよく霊の話。
自身には霊能力はなかったと言われていますが二度、臨死体験。
子供の頃、食べた饅頭が腐っていて赤痢に罹った時と、晩年に肺炎を発症した時。どちらも幽体離脱して自身を上から見下ろしたとか。


沸騰したら弱火にして蓋をして10分後。

「明るく素直に生きなさい」「朝晩、守護霊様に挨拶なさい」「子供は親を選んで生まれてくる。勝手に生みやがってと子供が言ったら、おまえこそ勝手に出てきやがってと言い返しなさい」
「死ぬのは新たな誕生。ケーキに蝋燭を指してお祝いすべき」等々、霊界に関する名言多数。
そんな丹波語録を盛り込んだ歌が冒頭に引用した『タンバでルンバ』
嘉門達夫が歌い、これが縁で共演も。
母が亡くなった時、息子の義隆は密かに危惧。
母の葬儀で本当にお祝いを言うつもりか?
ところが、丹波は大きな体を小さくして嗚咽。杞憂でした。
平成九年(1997)に妻が死去。この時には号泣。
更に大きな変化。霊界への言及をピタリと止めた。


ブー丹波哲郎

エマダツィ、本当は青唐辛子を使うのですが、それは流石に辛過ぎるだろうと思い、ししとうに変更。和風出汁に豆乳で出来るだけマイルドに。
これではアレンジではなく別物?
豆乳でタンパク質、玉葱から食欲増進成分アリシン、唐辛子から脂肪燃焼効果あるカプサイシンと栄養ありあり。

『大霊界』という映画を製作、大ヒットさせたのに何故、霊界の宣伝マンを降りたのか?
最愛の人の死に直面して、更に自身の死も近づいているのを感じて、いくら研究した所で畳の上の水練でしかない。死んだらどうなるかは死んでみなければわからないと達観したのではないか。
死んだらどうなる?というのは人類不変の悩み。
宗教というものの究極の目的は、それを探求することかもしれない。
しかし平成十八年(2006)に84歳で亡くなった丹波哲郎は無宗教で葬られた。
特定の宗教信者が霊界のことを説いたら、勧誘されると身構える人が多いけれど、宗教色がない丹波哲郎が説いたことで多くの人が惹きつけられたのかもしれない。
無事に大霊界に辿り着いたのだろうかと丹波哲郎を妄想しながら、ブー丹波哲郎をご馳走様でした。

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