アントシアエノキ
令和四年も間もなく暮れようとしています。
今年も多くの有名人が現世での役割を終えて、次のステージへと旅立たれました。思い出してみると、
安倍晋三、仲本工事、渡辺徹、あき竹城、アントニオ猪木等々。
これらの方々の中で唯一、私が肉眼で見たことがある人物、アントニオ猪木を追悼する料理。
えのきだけ 一袋
茄子 二本
生姜 一欠け
片栗粉
醤油
味醂
酒
私が猪木氏を見たのは中学生の頃。地元のデパート屋上でトークイベントがあり、そこへ友達と共に出掛けました。
この目で見た猪木氏、大きく、力に満ちた存在として脳裏に焼き付きました。当時は新日本プロレスの社長、現役プロレスラーとして活躍されていた時代。強さとか力に憧れる中学生としては、眩しい存在でした。
根本を落とし、食べやすい長さに分けたエノキをボウルに入れ、すりおろした生姜、醤油、味醂、酒をそれぞれ大匙1づつ入れて混ぜる。そのまま五分放置して味を染み込ませる。
猪木寛至氏は横浜出身。子供の頃、移民として家族でブラジルへ。コーヒー農園で過酷な労働。それが彼の肉体と精神を鍛えたようです。
ブラジルに巡業に来た力道山に見出されて帰国。プロレスラー、アントニオ猪木となりました。
力道山の死後、ジャイアント馬場率いる全日本プロレスとアントニオ猪木率いる新日本プロレスが人気を二分。日本にプロレスを定着させました。又、プロレスの枠に捉われず、異種格闘技戦を盛んに行い、熊殺しの異名がある空手家、ウイリー・ウイリアムスや伝説的なボクシング、ヘビー級チャンピオンのモハメド・アリとも対戦。
現在、総合格闘技というものがありますが、その先鞭を付けたのは猪木氏。
五分経過したようです。
平成元年(1989)に参議院議員に当選。スポーツ平和党を結党。スポーツを通じて世界平和に貢献したいという理念。
北朝鮮やイラクでスポーツの祭典。
政治家として特筆すべき功績は、平成二年(1990)湾岸戦争時のこと。
イラクのクゥエート侵攻に端を発した戦争で、イラクはクゥエートにいた日本人を拘束。事実上の人質としました。
日本政府が手を拱いている中、猪木氏はイラクで「平和の祭典」を行うことを発表。単身でイラクに乗り込みました。交渉の結果、祭典の終了後に人質になっていた41人の日本人は無事に解放。
猪木氏の行動をスタンドプレーだと批判する議員等もいましたが、口だけで何もしない議員や私利私欲、特定の団体のためだけに動く政治家などと比べ物にならない勇気と行動力。
この時の猪木氏、リングの上同様、いやそれ以上に輝いていました。
どうして茄子とエノキを合わせた料理にしたかというと、単なる語呂合わせです。
猪木はエノキでいいとして、アントニオをどうするか、アントシアニン!と思いつき。アントシアニンを含んだ食品と言えば黒豆とかブルーベリー。しかしどちらもエノキには合わない。茄子にもアントシアニンが含まれていると知り、茄子。
揚がったら、油を切ってから盛り付け。
エノキと茄子の組み合わせ、思い付きでしたが正解。
からっと揚がったエノキの食感に茄子がボリュームを加えて食べ応えあり。ご飯のおかずにもビールのおつまみにもなる。
抗酸化作用があるポリフェノール、アントシアニン、目にもいいとか。
醤油とよく合う生姜の風味も素晴らしい。体を温める生姜、寒くなるので多く取りたい食材。
片栗粉が接着剤のようになり、エノキや茄子をばらけずに纏めて、見た目も竜田揚げっぽい。
私が尊敬する本物の医師、吉野敏明先生。今夏の参院選に参政党から出馬しましたが、猪木氏に立候補してもらってはどうかと事務局長の神谷宗幣氏に相談。
「流石に病人は駄目でしょう」ということから見送り。
晩年の猪木氏、闘病の様子を「最後の闘魂」としてユーチューブで配信されていました。人によって意見が分かれるかもしれませんが、私は見ていません。
病で弱っていく姿は見たくない。
中学生の時に見た、大きくて力に満ちたアントニオ猪木の姿を心に焼き付けておきたいと思うからです。
猪木氏のように人のために動くことが出来る政治家が令和の日本にも多く現れて欲しいと願いつつ、アントシアエノキをご馳走様でした。
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