いとこ煮くし
いとこ同士は鴨の味ということわざがあります。
いとこ同士の結婚は相性がよく、鴨の夫婦のように仲睦まじくいられるという意味。江戸時代のことわざらしいです。
男女のいとこはそうかもしれませんが、男同士、それも武家の従兄弟となると、そうはいかないのかもしれない。そんなことを、いとこ煮を作りながら妄想。
一晩水に漬けた小豆 200グラム位
南瓜 半分
塩 一つまみ
醤油 大匙 2
味醂 大匙 1
麺つゆ 1/2 カップ
水 1/2 カップ
つまりは南瓜と小豆の煮物なのですが、これを何故、いとこ煮というのか?
火が通りにくい食材をおいおい煮ていく、つまり甥甥からいとこ。
或いは毛利公の正月料理で必ず出る品目で、遺徳を偲ぶ遺徳煮から転訛していとこ煮になった等の諸説あり。
また、地方によってはこの組み合わせではなく、蓮根とか大根を使う所もあるような。
まあ、美味く作れれば、何でもよしだけど。
今回、新兵器を実戦投入。
南瓜を4センチ角位に切ったら、調味料と小豆と合わせて投入。
後は蓋を閉めて強火加熱。
その間に妄想。
関係が上手くいかなかった従兄弟として思い出したのは、源頼朝と義仲。
一般的には木曾義仲と呼ばれるのは、義仲が敗者だから、源ではなく一段下がった、在所の名を取って、通り名にされているからですね。
二人の父、義朝と義賢が兄弟という従兄弟同士。共に河内源氏の血を引いているものの、ライバルとも言うべき存在。いやライバルどころか義仲にとっては頼朝は仇とも言える。何故なら、義仲の父は頼朝の兄、義平に討たれているから。
その事情等については、こちらもどうぞ。↓
平家打倒に立ち上がった源氏の旗頭となった頼朝と義仲。先に都に入り、平家を追い落としたのは義仲。一歩、先んじたと感じたことでしょう。源氏というのは同族間での争いが多い。今風に言うならマウントの取り合い?
源氏再興という共通の目標よりも、どちらが主導権を取るかを競っていたようにも見えます。
入京した頃、折り悪く飢饉の最中。京都は都市であり、生産者よりも消費者の方が多い。そこに更に義仲が率いてきた兵が入ったことで食糧事情が悪化。乱暴狼藉も起こり、治安悪化。民心も離れる。
義仲は自身が旗印として担いできた北陸宮こそが源氏蜂起の契機となった以仁王の系譜であることから、皇位を継ぐに相応しいとして皇位継承問題にも介入したことから、公家や皇族、特に後白河法皇と不和に。
ついに後白河法皇の要請を受ける形で、頼朝は弟の範頼、義経に軍を預けて、義仲追悼のために上洛させました。
てなことを考えていると、もう蒸気。
それから弱火にして20分程、煮る。
こうして源平合戦ならぬ源源合戦。
宇治川や瀬田の合戦で敗れ、近江国粟津で義仲は討ち死に。享年31歳。
吾妻鏡では義仲を討ったのは相模国の住人、石田次郎とされていますが、愚管抄では義経の郎党、伊勢三郎となっています。
どっち?
煮汁を味見してみると、少し甘味が足りない。そこで伝家の宝刀。
大匙1程加えて、蓋を取ったままで弱火で煮込んでいく。
頼朝、義仲という従兄弟達の不和、子供達の代にまで不幸を及ぼしました。
義仲の息子、義高は頼朝の長女、大姫の許嫁として鎌倉に送られていました。体のいい人質。
義仲の死後、頼朝が敵の子を放っておく訳がありません。何しろ、自分自身が助命してくれた平家に牙を剥いたという事例があるのですから。
やはり義高は殺害。その後、頼朝はこともあろうに大姫を皇室に入内させようと画策。しかし義高の死後、心を閉ざしてしまった大姫の拒絶により実現せず。大姫も死んだ義高の元へと急ぐように早世。
親族の不和が更なる不幸を呼んだようにも思えてきます。
煮汁が大分、減ったので完成と見做してよかろう。
このまま食べるよりも冷ました方がベター。煮物は冷める時に味が入っていきますから。それに冷める間に煮汁を吸った小豆が柔らかく味わい深く。
ということで、一度、冷ましてから再度、温めて食べると南瓜も柔らかく、小豆も程よい煮え具合。小豆は煮崩れさせるとあんこになっちゃいますから、粒粒感が残っている方が料理としてはよし。素材の自然な甘さが楽しめます。
色の濃い野菜や豆はポリフェノール豊富、小豆もそう。サポニンも含まれているし、南瓜のβカロテンも摂取。
頼朝と義仲、主導権争いよりも源氏再興とか世の中をよくするという共通の目標を優先していれば、その後の歴史も違っていたかもしれません。何しろその後、頼朝は従兄弟どころか弟達も死に追いやっていき、結果として源氏は先細り。
親族、いや更に広く多くの人と調和出来る社会が到来して欲しいと思いつつ、いとこ煮をご馳走さまでした。
おまけの話。
冒頭に掲げたことわざについての別解釈。
多分に性的な内容を含みますので、そういう話が苦手な人はこの先は読まないで下さい。
「いとこ同士は鴨の味」ですが、単に仲がいいということだけではなく、具合がいい、性的にという意味も含まれるとか。江戸時代までいとこ同士の結婚は珍しいことではなく、今の民法の規定でもいとこは四親等なので三親等までの血族から外れるので結婚しても問題なしですが、近い親戚であることは間違いなく、近親相姦に近いとも言える。
江戸時代まで、基本的に肉食は日本では禁忌とされてきましたが、鴨などの野鳥は食べられていました。禁忌の肉食に近い味、背徳な性交という意味合いも含まれていたとする説もあります。