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斎藤弁当


「西国武者は親や子が死んだら、嘆き悲しみ、供養をしてからでないと出陣しないが、東国武者とは親が死のうが子が死のうがその屍を乗り越えて遮二無に突き進む者である」
東国の武者はそうした猛き者達なので、心して当たらねばならないと平家武者に説いたのが銅像の人、斎藤別当実盛。
治承四年(1180)10月、源頼朝率いる東国武者と富士川を挟んで対峙している平維盛率いる西国武者に、そうした心構えを説いたのでしたが、逆効果になりました。
夜半、水鳥が一斉に飛び立った羽音をすわ東国武者達の夜襲と勘違いした平家軍、一斉に逃げ散ってしまったと平家物語は伝えています。

武蔵国長井庄を本拠としていた斎藤実盛、源義朝や義賢に臣従していましたが、平治の乱で源氏がほぼ壊滅した後は平家に付き、平維盛の後見役。
実盛が開基したと伝えられている妻沼聖天山を訪れました。

埼玉県熊谷市郊外にある歓喜天の霊場。
因みにこちらは熊谷次郎にまつわるお話↓


実盛がまだ源義賢に仕えていた頃、その兄である義朝の子、義平が義賢を討ち取ります。源氏というのは同族同士でよく争う一族。
大蔵合戦というこの出来事の後、実盛は義朝の旗下に。一方で義賢への恩も忘れておらず、義賢の遺児、駒王丸を保護して信濃の豪族、中原兼遠の元へ送り届けました。子供まで源氏一族の相克に巻き込むのは忍びないという思いもあったと思いたい。
やがて平治の乱で源義朝が敗れて、源氏勢力がほぼ駆逐されてしまい、平家に臣従したという経緯がありました。
ころころと主を変えたと見えるかもしれませんが、武士は家族や郎党の命を預かっているので、臣従先を間違えると揃って滅亡になってしまうので止むを得ない面もあったのでしょう。
やがて義朝の遺児、頼朝が挙兵するのですが、流石にそれに加わることまではしませんでした。相克の一族、源氏に嫌気がさしていたか、その頃には老境に差し掛かっていたので今更、新興勢力に与するのは潔しとはしなかったのか。
やがて頼朝以外の源氏勢力も平家に反旗を翻す。信濃から立ったのが木曽義仲。彼こそが実盛が逃がした駒王丸が成長した姿。

平和の塔

妻沼聖天山、本殿は国宝に指定されていて、埼玉日光とも称される見事な装飾を見ることが出来ます。

平維盛率いる軍に加わっていた斎藤実盛、その義仲軍と戦うために北陸に遠征。
老境にあった実盛、若々しく戦いたいという思いから、白髪を黒く染めて出陣。

斎藤実盛像

この銅像、髪を染めている様子を示しているとか。
老武者として侮られたくない、討たれても見苦しい白髪首を晒したくないという彼の思いですが、結実してしまうことになります。
加賀国篠原の戦いで平家軍は敗北、味方が総崩れとなる中でも実盛は踏み止まり奮戦、やがて義仲の部将、手塚光盛に討たれました。
首実見に臨んだ木曽義仲。命の恩人である斎藤実盛を討ち取ってしまったことを信じたくない思いもあったのか、黒髪の首を見てもなかなか認めようとせず。
「斎藤別当ならば、もう高齢の筈。こんなに黒々した髪の筈がない」
しかし、念のために池の水で洗った所、染料が落ちて、忽ち白髪首。
命を救ってくれた者を自軍が討ち取ってしまったことを悟った義仲、涙にむせんだと、これも平家物語が伝える話。

死に際こそ美しく潔くということを体現した斎藤別当実盛に捧げる料理。

材料

人参 半分
油揚げ 2枚
乾燥ひじき 二つまみ
醤油 大匙1
雑穀米

そして研いだ米二合。

油揚げはキッチンペーパーで油を拭き、人参は拍子木形に。それらと他の材料を、研いだ米二合を入れた炊飯器へ。

30分程浸水させてから炊飯。
この料理の肝と言うべきはこれ。

雑穀米

最近はスーパー等でも色々な雑穀米が入手可能。
私が使うこれは黒米や小豆、玄米や麦等々が混ざった逸品。普通に白米に混ぜるだけなのでお手軽。それでも白米だけでは不足しがちなビタミンやミネラル、抗酸化作用があるポリフェノール、発芽雑穀も混ざっているので、ストレス軽減や中性脂肪の燃焼を促進するというGABAも摂取出来ます。勿論、添加物不使用。

炊き上がったら、10分蒸らして完成。

斎藤弁当

こういう命名にするのならば、弁当箱に詰めればよかった。白米が黒くとまではいかないけれど、色づきました。ひじきが黒髪の象徴ということで。
ひじきからカルシウムやカリウム、油揚げからはタンパク質、人参からはβカロテンと十分な栄養。これまたおかず要らずの炊き込みご飯。

最後まで踏み止まり戦い、死に際こそ美しくという武士の美学を示した斎藤別当実盛。私を含めて、現代を生きる日本人はどれだけそうした覚悟を持って生きていることだろうか。偉大な先輩日本人達から学ぶべきことはまだまだ多い。

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