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熊谷次郎を料理する。

人生迷走しているおっさんが料理しながら、歴史上の人物をあれこれと妄想するという、どうかしているお話。今回、俎上に乗せるのは熊谷次郎直実。
平安時代末期から鎌倉時代の始めに生きた、武蔵国熊谷出身の武士。
先日、長野県松代町の郊外にある、世界最古のピラミッドと言われている皆神山を訪れた時、奉納琵琶の演舞に聞き入りました。詳しくはこちらへ。

聞こえてきたのは平家物語、敦盛最後の場面。
源義経の鵯越の逆落としと言われる奇襲攻撃で名高い一ノ谷の合戦。熊谷次郎直実もこの戦に参加。源氏軍に圧された平家の武士達は沖に浮かぶ軍船へと逃げていく。そうした騎馬武者の一人に熊谷次郎は呼び掛けます。
「一騎打ちを所望」
呼び掛けられた平家武者、武士として逃げる訳にはいかず、熊谷と向かい合う。やがて熊谷、武者を地に組み伏せるが、兜の中の顔を見ると、まだ幼さも残る若者。
この前日の戦闘にて、熊谷の息子、小次郎が負傷。そのことを思い起こす。
我が子が怪我したというだけでも、父親の自分は案じ、胸を痛めた。この若武者にも親がいることだろう。討たれたとなれば、若武者の父はさぞ、嘆き悲しむことだろう。
哀れを覚えた熊谷、逃がそうと思いましたが、若武者は既に覚悟。
「此処で見逃してもらった所で、他の者に討たれるだけだ」
その言葉通り、後方からは他の源氏武者。
ならばと、熊谷は若武者、平敦盛を討つ。
この顛末に世の無常を感じた熊谷次郎直実、後に出家する。というのが粗筋。

ところが、鎌倉幕府の公式記録である吾妻鏡によれば、熊谷次郎直実出家の経緯は異なる。
源平合戦も終わった後、熊谷次郎直実は伯父と所領を巡って紛争。この時代の武士にとって土地は命を懸けて守るべきもの。そこから一所懸命という言葉が誕生。
最終的に源頼朝の前で、お互いの言い分を述べて決着つけようということに。今風に言えば、裁判。
熊谷次郎、腕は立つものの弁は立たず、忽ち不利に。鎌倉時代にも弁護士がいれば、よかったのに。
うまく自分の言い分を伝えられない熊谷、苛立ちを募らせて、ついに堪忍袋の緒が切れる。
「こんなことをいつまでもやっても無駄」
自ら髻を切って、そのまま逐電。出家したという。

武士として弓矢の腕は立っても、口下手で思うことをうまく伝えられない。不器用で泥臭い。そんな熊谷次郎直実に捧げる一品を作らむと欲す。


材料

蓮根 200グラム位?
人参 半分使います。
牛蒡 一本。

水  2カップから2.5位
塩  小匙 1
醤油 小匙 1
酒  大匙 2
鰹節 二握り位?
柚子胡椒 お好みで。

所詮、男の料理ですから分量はアバウトなもんです。
御覧の通り、メイン食材は今が旬の蓮根。佐賀の蓮根を使用。大きくてもっちりとした食感が素晴らしい。
蓮根に人参、牛蒡とどれも泥の中にある根菜。食物繊維豊富な逸材ぞろい。

1センチ位の半月切りにした蓮根を酢水に5分程漬ける。
酢をどの位、入れるかですが、私はボウルに水を入れてから酢を少しづつ入れながら酸っぱいかなと思う程度まで入れます。これまたアバウト。
この工程をやっておかないと、蓮根は真っ黒に変色してしまいます。

牛蒡も皮を包丁の背で削いでから、3センチ程度の斜め切りにして水に2分漬ける。これも変色予防のため。余計なことですが、刃で削いだら身までどんどん削れて勿体ないことになります。(というか、自分が以前、それをやった)
土の中にいて、見た目は頑丈そうでも蓮根も牛蒡も実はデリケート。
人参は乱切り。

鍋に水と鰹節を入れ、野菜を入れて煮る。

沸騰したら火力を少し弱めて15分程、更に煮る。
その間にまたも妄想。

源頼朝の前から逐電した熊谷次郎直実ですが、その後、京に上り、浄土宗の開祖、法然に弟子入り。出家して蓮生という名に。
蓮生という僧侶になってからも破天荒な逸話。
都から関東に戻ることになった時、蓮生坊、馬の鞍を前後反対に付けて進行方向に背を向けて乗馬。
何のためにそんなことをしたのかというと、東を向いたままでは、仏が住まう西方に尻を向けることになり、畏れ多いという理由。
やはり、何となく泥臭さを感じる逸話。

そんなことを考えつつ時々、灰汁を取ったり、火の通りを均一にするためにかき混ぜて15分経過。食材の中でもっとも堅い人参に竹串を刺して、すっと通るようならば完成。塩と醤油を加えていき、味を調える。
皿に盛って、柚子胡椒を添える。

蓮生煮

蓮根を煮て、主に醤油で味付けしたということから、れんしょう煮と名付けよう。
柚子胡椒は少しづつ付けて食べてもよし、煮汁に溶かしてもよし。それにしても少し前まで柚子胡椒とは九州出身者だけが知っているお宝調味料でしたが、今では全国のスーパーでも入手出来る程、ポピュラーに。
蓮根はシャキシャキしながらももっちり。人参も甘い。牛蒡も味わい深い。灰汁抜きをしっかりしているから泥臭さも感じられず、カツオだしがよく沁みている。食物繊維ばかりか、人参のβカロテン、牛蒡のカリウムやマグネシウム、ポリフェノールもたっぷり摂取。
柚子胡椒のピリリ感が舌を引き締める。
根菜から土の栄養を頂いていることを実感。

さて、蓮生坊となった熊谷次郎直実のその後ですが、自分が極楽往生する日を宣言。高札まで立てて世に知らしめました。つまり自分が死ぬ日を公言したということ。しかし、自殺でもしない限り、指定した日に死ぬなんてことなかなか出来る訳もなし。結局、その日の往生は成らず。しかし再度、それを行い、今度は見事に極楽往生を遂げたとか。
死ぬ時まで根性を見せて、今生とおさらばした?

追記
熊谷次郎直実の故郷、埼玉県熊谷市を訪れました。

熊谷次郎直実像

駅前に建つ銅像、北村西望作だそうです。長崎平和祈念像の作者として有名な方ですね。この銅像は正に一の谷合戦で平野敦盛を呼び止めている場面。
人口20万人の熊谷市、新幹線も停車する結構なお街。デパート、映画館、イオンもあります。
都市化が進んでいるので、熊谷次郎直実が生きていた時代の名残を探すのは難しい。

師、法然の死後、この地に戻った蓮生こと熊谷次郎直実。生誕した地に庵を結び、そこで前述の極楽往生。

熊谷寺

その地に建っているのが熊谷寺。
くまがやてらではなく、ゆうこくじと読みます。
このお寺、仏道修行道場という場を守るためという理由から、拝観止め。
あくまでも仏道修行の場であり、観光のための寺ではないとの徹底ぶり。不器用ながらも信じる道を貫いた蓮生坊の遺志を継いでいるようにも思えてきます。
春と夏に特別公開がありますが、この二年程、コ▢ナなどというありもしない茶番デミックのためにそれも停止になっていました。
どうせ今年もと思い、ノーマークでしたが、このお寺のホームページによると、どうやら今年の夏は公開があったようです。しまった。
此処に眠る蓮生坊の墓参、いつか果たしたいと思っていますが、またも機会を逃したか。しかし仮に夏に行ったとしても、マス〇して下さいとか言われたかも?マ〇クなどしなくてもいい世の中になるまで待つ方がいいか。

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