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青春の味、リプトンの紙パックミルクティー販売終了にセンチメンタルになる36歳

昨日Yahoo!ニュースをなんとなく見ていて飛び込んできた衝撃ニュース。

あの、高校時代の思い出のリプトンの500mlの紙パックミルクティーが販売終了だと・・・?!

ミルクティーのみならず、他のシリーズもすでに販売終了していたらしい。

そんな・・・私の青春が・・・
ならばと、恐る恐る下記のワードを調べてみた。
森永 ココア 紙パック 500
バンホーテン ココア 紙パック 500
・・・!!!!
全部とっくの昔に販売終了しているではないか。

今も毎日愛飲していて大好きだった商品というわけではないのに(だってもうすぐ販売終了から1ヶ月がたつのに気づかなかった)、なぜこんなに傷ついているのかといえば。

リプトンの紙パックは私の青春だからだ。

リプトンの紙パックといえば、まずすぐ思い出すのが田舎の女子校の汚い教室。
3年6組だった私は、仲良しグループの子たちと窓際の後ろの方という最高の席を得て、ゆるいスクールライフを送っていた。

スカート丈の校則が異様に厳しく、短いものを履いているとその場で先生に没収されて(ジャージで帰れと言われる)卒業まで返してもらえないという、結構今なら親からもクレームが出そうな横暴な支配を受けていた私たち。

もちろんみんなスカートは短く切っているので、先生が見張っている校門の前だけ先輩などから貰い受けたスケバン級に長いスカートを制服の上からかぶり、席に着くとすぐにジャージに履き替えるという生活をしていた。

自分の席に着くとすぐにスカート脱いで、もんぺシルエットのだっさいジャージに履き替え、セーラー服ともんぺという戦時中スタイルでの生活。
今時珍しいシンプルなセーラー服が可愛くて入学したのに、可愛く制服を着ていられたのって男子校の文化祭行くときと男子校の野球部の応援行くときくらいだったな!

そんなさえない田舎JKたちのお供がリプトンの紙パックシリーズ。
友達もみんなリプトンの紙パック。
人によって毎日飲んでいた味が違うのもいい思い出。私はもちろんミルクティー。
休み時間に朝学校の前のセブンで買った菓子パンをかじり、それでも足りなくて学食で買ったコロッケパンと唐揚げパンをかじりながら、いつも飲んでいた。

本当に、どうでもいい話しかしていなかった。
「彼氏欲しー」とひたすらぼやくか、彼氏ができれば彼氏の愚痴か惚気か、誰の彼氏がこうだとか、誰がまた彼氏変わったとか、どこ高の●くんがイケメンだとか、今年の文化祭はどこの男子校に行くかとか、8割は男の話。
残り2割は、先生の悪口と、水泳の授業をどうサボるかと、ディズニー行きたい、ジャニーズの出待ちしたい、とかだったと思う。
朝学校に着いた瞬間から、休み時間も、ランチも、むしろ授業中も、放課後も。
ずーっと内容のない話をしていた。
傍らにはいつもリプトンの紙パックが呑気な女子高生を見守ってくれていた。

20年がたった今も、放課後の空気感、教室の日の入り方、だっさい緑ジャージときったないルーズソックス(田舎だからまだ履いていた)、綺麗に並んでいない机、汚い黒板、落書きだらけの後ろの黒板、きったない床、校庭から聞こえる運動部の掛け声、吹奏楽部の音・・・鮮明に思い出せる。

ただただ友達と喋っていただけの、何も生み出せていないあの時間。
高校三年間を、ちゃんと勉強したり読書に励んだり、将来について真剣に考えたりしておけばもうちょっと人生違ったのかもしれない。部活に励めば私の最重要課題である協調性が手に入ったかもしれないし、今時高校生だって起業したりする時代だし、ちゃんと早くから勉強すればいい大学に行けたかもしれない。

でも私は、あのなんでもない時間を過ごせたことは人生の宝物だと思う。珍しく人生で選択ミスせず、思う存分無邪気に楽しんだ時間だったね、と自分を誉めてあげたい。
それまでどこか神経質で、「1番でなくてはならない!こうでなくてはならない!」と張り詰めて生きてきた私が、ゆるーーーーく変われたのもあの3年間、友達と無駄な時間を過ごしたおかげ。

今そんな時間を過ごしたいと思ってもなかなか予定も合わなくて無理だろう。あんなに毎日話していた友達も、子育てや仕事が忙しくなって疎遠になっていたりする。たとえ同じメンバーが全員集合したとしても、あの頃のように楽しく過ごせるとはなんだか思えない。
どんなに願ってももう叶わない、キラキラした高校生活。

今この楽しい時は一生は続かないんだな、と頭ではわかっていても寂しいものがある。
高校に限らず、大学も、アルバイトのメンバーも、転勤先の仲間たちも、状況が変われば、関係も変わる。
今、ずっとこうあって欲しいと思っている居場所も少しずつ変わっていくのだろう。それが成長するということなんだろうけれど。
変わっていくことはいいことで、そこに留まっていることが逆に問題なのはわかってはいる。リプトンだって、存在も忘れてもう何年も飲んでいなかったのだし、今毎日飲みたいかと聞かれたら…否だ。

大事にしている今も、きっとあっけなく変わっていって、いつのまにか忘れられて、あっけなく終わりを告げる。
永遠なんてものは存在しない。
だから今を生きる。
そんなことを教えてくれた青春の味、リプトン紙パックミルクティーとの別れだった。


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