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不思議の国のアリスの視界、パンチャマハブータの体感


こんにちは、アーユルヴェーダモアのYUKIです。

今日は、私が小さい頃に見ていた不思議な境界線の世界、アリスの世界のことを書いてみました。


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アーユルヴェーダの考えの基本は『調和』。


心身の健康のためにエネルギーバランスをとることは、

自分と家族

自分と友達

自分と自然

家族と職場

自分の気持ちと役割・・・

いろんな調和をはかること。


こういう、単位の違うものや

境界線で分けられているものの調和をはかるって

生活の中で自然に出来ているように見えて、以外と難しいこともある。


わたしにとって、いちばん難しいのは
自分と自然の調和を感じること。


え~それアーユルヴェーダの基本じゃん!笑

と言われそうですがww


なんか、すごく苦手なんです。
自然を感じたり、自然に身を任せることが。

頭でっかちだからでしょうか。

だからアーユルヴェーダに惹かれているっていうのもあるかも知れないなー



感覚的なものにあこがれつつ、
理論的な説明を求めるような

そんな右脳と左脳のバランスの私は

自然と自分の境界線をギューーーっと強くひいてしまいがちです。

自分の個体を守ろうとして
周りに溶けることを恐れる。

そういう防衛モードがあります。


小さい頃はその逆で
2歳とか?4歳とか?まで
境界線を意識することなんてなくて

視界に入る家族の身体と、その周りの世界の境界線がぼやけて見えていた

ぼやけて見えるときは遠近感もおかしくて

オーラみたいな、蜃気楼のような
不思議な濃度と密度の
色とりどりの層をいつも見ていた。

それが普通だと思っていた。

今はもうそういう混じり合った境界線の層を見ることはほとんどなくて

神社に行ったときとか、ご神気の強い場所でたまに見かけるくらい。


でも
この、小さいころに感じていた

人間と空気、人間と環境が「混じり合う」「溶け合う」のが
常に当たり前に起きている感覚

を、いつでもベースに覚えていたいです。

アーユルヴェーダで言うところの

パンチャマハブータ(自然の要素、一番小さな物質の単位)が自然界の中

交流し合い、交換し合うことの体感だと信じているから。


日々の生活に追われていると
思考優位になって
感情とか芸術みたいな感覚的な対象さえ、思考で理解しようとしてしまう。

でも、思考する前に感じているはずの五感とか、
もはやその中心にあるただの『勘』でとらえていた世界

小さいころに、心の目とか、心の耳で触れ合っていた
エネルギーと物質の間にある
自由で変化自在な世界は


いまもここにあって
まさに私を包んでいると知っていたい。覚えていたい。


そういう意識状態でいられる時間が長くなるほど

風や空、太陽の光、緑、鳥の声、水・・・

ただただそこにある自然と
もっと心地よく調和できるんじゃないかなぁと思うんです。

その延長で
家族や仲間とも、もっと自然でもっと心地よい
喜びがたくさんの関係を築いていけるんじゃないかなぁと。

そういうのを目指したいなと思うんです。


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余談のはなし

ちなみに、小さいころにみていた不思議な層の話で、
遠近感がときどきおかしかったのが気になって調べたことがあります。笑

そしたら、『不思議の国のアリス症候群』というのが出てきた。

子どものころに体験することがあるそうで
遠くのものが大きく
近くのものが小さく
見えて世界がゆがんだ感じになるそう。

"症候群" なんていうと深刻な感じもするけど

多くの場合はヴァータとピッタのバランスの加減で起きていることなのかな?

私が『不思議の国のアリス症候群』だったかどうかはわからないけど
パンチャマハブータを感じさせてくれた幼児時代、すごく素敵だった!

ありがとう♡


また書きます!

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