【エッセイ&映画レビュー】レナードの朝を観て
相変わらず気温が乱高下していますね💦
季節の変わり目や、低気圧や台風など、自律神経の弱い私は体調に変調をきたすので何気にキツイ季節🥹
しかーーしっ✋
生まれ持った体質なのでしょうがない!
「辛いよ~」
言うても治りませんしね。なので
「まぁこの時期こんなもんよな~」
くらいに捉えるようにしています。
ちなみにわたくし、見かけはめっちゃ健康そうに見られます!爆🔥
「身体弱いねん🥹」
言うても
「な、なんて、ご!冗談をホホホーッ!」
と笑い飛ばされるレベルに健康そうに何の苦労もせずに生きて来たように見えるらしいっす!
(人よるけどもね)
子供の頃からそう見られるんですよー笑
実は身体は弱いし、バイオレンスな家庭育ちでして、まぁ渡る世間は鬼ばかり的な(?)まぁ色んなことてんこ盛りの幼少期だったんですけどね🤗
まぁでもなんでしょ、滲み出る品と申しましょうか(言うてて恥ずかしいわ!w)何といいましょうか、病気もせず苦労もせず能天気に生きてるように見えることも多々あるようです、、、(そう見える人、お前のお目は節穴か?🫵w)
まぁいいんですけどね、それで。
「私、苦労してますねん。。」
「身体弱いねん」
「可哀想やねん、わたし」
って昭和枯れすすきに見えるより、健康的で苦労なんか知りましぇーーんみたいに見えた方が千倍マシ!
って何を言いたいんじゃ、私っ😂
とにかく、変えようのないことないことはやり過ごす!
悩むだけ無駄!
全部抱え込んで、可哀想な人になったらマジで「昭和枯れすすき」言われるよ?(てか、平成枯れすすきもおるかw)
って何の話やねん👋的な入りで書いてみました!
ま、たまにはね!
レナードの朝ってどんな話?※ネタバレあり
ご存じの方も多いと思いますがこの映画は、名優ロバート・デニーロと今は亡き、私の大好きなロビン・ウイリアムズが共演した作品で、実際1915年から1920年代にかけて世界中で流行した嗜眠性脳炎(しみんせいのうえん)を題材にしたお話。
原案は「Awakenings」で"目覚め"という意味があり、この話で登場する医師オリバー・サックスの医療ノンフィクションの著書を基に描かれています。
始まりの一歩
人付き合いが苦手だけど、誠実な人柄のマルコム・セイヤー医師(ロビン・ウイリアムズ)は慢性神経病患者の専門病院に臨床神経科の医師として勤めることになりました。
ある日、新しく入院してきた患者ルーシーを診察中のこと。
全く何の反応も示さなかった彼女が、ふと目を離した隙に、自分の落ちかけた眼鏡を拾おうとしていました😳
そしてそれは他の患者にも多く見られ、それが”反射神経”が残っているのだと気が付きます。
セイヤーは早速そのことを他の医師に話しますが、ただの”反射”だと取り合ってはくれませんでした。
そんな彼をさりげなく励ますのが看護師のエレノアでした。
確信
セイヤーはこの症状が何か共通する病気なのではないかと、過去の記録や文献等を調べました。
そして、それが1920年代に流行した”嗜眠性脳炎”であったことを突き止めます。
彼は患者の一人、”レナード”に出会います。彼は20歳の頃から30年間この病院に入院していました。
他の患者と同様にただ動かずそこにいるだけ。
しかしある日、彼の脳波を検査していた時、光を当てても何の反応も無かった彼が、”レナード”と名前を呼んだ時に脳波が反応をしました。
セイヤーは患者たちは”内部では正常なのだ”と確信します。
さらに、ボールや音楽など様々な方法を使って訓練し患者たちに少し生気が戻って来るようでした。
目覚め
患者の更なる回復を目指し、セイヤーはパーキンソン病の新薬を使ってはどうかと考えましす。
上司であるカウフマン医師に、新薬の使用を頼んでみると、「1人なら」と条件付きで認めてもらい、母親の同意をもらって最も重症である”レナード”に新薬を使うことに。
しばらくは薬の効果が得られず、彼は少しづつ薬を増やしてゆきました。
ある夜、レナードに付き添っていたセイヤーはうたた寝をしてしまいす。
ふと目を覚まし気が付くとベットにレナードの姿がありません。
慌てて探し回るとレナードは食堂にいました。
「僕だよ」
レナードとセイヤーは初めて言葉を交わしました。
30年ぶりに永い眠りから目覚めたレナードは母を腕を広げて迎えます。
「ママ!」
「あぁ、レナード!」
そして、レナードは自分が眠っている間に30年という月日が経っていたということを自分の写真を見て知ります。
驚きと戸惑いは隠せませんでしたが、それでも彼には今が何もかもが新鮮に映りました。
薬の使用は成功。
彼の働きに同僚たちは賛同し、同じ薬を他の患者に使用することになりました。
するとレナード同様、患者は目覚め、機能が回復し、生きている実感と幸せを噛みしめました。
夢の中へ
ある日、レナードは病院へ父親の見舞いに来ていたポーラに一目惚れをしました。
レナードは一人で外出したい!自由が欲しいと病院へ申し出ますが、医師たちにまだ経過を観察しているからと断られてしまいます。
それに怒ったレナードは無理やり外へ行こうとして病院の看守が付引き留めますが大暴れ。
それ以降、レナードの病状は再び悪化してゆきます。
彼ははポーラに会うため震えの止まらなくなった手で髪を整え、ポーラの元へ。
再び自分が元の姿に戻ってゆくことを察したレナードは、ポーラに
「これで”さよなら”だ」
と別れを告げますが ポーラはレナードの手をとりそっと抱きしめ、彼がまだ経験したことのない”ダンス”を踊りながらポーラはそっと涙を流すのでした。
日増しに病状の悪化するレナードは自分と同じような患者の今後の為にとカメラに記録するようにセイヤーに言います。
セイヤーは友人でもあるレナードに対し自分の無力さを感じながら涙を流しカメラを回しました。
やがてレナードを始め、患者たちは皆、元の姿に戻ってしまいました。
彼等は皆、再び深い深い夢の中へ戻って行ってしまったのです。
生きるとは
“自分のしたことは正しかったのか?“そんな疑問を抱き罪悪感を感じるセイヤー。
そんな彼を看護師のエレノアが優しく慰めます。
「命を与えて また奪うのが親切なことかい?」
「命は与えられ、奪われるものです」
エレノアが言います。
”生きるとは”一体何なのでしょう
彼はは患者から多くのことを学びました。
それは何よりも生きていることの素晴らしさ。
人の魂はどんな薬よりも”強い”ということを。
セイヤー医師はその後も治療を続け、患者たちの病状が多少回復することはありましたが、1969年に起きたような奇跡的な回復は以後見られませんでした。
感想
この映画は実話をもとに作られているのだけれど、初めて見た時はこのような病気があることも知りませんでした💦
もう何度も見てる映画だけど、セイヤー医師であるロビン・ウイリアムズがもうこの世には居ないと思って見ると悲しみが込み上げて来ます。
彼は数々の名作映画に出演しているけど、とにかくハズレがない。
どれも演技力や表現力は素晴らしいと思うし、この映画のセイヤー医師の役もはまり役だったと思う。
ロビン・ウイリアムズは享年64歳、自宅で縊死。(首吊り)
検死の結果”自殺”と断定されている。
生前アルコール依存症であったり、長らく鬱を患っていたり、晩年は初期のパーキンソン病や、レビー小体型認知症であったとも言われている。
奇しくも、この映画の嗜眠性脳炎の病態とよく似た症状の病気をロビン・ウィリアムズが抱えたいたのかと思うととても複雑。
ご本人はどんな気持ちだったのかと察するに余りある。まぁ役は医者の方だけどね。
そして、レナードを演じたロバートデニーロもまた、数々の名作に出演している俳優さんだけど、個人的には“グットフェローズ“が好きかな?
JOKERでトーク番組の司会者として出演していたけど、主役のホアキン・フェニックスに負けない存在感だった。
あ😲話が逸れた💦
世の中には本当に色んな病気や生まれつきの障害がある。
治るものもあれば、治しようのない病気も障害もある。
そして病気と日々闘う人も、障害を抱えて必死に生きている人もいる。
またその反対もいる。
かたや、生まれてこの方大きな病気したこともありません!って人もいる。
でも今、生きてるってことは病気だろうが健康だろうが同じ。
同じ命を生きているんだよね。
そしていつかは誰でも終わる時が必ず来るんだよね、命はさ。
なんだろ。
大きな病気や重度の障害を抱えてる人、死に向き合った人ほど「生きる尊さ」を知っていて、健康だったり、命に関わる経験をしたとない人ほど
「死にたい」
「楽になりたい」
「消えたい」
と軽く口にするよね。
まぁ全員じゃないけど。
それは、自分も経験があるから反省の意味も込めてだけど
「命」への冒涜だよね。
生きられるのに、生きようとしない人。
生きたいのに生きられない人、たくさんいるんだよ。
例えばレナード。
生きてはいるけれど、一度夢から覚めて、また永い眠りにつくなんて。
それはどれほど辛くて、どれ程悔しかっただろうと思うんだよね。
生きる喜びを知って、またその喜びを失うってさ。
そして、セイヤー医師。
自分が医者なら「この人を目覚めさせてあげたいたい」って思うよね。
しかしレナードの目覚めは長く続かなかった。
彼は自分のしたことが正しかったのか、与えてまた奪うのかと自問自答する。
この人を助けたい。
そう思っても叶わないこともある。抗えない現実もあるかもしれない。
それでも人は”助けたい”って思うし手を差し伸べ続けるよね。
ただ。
どうしたって救えないのは、生きることから目を背けてしまった人。
差し伸べた手を振り払う人はどうしたって救えない。
救いたくても救えないにも色々あるけれど、少なからず、救えなかった方も心に大きな傷を負うことがある。
まぁこれは私の体験からだけど。
だから、今ある命が、今こうして今日も生きていることが、どれだけありがたいことなのかって今一度考えて欲しいって思うんだよね。
昔、私の親友だったった人は、自分を大切に出来ず自らを傷付け続けた。
自分のしていることの愚かさにも聞く耳も持たず気が付くこともなかった。
「どうして私だけ幸せになれないの?」
っていつも言ってた。
まるで生きるってことを放棄してるように 私には見えていた。
そして彼女はパニック障害、躁鬱病、果ては解離性人格障害になった。
その身体で向精神薬を飲みながら更に酒に溺れた。
そんな生活が祟ってか、やがて彼女は脳梗塞になり、まだ40歳手前で半身不随に。
私は彼女を救えなかった。
色んな手を尽くしても何をしても何を言っても救えなかった。
その傷は今でも残っている。
現在は どうしているのか分からない。
聞くところによると、今もまだ人を羨み続けているらしい。
生きている間に気が付いて欲しいって思ってるけど、多分無理なんだろうな。
本当は、もっと健康に生きられたはずなのにね。
何となくその彼女を思い出した。
この映画は実際あった話で、レナードのように目覚めた患者は20人程いたらしい。
20人…。
そこには20通りの人生があり20の「命」があった。
ただ眠っているように見えていた患者達は、ちゃんと生きていて、「魂」だってちゃんとそこにあった。
それに気が付いてくれたセイヤー医師のおかげでほんの少しの間でも「生」を取り戻せてよかったのだと私は思う。
例え、また動けなくなっても、話せなくなってもそこにはちゃんと「魂」があるってこと、大切な人や家族に気付いてもらえたからね。
映画の最後。
本を読み聞かせるポーラの姿。
聞いているのはポーラの父親ではなく
”レナード”
ちゃんと聴こえてるよねきっと、ポーラの声が。
レナードは元の姿に戻ってしまったけれど、何も話せないし動けないけれど、それでもきっと幸せな気持ちで彼女の声を聞いていると思いたい。
だって。
彼と彼の「魂」はちゃんと「生きている」から。