【映画レビュー】チョコレートドーナツ~Any Day Now いつの日か~を見て※ネタバレあり
日本では2014年に公開されたこの映画。
タイトルの
”チョコレートドーナツ”
というなんとも美味しそうなこの響き。
恥ずかしながら このタイトルだけに “食わず嫌い“、、、、でした💦ドーナツだけに🤣笑笑
、、、、ではなく👋
ほんとドーナツと聞いただけで太りそうだったので…🤣そんなアホな理由でこんな名作を見ていなかったバカ野郎は私です😅ハイ。
人との出会いもそうですが、その時だから出会う人、出会う物ってあると常々思ってるんです私。
ま、映画も話題作などはまた別ですが、タイトルで惹かれたり…ふと目に止まったり…
それが出会いかなって。
多分原題の”Any Day Now"なら見てたかもです、、、、かもですが😅
SDGs(エス・ディー・ジーズ)とこの映画
2015年9月 国連で採択されたSDGsの中の17の大きな目標の中にこの映画のテーマはいくつも当てはまるんです。それは…
この辺りが ざっと当てはまる所かな🧐
日本でこの映画が公開されたのは2014年。
アメリカで高い評価を受けていたこの映画だけど、日本での上映は当初一館のみ😲
当時この映画の宣伝担当が各テレビ局に宣伝を売り込んだけど
「ゲイのカッブルとダウン症の映画なんて紹介できない」とことごとく断られ続けたらしい。
それを知って「あ、いかにも日本らしい」と感心しましたよ、、、、😑
逆になっっ!爆😤
ま、8年経って世の中の風潮も少しずつ変わってきたし 前はセンシティブだと扱われてきた様々なテーマもテレビで取り上げるようになってはきたけれど、当時はそれ自体が難しかったんでしょうね。スポンサーやらなんやらの問題もあって。
しかし、ある有名な映画コメンテーターが自身の出演している番組の映画コーナーで泣きながらこの映画を紹介したところ反響を呼び、翌週からは上映館が一気に140館に増えたという経緯があるんです。なんとも現金な。。😑
ま、結果たくさん上映されて多くの人が見られる状況になったのは喜ばしいことだけど🧐
てか、”ゲイカップルが”なんて言ってても、実際はLGBTQの人達がテレビに出演することで人気番組になったり、テレビ業界は支えられてる面もあったわけだし矛盾してるんだよね😤(いつになくご立腹のあゆさんw)
ちょ、前振りが長いよ、あゆさん。。。(´-ω-`)聞こえてきますがもう少しお付き合いを✋笑
私には昔、夜職の頃仲良くしてたゲイ寄りのバイセクシャルの男友達がいました。他にもトランスジェンダーの子もいたんですけどね。
その彼と出会ったのはショーパブとメンパブを合わせたようなお店でキャストは皆男性だったけどその中にメロンという源氏名?の見た目は男なんだけど、話し方や仕草は女性の彼が。
男性客にはもろ女性として接客するのに、私にだけは見てないところでめっちゃ男丸出しな時もあって。テレビで見るは○な愛みたい笑
結局どっちやねんと思いながら別に恋愛対象ではなかったのであまり気に留める事は無く友人としてよく遊んだり、お互い相談し合ったり。
で、ある時 2人居酒屋で飲んでる時に彼が突然
カミングアウト😲
「あたし女も好きなんだ」と。
急に言われて状況よくわからなくなった私はなぜか「どっちかっといえば?」とアホな質問したら「男」と。
後から思えばそれがバイセクシャルと言うことなんだなと理解(それまではゲイと思ってた💦)
そかそか😅女も好きは想定外だったけど💦
そしたらまたまた突然
「あゆの事が好きだ」
と突然告り出し😱私、頭が完全に混乱してしまいして💦
私、自分で男っぽいと思ってるんですよね性格が。なので 女寄りの男の彼と気が合ったのかなてっ勝手に思っていて。
「え?え?意味が分かんない」ってなりまして💦
当然お付き合いはできませんと断りましたが
「多分もう女を好きになる事はない…」
彼はそう言っていました。
それから、たまに店に行くと私に対してまで
彼は終始女性口調で話すように😲
そしたらなんだか逆に私も気まずくなってしまって電話も遠のきだんだん連絡を取らなくなってしまったんです。
数年後ある新聞のお悔やみ欄に彼の名前を発見。
もう亡くなる何年も前にお店はやめていたので、連絡は取れなくなっていたけどお悔やみ欄の住所は確か聞いた事のある実家。
で、一番驚いたの喪主が奥様だった事。
とりあえずお線香あげに行こうと当時の友達と行ったんですけど何と小さなお子様が2人も…。
結局、彼は最後のパートナーに女性を選んで子供を設け家族を作るという選択していた。
生前彼は男性の方が好きだと言ってたし、彼には彼もいた事もあるけれど 結局彼はどっちの性も愛す事が出来たって事なんでしょう。
勝手に私が彼の心はほぼ女で身体や見た目は男というようにカテゴライズしていた。
だからもう前のように友人としては居られないと。彼は自身を女性のように振舞う事で私との友情を壊したくなかったのかな…と。
なのに…。
私にとって、本当は彼がゲイでもバイでも何でもどーでもよくて 人として付き合っていける人と思ってたはずなのに。
わけのわからない自分の勝手な思い込みで彼と距離を置いてしまった私🥺
彼を男として見るようになっていなかったら
生きている間はきっといい友人で居れただろうな。
さぁ、ここからが本題🤓…って前フリが無駄に長い…
“起承転結“で言えば、みなさ~ん まだ
“起“っす笑
ほな🤚行きまっせ笑
今回詳しい内容はかなり端折りますが(´>∀<`)ゝ
ま、ざっくりと🤓
主人公のルディは歌手を夢見ながらショーパブでパフォーマーとして日銭を稼ぎながら暮らしていていました。
そこに客として訪れたポールと心を通わせ交際するように。
ルディの暮らすアパートの隣の部屋には麻薬中毒の母親とダウン症児のマルコが住んでいました。
ある日危険薬物所持で母親が逮捕され マルコが施設に隔離された事を知るルディ。
度々施設を脱走をするマルコに心を痛めたルディはポールに頼みマルコを引き取ることに。
それは法的手続きの為同性愛者という事実を
隠してのものだったが 2人は監護者となれたのだった。
ルディとポールは実の親のようにマルコに深い愛情を注ぐ。そんな家族3人で過ごした幸せな日々は1年ほど続いたのでした。
ある時ポールの上司がホームパーティに3人を招待するが、そこてトラブルとなり2人は監護者として認められないと裁判沙汰となり、敏腕弁護士に依頼するも監護者とは認められられず、母親を
早期釈放させられ、マルコは再び母親の元へ。
…ってのがザックリした内容🤓
※後半にラストの話しあり
この話しに出てるくるダウン症児のマルコ。
幼い頃からちゃんとした食事を与えられて居なかったからなのか好き嫌いがとても多く大好物の食べ物は“ドーナツ“
そしてポールの部屋で初めて食事をした時に
口にしたのが“チョコレートドーナツ🍩“だ。
マルコは眠る前に「お話を聞かせて」とルディ頼むのですが そのお話はいつも「ハッピーエンドでね」と言って微笑むマルコが目に浮かぶ🥺
彼が適切な環境で、愛情を持って育てられて
いれば当然彼を引き取るなんて選択をルディもポールも選ばなかっただろう。
しかしマルコとまた家族として再び一緒に暮らせるよう、ルディとポールは裁判の場で偏見や好奇の目に晒されながら およそ養育とは関係のない事まで根掘り葉掘り聞かれ…🥺
私自身の恋愛対象が男性であるように、彼ら
の対象は男性であることは何ら特別な事ではない。ただそれはまだ私がこの時代に生きているからこそ受け入れられて、それを自然な事だと受け取る事が出来ているのかもしれない。
偏見とは絶対的少数派に向けられる事が多いのは
なぜだろう?
例えば私で言うと子供の頃から喘息が酷く入院ばかりしていた。
そんな私はよく「可哀想に…」と言われていた。
そしてそれが凄く嫌だった。
私は持病はあるけど「可哀想なの?」と。
運動会で調子に乗って(そこは反省😅)リレーの
アンカーになった時、途中で発作を起こして
走れなくなった事があった。
練習中は発作を起こす事も無かったので、張り切って臨んだ本番でまさかの発作😨
途中で先生が止めに入ったけど、どうしても
ゴールまで辿り着きたかった私は残りを1歩ずつだけど必死に歩いた。
10分以上はかかっただろうか。
今で思うと私はただ迷惑な子供だ😅
競技は中断だし💦
しかしその時、観客席からはずっと👏拍手と
頑張れコール💦
ありがたいはずなのに私はそれが凄く嫌だった。
何か特別に見られている気がして。
今となれば、あの時の私のような頑張ってる子供を応援する事が 特別視してるなとは思わない。
でもされてる方は必ずしもそうは思わないって
事。だってずっとずっと可哀想な子と言われて来たから。
普通になりたい。普通に…普通…
普通って何?マイノリティである側が普通ではなくて、反対が普通…理論で言えば今マイノリティとされる方の絶対数が増えれば逆転するのか?
結局そこに、普通という概念があるから起こる
矛盾。
愛に性別はない。
生まれもった障害や特性は可哀想な事ではない。
みんなそれぞれが持つ個性でしかない。
2人のパパの元へ
母親の元へ引き取らたマルコ。
母は再び男を連れ込みドラックを始める。
邪魔になったマルコを母親は外に出るように促した。
マルコはルディとポールと3人で幸せに暮らした
家を探しに夜の街を探し歩く。
そして…2人のパパを探し歩き続け 道に迷い 最後に橋の下でマルコはひっそりと一人で亡くなってしまう。
映画を見るときにはいつも誰かに感情移入する事が多いけど、この話は自分を重ねるにはあまりにも立場や状況が違い過ぎた。
なので状況に応じて、時にはルディに
時にはポールになって考えて見ていた。
ただ、、、、1人。
マルコにだけはなれなかった。
それはダウン症を深く理解出来て居ないからかもしれないけれど彼の心を中を想像する事は
とてもじゃないけど出来なかったーーー。
映画終盤、マルコは夜の街を一人歩いていた。
時折建物中を覗き込むような仕草を見せるマルコ。
「このへんかな?」
「ここはルディのお店かな?」
「ここは3人で暮らしたお家?」
そんなマルコの声が聴こえる気がして切なかった。
どうか2人の元へ辿り着いて欲しいと願った。
マルコが好きだったお話のラストは いつも
“ハッピーエンド“
だったから。
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