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生きてる限りお腹は減る。

知り合いのバリスタさんの通夜が行われた。

お葬式というのは、悲しくもあり
久しぶりに会えた人もいたり。

泣いたり笑ったり。

自分の気持ちが落ち込んでいても、
自分以外の周りは「通常の日常」

一方では人が亡くなり、
一方では結婚が明らかになりと、
温度差を感じながらも複雑な気持ちが
湧き上がってきても
目の前でおきている事が全部「現実」なのだ。

そうか、そうか…と。

それでも、悲しみながら泣いても
お腹は減るし喉は乾くし
泣いて体力気力使って眠くなるしで

あぁ、自分は生きてる側の人間かと
実感するのだ。

その人が亡くなったとき、
ふと”自分も後を追ってしまおうか”と
ふわっとした気持ちになった。

後追い、
その人が好きだったとかそういうんじゃない。

ただ自分の中で常にある
”死にたい”という気持ちが湧き出てきてしまった。
それだけのことだった。

死んだらどうなるんだろう。

亡くなったその人を慕う人たち。
自分には、その人のように
慕ってくれる人なんていないから

何処かで、知らない土地で、自分が死んでも
きっと誰にも気づかれないだろうな。

その土地に住む人たちに迷惑がかかる、か。

そんな時、
ぐぅう…とお腹が鳴った。

そういえば、食欲の存在を忘れていて
食べてなかったんだっけ。

薄情な食欲だな、まったく。

温かいココアを飲んだ。
飲みながら考える、
死んだ人は帰ってこない。

知ってる。
知ってるよ。

帰ってこないし、もう二度と話せない会えない。

人なんていつ死ぬかわからないのに、
自分から自殺する人もいる。

死んだら何処にいくんだろう。

天国とか地獄とか、
そんなの見たことないから知らないけれど
今の生きてる現実はどちらなのだろう。

どちらでもないか。

許してほしい、
貴方がいなくなったらきっと
貴方の笑顔がどんどん記憶から薄れていくことを。

悲しみに時々沈んでしまうことも

許してほしい。

死んだら会いに行くから、
そっちの世界で会ったら宜しくね。

また、話そう。


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