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消えた涙、消えない傷

どんなに暴力を受けても、どんなに否定されても、名前を呼んでくれなくても、子どもは親を求め、親を想います。

もちろん、すべての人にあてはまるわけではありませんが、私はその一例です。

いわゆる虐待を受けていた私は、今でも親の愛情を欲しています。
配偶者の愛ではないのです。
友人の愛ではないのです。

人として、一人の人間としての愛です。
「ただそこにいるだけで愛されている」
「ただそこにいるだけで認められている」

当たり前であって当たり前ではない愛。
親が子にしか与えられない唯一無二の愛です。

私がこれから語る話しは、作り話ではなく、実際にあった私の人生のほんの一部です。

すべてを語ることは出来ませんが、虐待を受けている子どもの心がどれだけ一般的な心と違うのかを感じ取っていただければと思います。


1.家の環境

私が3歳から暮らし始めた家。
それは昔ながらの家だった。

青っぽい錆びた色のトタン。
瓦もなく、屋根も外壁もすべてトタン。
今で言えばホームレスの家とほぼ同じ状態だった。

台所の屋根のトタンは、透明な白っぽいトタンの種類だったため、雨が降るとバタバタバタバタ…と騒音が鳴り響くが、雨を真下から眺めることが出来る不思議な景色を楽しむことが出来た。

トイレも風呂も家の中にはなかった。
トイレは離れにあり、夜トイレに行く時は、家を出て真っ暗闇を少し歩かなければならない。お化けが出てくるのではないかと、キョロキョロしながら猛ダッシュ。

風呂は2日〜3日に1回、銭湯へ行く。
温泉が有名な地域だったため、入浴はひとり50円〜100円。

家の裏は大きな山の斜面になっており、家の前にはザーッと流れ続ける大きめの川と滝が流れていた。

間取りは寝室と居間、台所、物置部屋。
台所は3畳ぐらいで、他は5畳ぐらいの平屋。

家族は実の父と、父の母親、つまり私にとっての祖母と3人家族だった。

2.虐待の日常

私はその家でずっと父からの暴言と暴力に耐えてきた。

ハンガーやハエ叩きで思い切り叩かれ、それらが折れてゴミ箱行きになることは日常茶飯事。
胸ぐらを掴まれ、服のボタンが吹っ飛ぶことも、髪の毛を引っ張られ、髪の毛がボサボサになったり、抜け落ちていることも日常茶飯事だった。

馬乗りになって首を絞められることもあった。
真冬には洗濯用の水を全身にぶっかけられ、耳に水が入り、聞こえづらくなることもあった。

山奥や、誰もいない海に捨てられ、真夜中に一人で歩いて帰ることもあった。

学校や警察に助けを求めても信じてくれる人はいなかった。
「お父さんはあなたのことが可愛いんだよ^^」
「へぇ〜がんばれ〜」
「あら、そう〜」
「負けるな!」
「あなたが大人になればいいんだよ」

こんな言葉しかもらえず、絶望しかなかった。
「やっぱり私が悪い子なんだ」

そんな想いを加速させ、そんな想いが正しいことなんだと思った。

祖母は毎日、泣き喚く私の姿を見ても見て見ぬふり。
テレビをのんびり見ながら手を叩いて笑っていた。

CMになると、開いている窓や玄関を閉めて、私の声と父の怒鳴り声が外へ聞こえないようにしていた。

私をかばってくれる人、私をかくまってくれる人、私を守ってくれる人、私の話しを真剣に聞いてくれる人は誰もいなかった。

そんな地獄の家で私は12歳まで暮らしたが、いつしか私は泣くということもなくなり、痛みや恐怖も感じなくなっていた。
されるがままの人形となった。

3.大雨の夜の出来事

私が8歳か9歳あたりのある日の大雨。
私たち家族3人はいつものように寝室らしき部屋で布団を3人分敷いて眠りについた。

左側に祖母、祖母の頭の上には中ぐらいの仏壇、真ん中に父、右側に私という川の字になっていた。(画像参照)

「……ちゃん!かあちゃん!かあちゃん!」

かあちゃんというのは祖母のことである。
私は父の声で眠りから少しずつ目が覚めつつあった。

ーー 何言ってるんだろう。うるさいなぁ

私はゆっくり目を開けると何故か真っ暗闇。
夜であっても多少は見えるはずなのに何も見えない。

ーー あれ、私、目開けてるよね。

パチクリと瞬きをしても真っ暗。

ーー なんか暑い…あ、ここ布団の中だ。なんでこんなに潜ってるんだろ

私はその日だけ何故か布団の足元の隅っこでクルンと丸まっている状態だった。
それに気づいた私は布団からモゾモゾと這い出た。

電気の眩しい光が私の目の中に入ってきた。
外はまだ暗く、ドタドタドタドタと大きな雨の音が響いていた。

父が慌てて、離れのトイレの方向へ向かう背中が見えた。
同時に私の目に飛び込んできたのは見慣れない風景。

いつもなら寝室の入り口から勝手口が見える。
でも、この日は違った。

大人3人〜4人ぐらいがやっと転がせるぐらいの大きな岩。
祖母の布団は大岩に引きずられ、壁際でぐちゃぐちゃになっていた。
仏壇も激しく壊れており、細々した破片や仏具が散乱し、山側の壁には穴が空いていた。

ーー ん?なんだこれ。あぁ岩が落ちてきたんだ。すごいな。

私は特に驚くことも、恐怖を感じることも、慌てることもなかった。
父からの暴言、暴力が私の感情を麻痺させていたからだ。

父の足元にあったタンスは斜めに傾いていた。
父の布団が支えになって完全に倒れることはなかったようだ。

私の枕元には、タンスの引き出しが飛んできていた。
もし、私が布団の中で丸まらずに、真っ直ぐな姿勢で眠っていたなら、私は死んでいたかもしれない。


遠くからまだ父の声が聞こえる。
どうやら祖母は夜中に離れのトイレへ行っていたようだ。
もし、祖母がトイレに行っていなければ間違いなく死んでいただろう。

ーー そっか、こんな状態でも私よりかあちゃんなんだね。

私は、自分の布団の上で座ったまま、ふふっと心の中で笑った。
目の前の惨状より、父の行動のほうが私は気になった。

少しすると、祖母と父が寝室の入り口に戻ってきた。

貴様!まだそんなとこにおるんか!はよこっちこい!」

と、父は私に向かって叫ぶ。

「そんなに慌てなくてもいいじゃん」

父は真顔で目を見開き、ふぅ〜ふぅ〜っと息遣いが荒くなっている。
私はゆっくりと立ち上がり、寝室の入り口のほうへ向かった。

「貴様!なんともないんか!?」

キスでもされるのかというぐらいの近距離で大きな声。

「うん、なんともないよ」
「悪運、強いやつやのぉ!どこでねとったん!?」
「あそこの端っこに丸まってたみたい」
「なんであんなとこにねとったんか!?」
「知らないよ。目が覚めたらあそこにいたもん」
「ほぉ〜」

と、呆れたような苦笑いを浮かべながら、流し目で私から視線を逸らす。

ーー 悪運って何だろう?私が悪いってことかな。私のせいでこんなことになったってことだよね。

と、私は心の中で思った。

祖母は、ただ茫然と寝室の惨状を見続けている。
何を思っていたのかはわからない。
何も考えられなかったのかもしれない。
人というのは、こういう時、本当の意味で「無」になってしまうのかもしれない。

茫然と立ち尽くす祖母を見て、私はかわいそうに感じた。
私とも目を合わせない、父とも目を合わせない。

ただただ、ぐちゃぐちゃになった寝室を悲しそうに見続けている。
毎日、仏壇に手を合わせていて、仏壇を大切にしていた祖母。

私は、ふと寝室を見た時、不思議と足がゆっくりと大岩のほうへ向かった。
まるで、何かに引き寄せられるかのように。

寝室に転がっている大岩のところで私は立ち止まり、散乱している仏具をひとつひとつゆっくりと拾い始めた。

「あ〜あ、もったいないよね。壊れてるし、汚れてるよ。大切にしていたのにね。キレイにしなきゃだね」

私は自然と呟いていた。
まるで、時が止まったかのようにスローモーションの世界に私は入り込んでいた。

寝室の入り口で祖母と父は「これからどうするか」と言わんばかりの表情で私の行動を見ていた。
すると、どこからともなく低い音が聞こえてきた。

ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……!

ーー あぁ私はここで死ぬんだ。うん、それでいいよ。生きてたってしょうがないし。やっと死ねる。

私は怖いどころか、警戒するどころか、安堵していた。
でも、「あゆ!」と父の叫び声が聞こえた瞬間、私の足は宙に浮いていた。

父は私を抱きかかえ、一目散に寝室の入り口も、すっ飛ばして裸足で外へと私を連れ出した。
抱きかかえられた私は、茫然と立ち尽くす祖母の姿が目に映り、そのまま遠のいていった。

ドカン!

もうひとつの大岩が落ちてきて、大岩と大岩がぶつかり鈍い音がした。
祖母は無事だった。

もし、私が父に抱きかかえられていなければ、私は2度目の死を経験していたかもしれない。

外に連れ出された私は父に抱きかかえられたことがとても嬉しかった。
自分が生きていたことが嬉しかったわけではない。

こんな私を本気で抱きかかえてくれたことが嬉しかった。

大きな腕、大きな胸、筋肉モリモリ、温かい体、独特な父の匂い、タバコの匂い、父の息遣い。
すべてが私にとっては宝物に思えた。

ーー お父さん…

涙が込み上げてきたが、私はグッと飲み込んだ。
泣いてはいけない、私はイラナイ子、この世に生まれてきてはいけなかった生ゴミなんだから。

そう思うと同時に、殴られることが頭をよぎったからだ。

そんな私の想いとは裏腹に父は私を黙って地面におろした。

「かあちゃん!かあちゃん!そこおったら死ぬぞ!」
「ん?あぁもういつ死んでもいいんじゃ」
「そんなこというなや!なさけねー!」

父が話しかけたことで、ようやく茫然とした状態から動き出した祖母。
祖母の目には涙が溜まっていた。

悔しかったのか、悲しかったのか、ショックだったのか、私にはわからない。
ただ、涙を必死に堪えているように見えた。

それから私たち3人は、居間で改めて眠りにつくことにした。

「わしは明日、仕事じゃけん。もう寝るぞ。片付けは明日や」

父がそういうと、祖母は返事をして、父と一緒に別の布団を物置部屋から引っ張り出してきた。
出来るだけ寝室から離れるように窓側へ布団を並べた。

一番窓側に祖母、真ん中に私、寝室側に父。

ーー 私は真ん中なんだ。なんかこういう時って子どもが窓側なんじゃないのかな。

と、子どもながらに思った。
その後、父と祖母は何も話さずしばらくはモゾモゾと動いていたが、そのうち動かなくなった。
きっと眠りについたのだろう。

ーー 私が寝室側でいいのに。
私は死ねばお父さんも、かあちゃんも楽になるよね。
私がいるからお金も苦しいんだよね。
神様、どうして私を殺してくれなかったの?
どうしてお父さんは寝室側にいるの?
お父さんは私のこと邪魔なんでしょ?
自分の子って思ってないんでしょ?
私を作って後悔してるんでしょ?
だったら私を寝室側に寝かせて殺せばいいのにね。
神様、私はね、どうなってもいい。
お父さんと、かあちゃんが仲良く幸せになってくれればこんな命いつでも差し出すよ。
お願いだから私の命を使って。
まだ生きたいって思ってる人に、困ってる人に私の命も心臓も腕も足も使えるところはすべて渡してあげて。
お願いだよ。

私は、真っ暗な天井を眺めながら必死に神様にお願いをしていた。
いつの間にか、夜が明け、いつもの朝が来た。
雨もやんでいた。

改めて明るくなった寝室を見てみると、やっぱりぐちゃぐちゃで土の香りが鼻をつく。
ふすまも折れ曲がっている。

父と祖母は、大岩の処理について何やら話しをしていたようだったが、幼い私には理解できなかった。

大岩は数日間そのままだったが、いつもの日常を送りながら、業者さんが大岩を少しずつ砕き、寝室も片付けてくれたようだった。

寝室はキレイさっぱりカーペットだけになり、畳は大岩の重みで大きく窪んだままだった。

その後、私たちは引っ越すこともなく、そのまま地獄の家でさらに4年〜5年過ごした。
寝る部屋を変えることもなく、大岩が落ちてきた寝室で毎日、同じ位置で眠った。

その間にも今回と同じような岩が落ちてくることもあったが、大事には至らなかった。

4.学びと対比

このように、虐待を受けている子どもは、毎日が生きるための戦いであり、周りで何が起きたとしても冷静に物事を見ていることが多いです。

これは、親からひどい扱いを受け続けた結果、心が麻痺してしまい、何も感じなくなっているからです。

ひとつひとつ感じていたら生きていけないのです。
自分自身を自分で守る唯一の手段なのです。

でも、本当は親に愛されたい、親に笑って欲しい、親に優しくされたい、自分を見て欲しい、自分を認めて欲しい、私はここにいるんだよということを常に小さな心に抱えています。

一方で、虐待を受けていない子どもは、同じような状況下であったなら、恐怖や不安を素直に表現するでしょう。

親に助けを求め、泣いたり叫んだり、怖い怖いと言葉にするかもしれません。
親は子どもに「大丈夫大丈夫」と背中をさすったり、抱き上げたり、いつも以上に優しく対応するかもしれません。

子どもはそんな親の対応に安心し、家族の一体感が明確に現れることとなるでしょう。

しかし、虐待を受けている子どもは、自分の感情を抑え込み、親の気持ちを優先したり、こんな状況下ですら親の顔色を伺ったりするのが当たり前になっています。

自分よりも親や他人の幸せを願い、自分を犠牲にしてしまうのです。

例えば、学校で友達と喧嘩をして泣いている子どもは、すぐに先生や親に助けを求めるでしょう。
虐待を受けている子どもは、同じ状況でも泣かず、助けも求めず、一人で対処しようとします。

心の中で「こんなことで泣いてはいけない」「自分が我慢すればいい」と思ってしまうのです。

これが続くと、その子どもの感情や感覚は完全に麻痺します。
何も思わない、何も感じない、好きなものはない、嫌いなものもない。
そう、幼かった頃の私のように。

5.終わりに

いかがでしたでしょうか?
もし、みなさんが幼い時代にタイムスリップをして、同じ状況下に置かれたならどのように感じるでしょうか?

虐待を受けている子どもの心の中にある深い傷と、その影響をほんの少しでも知って頂けたなら幸いです。

虐待を受けている子どもたちは、日々、生きている戦いの中で、感情を麻痺させています。
意図的に麻痺させているわけではなく、生命を維持させるための防衛本能です。

子どもたちにとって何よりも大切なのは「安全」と「愛情」です。

親しか持っていない愛情。
親にしか与えられない愛情。

私たち一人ひとりが、子どもたちの心の叫びに気づいていくことが大切です。
虐待を受けていない子どもでも十分に起こり得る心の麻痺。

子どもは、私たち大人より考える力は弱いです。
でも、感じる力、見る力は私たちより優れています。
言葉では理解できなくても感覚として敏感に感じ取っているのです。

小さな心の叫びに耳を傾け、少しでも手を差し伸べることが出来れば、子どもたちは安心して感情を表現できるようになります。
愛される喜びを感じ、自分は自分のままで良いと自分自身を認めることが出来るのです。

安心して泣ける場所。
安心して怖いと言える場所。
安心して帰れる場所。
安心して甘えられる場所。
安心して逃げ込める場所。

それはあなたの腕の中です。
かけがえのない小さな命を、大切な家族の愛をみんなで分かち合える世の中になることを心から願っています。


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