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まあ、なんとなく⑨

胎内認知から養育費まで

彼は私が実家に引っ越すまでの期間誠心誠意を見せてくれた。養育費の誓約書作成から、胎内認知もしてくれた。聞いている人からしたら当たり前だろ、や、いや、慰謝料請求しろよ!という意見もあるかもしれないが、一瞬考えたもののそんなことは辞めた。彼自身は口頭で「離婚する」と、言ってくれた。これだけあれだけたくさんの嘘をつかれても私はその一言を信じることにした。

泣いて過ごした妊婦の時期

とにかく涙が止まらなかった。何度もお腹をさすりながら「こんなお母さんでごめんね。」と謝っていた気がする。彼を信じるとは言っても心の奥底は不安の塊だった。いつとんずらして逃げるのだろうか。私と会わない間には家族のところへ帰っているのか。あのかわいい子供には寂しい思いをさせてしまった。たくさんの思いがいっきに自分の中に押し寄せた。涙が止まらなくて友達との約束にすら行けなかったこともある。逆に1人で過ごすことができなくて友達のシェアハウスにお邪魔したこともある。涙しながら話した話をただ頷くだけで聞いてくれた。また別の人は仕事が終わって遅い時間に家から遠いのにわざわざ近くまで会いにきてくれて私を涙しながら抱き締めてくれた。この期間にまた私は家族ではない誰かの存在に助けられた。彼ではなく家族でもない、友達や職場の人だった。本当に忘れられない。心の底から人の温かみを知った。感謝という気持ちが言葉や物では足りなかったし表現もできなかった。こうして助けてもらった人達の感謝への気持ちは今も私の心の中にいる。またもし誰か困ったときに私もその人達がしてくれたように誰かに還元できるように。

こころの支えはお腹の子供

泣いてばかりの日々片時も離れることもなく(当たり前だが)過ごしてくれたのは、彼ではなく我が子だった。当たり前な話だけど、本当に大きな大きな存在だった。がんばれって言ってくれているかのようにも感じたし、もうそれ以上がんばらないでと言ってるようにも聞こえた。我が子にも感謝する日々だった。

のれんにうでおし

一刻一刻と実家へ引っ越す時間が迫っていた。人間というものは不思議で「わからない」ことに対して絶対に知りたいと思うものなのだと思った。私はずっとなぜ彼が私に嘘をついたのか、それが気になって気になってしょうがなかった。だから最後もう自分の思いをしたたみしたたみしたたみすぎてしみしみの手紙書いて彼の前で朗読した。今考えてみるとこわすぎる。でも私はもう藁にもすがる思いだった。本当のことを彼の言葉から聞きたかった。そうすれば、私はまた彼とやり直したい、そう思えると思っていたのかもしれない。私がしたことが間違いではなかったと少しでも思いたかったのかもしれない。でも私は一度も彼の口からことの真相を聞くことはなかった。私がこうなんだよね?と聞くことに対してイエスかノーで答えるだけだった。どれだけの思いを込めて私がどう思っているのか伝えても彼から返ってくる言葉は全て空っぽだった。

実家へ引っ越す

彼の「離婚する」と言った言葉をもうどうせ嘘なんだろうと思いながらも信じて東京を後にした。引っ越し作業も妊婦1人で全てをこなした。彼が手伝いにきてくれることはなかった。

やっぱり家族

実家に帰ると両親は暖かく迎え入れてくれた。彼とは生まれるまでの間ずっと画面上での文面だけのやりとりだった。離婚の話は全然と進まず、それでも彼を信じて待った。実家に帰省して私が1番頭を抱えていたのは両親のことだった。両親には彼が癌ではないということを伝えられなかった。母親は気難しい人なのでとりあえず3姉妹なのだが真ん中の姉に相談した。すると何よりも私を思ってくれる文章が返ってきた…。嘘をついた彼を攻めるでもなく「癌じゃなくてよかったね。」という一言目とともに「妊婦なのに1人でずっとここまで抱えてよく頑張ったね…辛かったやろうに…。」と私の気持ちに寄り添ってくれた。私はこんな言葉が返ってくるとは思ってもおらず、誇らしい姉ちゃんを持ったなぁと思い、そして姉ちゃんの思いにまた泣いた。姉ちゃんにも本当に助けられた。

大事な両親

帰省した後母親が彼を心配してよく「元気なの?大丈夫なの?」と聞いてきていた。私はその度にいつも元気そうよ。とか大丈夫なんじゃない?とかその場しのぎの適当な言葉しか返せなかった。

嘘だとわかる前は私自身も母親が心配しているだろうと見越してよく連絡をして彼の病状を伝えていた。

しかし、母親も聞くたびに前とは打って変わって私から彼の状況のことを伝えるでもなく、適当な返事しかしない私に「なんでもっと心配しないのか!!今までそんなんじゃなかったじゃない!!冷めたの!!?!そんな薄情な娘とは思わなかった!!」と私を責めた。母親は怒って当たり前だ。そして、この状況が妙に私が彼を責めていた頃の状況とだぶる。彼はこんな気持ちだったのだろうか、そんなことを思いながら責められ続けていた。実家に帰ると山ほどの千羽鶴まで折ってあった。そこまで心配かけている母親に「ねえ、お母さん、実は彼は癌じゃなくてしかも既婚者で、甥っ子だと思っていた5歳の男の子は息子なんだって。」なんて口が裂けても言えないと、ずっとずっと黙っていた。ここまで思ってくれている母親を傷付けたくなかった。そして惨めな思いにさせたくなかった。そんなことを知った母親から私自身の選択の間違い、彼への冒涜を言われようもんならその頃の私はそれに耐えうる精神をもち備えていなかった。彼の「離婚をする」というもう今にもちぎれそうな細い糸にしがみついている私自身のころで精一杯だった。私、そして彼、両親を庇うように、「元気みたいよ〜。」とか「あんまり聞いてほしくないみたいで今聞かれん」とかとにかく彼についての話題には自ら触れなかった。大好きな両親に嘘をつきたくなかった。そんな適当な嘘をお母さんにつく度に自分自身も傷付いていった。

でも、その日はもう母親からの責め立てる言葉をスルーする余裕さえなかった。そんなことを言われ続けてその瞬間に何もかもが弾けてしまった。なぜ彼がついたこの嘘を私は一生懸命庇っているんだろう。今頃彼は何をしているんだろうか。彼は自分の言葉で真相を両親に伝えたいと言ってたけど、それすらもう絶対に嘘なこともわかってる…。私は彼の何を信じてるんだろう。なぜ私が母親にここまで責め立てられなきゃいけないんだろう。全ての負の感情が私に押し寄せてしまい、私は突如母親の前で大号泣した。


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