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自分を諦めたくないのに体は弱っていく 介護認定の瀬戸際にいる高齢者

シミやシワが増えた。
目も見えにくくなった。
立ち上がる時も「よっこいしょ」と声をかけるようになった。
以前はもっと歩けたのに最近歩けない。
何をするわけでもないのにすぐ疲れる
ひとつ考えるとひとつ忘れて、どんどん忘れているの?
人に会うのも面倒になってきた。

もっと自分らしく自立して生きたい。
でも思うように体が動かない。
あの人はあんなに元気そうなのに自分はなんで?

このように自分が老いていく状況を受け入れなければいけなくなった時、どんな気持ちでしょうか。

介護サービスを受けるなんて恥ずかしいから嫌だ。
自分はもう何も出来なくなった人間みたいで情けない。
でも、介護認定が出て介護サービスを受けることになったら、家族や周囲は安心するかもしれない。自分が受け入れれば、ワガママを言わなければ、それでいいのかな…。

このように、私はいろんな高齢者と接してきて、介護認定を受けるかどうかの瀬戸際にいる人たちが一番辛いのではないかと思います。

私はデイサービスに勤務する前は接骨院勤務でしたので、まだ介護認定が出ていない状態の高齢者とお話しすることもよくありました。さらにその後勤務していたデイサービスはリハビリ特化型デイサービスでは、比較的介護度が低い要支援の人(まだまだ自分で出来る事が多い人たち)も多かったので、このような介護の瀬戸際にいる人たちとたくさん接してきました。

デイサービスにもよりますが、機能訓練の時間(その人に合った運動を一緒にする時間)は大体10分程度一人一人とお話をしながら訓練する時間がありました。その時にある程度自立している人たちから「自分はこの先どうしたらいいのか、何を選べばいいのか分からない」というお話を聞きました。

言い方が悪いと思いますが、私が介護職員だったら「私はもうボケちゃってダメなのよ」とか「何も出来なくなったからお願いね」と言ってくれるような、介護に対して抵抗が無く自分の意見を言わない高齢者の方が介護は楽です。

このような介護に抵抗が無い人達は他者に人生を委ねてしまっている状態です。冒頭で書いた「生きている」のではなく「生かされている」状態に近づいていると思うのです。果たしてそれは本当に本人が望む生き方なのでしょうか。答えを聞きたくても本人の意思表示が無いか、認知症などで分からなくなってしまったかで答えが分かりません。

「生きるサポート」と「生かすサポート」は大きく違います。怪我をさせずに、呼吸をさせて食べものを体内に入れて身体を清潔に保つ。それができれば人間を生かすことは出来ます。しかし「生きる」ためには、必ず心のサポートが必要なのです。


介護サービスを受けるか受けないかの瀬戸際の人が悩む原因は、「生きたいから」だと思います。

これらの問題をサポートするのはケアマネージャーがメインとなってくると思いますが、高齢者と話をしてみるとケアマネージャーも色々で、よく話を聞いてくれる人もいれば、いつも忙しそうにしている人もいて、なかなか話が出来ないこともあるそうです。

この悩みに関しては機能訓練指導員の私が出来ることは限られるので、月末に提出する書類の中で悩んでいる様子を書いたり、担当のケアマネージャーがデイサービスに来た際にお伝えしたりするしかありませんでした。


そんな経験を経て、私は介護は介護認定の有無で区切るものではないと思いました。さらに介護認定の瀬戸際にいる人たちをサポートするものはないのだろうかとずっと考えていました。

自治体によっては、高齢者向けの運動教室やお茶会などいろんなことをやっているのも知っています。ですが、私が高齢者になったら気疲れするような場所には行きたくないと思うでしょう。

だからギャンブルデイサービスとか、時代劇や映画上映用の小さなスクリーンがあるデイサービスとか、手芸用品がたくさん揃ってるデイサービスとか、なんでも作ればいいのにと思っていました。実際作るとなったらいろんな問題が出てくると思いますが。

そんな中で思いついたのが多世代共生型のシェアハウスでした。みんな歳をとるのだから、デイサービスなど無かった昔のように普通の生活の中で歳を取ればいいじゃないか。

いろんな世代の人間がひとつ屋根の下に一緒に住んで、自分が出来ることで同居人が同居人をサポートしたり頼ったりすればいいのではないだろうか。どうしても介護サービスが必要になるその時まで、自分らしくやりたいことをやって、お金を稼いで社会に貢献して生きればいいじゃないか。

例えそれが血の繋がった家族ではなくても。

そんなふうに思ったんです。

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