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じゅとまよ

「大学行ったのに全然使いものにならないのよ」
「うちもそうよー、おんなじ」

なんて辛辣なお言葉。
ポカポカと暖かく、川のせせらぎと共にお昼寝している鴨を横目に見ながら、すれ違ったおばあちゃんたち2人の会話です。
この平和なひとときに、全然合っていない。
遠くからうっすらと、小学校のチャイムの音が聞こえてくる微笑ましい瞬間なのに、全く合ってない。
お互いの旦那さんの話をしているっぽいのです。

そんな言っちゃう?って思いましたが、けっこうご高齢の方だったので、おばあちゃん達が若い頃の大学に行くということへの認識が、今と違うのかもしれないですね。
大学に進学できるというのが、今よりも恵まれた立場だったのかな。
でもずっと寄り添ってきたわけだから、これも一つの愛の形なんだと思う。

「使いものにならない」=「ずっとそばにいます」

・・・泣ける。深すぎて泣ける。ちょっと泣いた。物語ひとつ書ける。

ただの愚痴だったら、それはそれでまた良いのです。

こんな感じで近くの川沿いを散歩してきまして、今日はいつもの道より下に降りた土手沿いを歩いてみました。
よく考えたら久しぶりの土、砂利。ずっとアスファルトの上しか歩いていませんでした。
当たり前なのですが、一歩一歩が柔らかい。これが本来の地面。

どうでもいいことなのですが、砂利道を歩いた時のあの「ザリッザリッ」って音を聞くとお腹が空くんですよね。
何かの食べ物を噛んだ時の音と似ているんだと思います。その何かが全く分からないんですけど、多分はるか昔に食べた何か。なので神社やお寺に行った時は、もれなくお腹が空きます。

道中、リードを外して散歩をしているワンちゃんに「一緒に遊ぼうよ」と声をかけられたり、逆に「お前は誰だ!」という怪訝なワンをされたり、保育園の先生に連れられて歩いているキッズ達が「じゅとまよー!」と言っていて、これはずっと真夜中でいいのに。のことを言っているのか、はたまた「ジュットマヨン」というポケモンでもいるのか、もしくは「ジェットマヨネーズ」という新しいマヨネーズのかけ方があるのか、考えながら歩みを進めるとこんな鳥がいました。


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スマホで撮ったので肉眼よりも小さく写り、ズームに追いズームをしながら編集したので、ちょっと画質が荒くなってしまいましたが、分かります?
ちっとも動かないの、この鳥。
カメラを向けられてもわたしが近づいても、ピクリともしないので寝ているか立ったまま気絶しているかのどっちかだと思います。

歩いていると時々、土がもっこりしている箇所があるんですよね。
猫ちゃんが掘ったのかなって思っていましたが、これは多分、モグラですね。
わたしにモグラの友達はいないので詳しいことは分からないのですが、地面の中をずーっと掘り進み、地上に出たところをゴールとする巣を作っている場合と、地上に出た瞬間に「あ、ヤベッ間違えた」っていうおっちょこちょいの場合と、夜中に出る妖怪モグラ叩きの仕業、いろんなパターンがあると思うので、とりあえず踏むのはやめておきました。本当は踏み固めながら歩きたいのです、几帳面のA型としては特に。

東京とは思えない自然の川。近くに住んでいて良かった。
帰りに見てみると、さっきの鳥がまだいました。あれから1mmも動いていません。
明日も同じ場所にいたら、さすがに話しかけてみようと思います。
ここはのんびりと時間が流れているので、生きていることを忘れているのかもしれない。