見出し画像

曖昧な常識

昨日の夜、頭上でヘリコプターが旋回していました。
遠ざかりまた近づく、を繰り返すプロペラの音。なんだったのだろう。
セレブの夜景鑑賞?叶姉妹なら仕方がない。ローランドなら・・・ギリ許す。
いやいや、もしかしたら何かの緊急事態だったのかもしれません。

元々は夜景が好きでした。とてもキレイで、いつまでも見ていられます。
でも、一度嫌いになったことがあります。

昨年の1番キツかった時期、だいたい4ヶ月ほどの間は、夜景なんて大嫌いで、昼間でもマンションやビルを見かけるとウンザリしていました。
人がたくさん居るということにギブアップ。
あの窓ひとつひとつに誰かが住んでいて、生活を営んでいるという事実に吐き気がしてしまい、現実を見ることができませんでした。
他人と関わりたくない、そんな気持ちの現れです。

今はそうでもないですよ。
マンションを見てもビルを見ても、以前のようにウンザリはしないですし、もし夜景を見ることがあったとしたら、素直にキレイだなって思うはずです。寒いなこんちくしょう、とは思うかもしれませんが。高いところって寒いし。

あのウンザリしていた時期でも、子供を見るとかわいいなぁって素直に思っていました。
多分、良い意味で大人の常識を持っていないからだと思います。
人間関係の中で、わたしから1番遠いところに居る存在が子供たち。今の時点で関わることが全くないし、子供と大人で考えていることが違う場合が多いから、子供たちの気持ちは大人のわたしが分からなくても大丈夫。

でも、大人同士は違う。

他人が考えていることなんて分かるはずがないし、そもそも赤の他人で自分とは関係ないと分かってはいても、大人同士でなんとなく定められている曖昧な常識みたいなもの、そんなやりとりが自然に発生するわけです。
そのやりとりを手放したかったんですよね。疲れ果てて。

なんとも思わなくなってきたのは、やっとその疲れが取れてきたのかな。
次にわたしがすることは、体力作り?
散歩を日課にして、少しずつ距離を伸ばして、そのあとはまた考える(テキトー)。
ストレッチもいいですよね。ふにゃふにゃの体になりたい。
あとは最大の難所であるほうれい線。同じ線でも生命線は濃く長くあって欲しいけど、ほうれい線はいらないのです誰か助けて。

世の中は思い通りにならない、だからその分、けっこうテキトーに回ってるんだと思います。
大人同士でなんとなく定められている曖昧な常識みたいなもの。そのやり取り、実は成立していないのかも。成立していると、思い込んでいるだけで。

今日は散歩を無理してしまい、ちょっと疲れちゃいました。
明日はテキトーに過ごすことにします。行くぜテキトー。